大中臣伊度人
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時代 | 平安時代前期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従五位下木工助 |
主君 | 清和天皇 → 陽成天皇 |
氏族 | 中臣朝臣〔中臣氏三門〕 → 大中臣朝臣 |
父母 | 父:中臣逸志、母:不詳 |
兄弟 | 伊度人、中臣安人、中臣起生 |
妻 | 不詳 |
子 | 本扶、本自、本貫、本真、本宗、本実 |
大中臣 伊度人(おおなかとみ の いとひと、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。氏姓は中臣朝臣のち大中臣朝臣。神祇伯・中臣逸志の子。官位は従五位下・木工助。
経歴
[編集]清和朝の貞観8年(866年)木工大允として木工権大允・藤原直宗とともに応天門の変で焼失した応天門再建のための材料を得るために丹波国へ赴く[2]。
その後、木工助に昇任され、陽成朝初頭の元慶元年(877年)11月に従五位下に叙爵する。同年12月25日(878年1月31日)には伊度人を含む中臣石根の玄孫19名が中臣朝臣姓から大中臣朝臣姓に改姓された[2]。翌元慶2年(878年)神祇伯・棟貞王とともに奉幣使として伊勢神宮に派遣されている[3]。
官歴
[編集]記載のないものは『日本三代実録』による。
- 時期不詳:従六位下
- 仁寿2年2月21日(852年3月15日)、伊勢神宮大宮司[4]
- 貞観8年6月3日(866年7月18日)、見木工大允
- 時期不詳:木工助
- 元慶元年11月21日(877年12月29日)、従五位下
系譜
[編集]「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)による。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 経済雑誌社 編『日本三代実録』経済雑誌社〈国史大系第4巻〉、1901年 。
- 塙保己一 編『中臣氏系図』経済雑誌社〈群書類従 第四輯 巻第六十二〉、1902年 。
- 神宮司庁 編『神宮要綱』神宮皇学館館友会、1929年。
- 阿部猛『日本古代人名辞典』東京堂出版、2009年。ISBN 4490107617。