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中臣益人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
中臣益人
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 正五位下神祇大副
主君 聖武天皇孝謙天皇
氏族 中臣氏
父母 父:中臣人足
大中臣真魚
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中臣 益人(なかとみ の ますひと)は、奈良時代貴族神祇伯中臣人足の子。官位正五位下神祇大副

経歴

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天平18年(746年従五位下主税頭に叙任される。翌天平19年(747年神祇大副に任ぜられると、聖武朝末から孝謙朝にかけてこれを務めた。またこの間の天平21年(749年)には4月に幣帛伊勢大臣神宮に奉納した労により従五位上、11月に正五位下と続けて昇叙されている。

天平勝宝6年(754年)4月に造宮少輔に遷るが、6月には早くも神祇大副に再任されている。その後、相模守として地方官に転じたとされる。

官歴

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続日本紀』による。

系譜

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「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)による。

  • 父:中臣人足
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:大中臣真魚

脚注

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  1. ^ 「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)

参考文献

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