松平頼純
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛永18年1月4日(1641年2月13日) |
死没 | 正徳元年10月7日(1711年11月16日) |
改名 | 小松丸(幼名)、頼純 |
戒名 | 源性院 |
官位 | 従四位下権少将、左京大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱→綱吉→家宣 |
藩 | 伊予西条藩主 |
氏族 | 紀州徳川家支流西条松平家 |
父母 | 父:徳川頼宣、母:越智氏 |
兄弟 | 徳川光貞、修理、頼純、因幡姫、松姫 |
妻 |
正室:本多忠義の娘・清性院 側室:観樹院、佐藤氏 |
子 | 渡辺恭綱、頼路、頼廉、頼雄、頼致、尚峯、頼渡、於留天姫、清姫、与伊、八千、女子、梅、初、四方、嘉奈、女子 |
松平 頼純(まつだいら よりずみ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。伊予西条藩の初代藩主。官位は従四位下・権少将、左京大夫。
略歴
[編集]紀州藩主・徳川頼宣の3男として誕生。初代将軍・徳川家康は祖父。兄は徳川光貞。8代将軍吉宗の叔父、徳川家光や徳川光圀の従弟にあたる。
正保2年(1645年)に3代将軍・家光に御目見する。承応3年(1654年)に従四位・少将・左京大夫に叙される。寛文10年(1670年)、伊予西条3万石を与えられ大名に列する。
正徳元年(1711年)、死去した。享年71(満70歳没)。家督は五男の頼致が継いだ。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 『別冊歴史読本43 徳川将軍家歴史大事典』新人物往来社 2000年