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松平信明 (吉井藩主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平信明
時代 江戸時代中期
生誕 寛延2年10月11日1749年11月20日[1]
死没 安永4年9月19日1775年10月13日
改名 友之丞(幼名)→信明
戒名 広大院殿智照慧歓大居士
墓所 東京都新宿区富久町自證院
官位 従四位下、左兵衛督侍従
幕府 江戸幕府
上野吉井藩
氏族 鷹司松平家
父母 父:松平信友、養父:松平信有
兄弟 信明房恭
春洞院松平容頌の養女、松平容章の娘)
信充
養子:信成
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松平 信明(まつだいら のぶあきら)は、江戸時代中期の大名上野吉井藩第4代藩主。鷹司松平家6代。

2代藩主・松平信友の次男。先代藩主・松平信有の養子となる。明和3年(1766年)4月1日、将軍徳川家治に拝謁する。明和5年12月18日(1769年1月27日)、従四位下・大炊頭に叙任する。後に左兵衛督に改める。明和8年12月4日(1772年1月8日)、養父信有の隠居により家督を継いだ。同年12月18日、侍従に任官する。しかし4年後の安永4年(1775年)9月19日に27歳で死去した。

系譜

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父母

正室

子女

養子

脚注

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  1. ^ 「明治二十六年正月 吉井藩主系図」(『群馬県史 資料編9(近世1 西毛地域1)』(群馬県、1977年)p.174)。同資料によると、没年齢を31歳とするのは「表向」(官年)とされる。