松平信明 (吉井藩主)
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛延2年10月11日(1749年11月20日)[1] |
死没 | 安永4年9月19日(1775年10月13日) |
改名 | 友之丞(幼名)→信明 |
戒名 | 広大院殿智照慧歓大居士 |
墓所 | 東京都新宿区富久町の自證院 |
官位 | 従四位下、左兵衛督、侍従 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上野吉井藩主 |
氏族 | 鷹司松平家 |
父母 | 父:松平信友、養父:松平信有 |
兄弟 | 信明、房恭 |
妻 | 春洞院(松平容頌の養女、松平容章の娘) |
子 |
信充 養子:信成 |
松平 信明(まつだいら のぶあきら)は、江戸時代中期の大名。上野吉井藩第4代藩主。鷹司松平家6代。
2代藩主・松平信友の次男。先代藩主・松平信有の養子となる。明和3年(1766年)4月1日、将軍徳川家治に拝謁する。明和5年12月18日(1769年1月27日)、従四位下・大炊頭に叙任する。後に左兵衛督に改める。明和8年12月4日(1772年1月8日)、養父信有の隠居により家督を継いだ。同年12月18日、侍従に任官する。しかし4年後の安永4年(1775年)9月19日に27歳で死去した。
系譜
[編集]父母
正室
子女
- 松平信充(次男)
養子