松平頼渡
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永3年11月14日(1706年12月18日) |
死没 | 元文3年3月16日(1738年5月4日) |
改名 | 万吉丸(幼名)、頼安、頼渡 |
戒名 | 恵日院殿道明日輝大居士 |
官位 | 従四位下権少将、侍従、左京大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 伊予西条藩主 |
氏族 | 紀州徳川家支流西条松平家 |
父母 |
父:松平頼純、母:佐藤氏 養父:松平頼致 |
兄弟 | 渡辺恭綱、頼路、頼廉、頼雄、頼致、尚峯、頼渡、於留天姫、清姫、与伊、八千、女子、梅、初、四方、嘉奈、女子 |
妻 |
正室:松平忠雅の娘・清性院 側室:梁田氏、林氏 |
子 | 頼邑、幸姫、成、知衛、嘉代 |
松平 頼渡(まつだいら よりただ)は、江戸時代中期の大名。伊予西条藩の第3代藩主。官位は従四位下・権少将、侍従、左京大夫。
略歴
[編集]宝永3年(1706年)11月14日、初代藩主・松平頼純の7男(6男との説もある)として誕生。幼名は万吉丸。
享保元年(1716年)、兄で先代藩主であった頼致(徳川宗直)が、従弟にあたる徳川吉宗の跡を受けて紀伊藩主に転出したため、その跡を受けて西条藩主となった。山井崑崙を登用して文学の奨励を行ったり、窮民の救済、多喜浜塩田などの塩浜築造に尽力している。
元文3年(1738年)3月16日、33歳で死去し、跡を長男・頼邑が継いだ。
系譜
[編集]- 父:松平頼純(1641年-1711年)
- 母:佐藤氏
- 兄弟
- 正室:清性院 - 伊勢国桑名藩主松平忠雅の娘
- 側室:梁田氏
- 三女:知衛姫(1737年-1796年) - 植村家道正室
- 側室:林氏
- 四女:嘉代姫(1730年-1756年) - 松平頼央正室