松平信友 (吉井藩主)
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保2年4月22日(1717年6月1日)[1] |
死没 | 宝暦10年3月7日(1760年4月22日) |
改名 | 亀丸(幼名)→信友 |
戒名 | 瑞琳院殿義山了空大居士 |
墓所 | 東京都新宿区富久町の自証院 |
官位 | 従四位下、侍従、中務大輔、越前守、式部大輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上野吉井藩主 |
氏族 | 鷹司松平家 |
父母 | 父:松平信清 |
兄弟 | 信友、潔姫(伊達村信婚約者) |
妻 | 松平頼明の娘 |
子 |
信明、房恭 養子:信有 |
松平 信友(まつだいら のぶとも)は、上野吉井藩の第2代藩主。鷹司松平家4代。
初代藩主・松平信清の長男。享保9年(1724年)、父の死去により跡を継ぐ。享保12年(1727年)8月28日、将軍徳川吉宗に拝謁する。同年12月18日、従四位下・侍従・中務大輔に叙任する。宝暦3年(1753年)、陣屋を矢田から吉井に移す。宝暦10年(1760年)3月7日、44歳で死去し、跡を養嗣子の信有が継いだ。