富澤誠造
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Seizou Tomizawa | |
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基本情報 | |
名前 | 富澤 誠造 |
生年月日 | 1919年??月??日 |
没年月日 | 1978年??月??日 |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県東葛飾郡沼南町(現・柏市) |
経歴 |
富澤 誠造(とみざわ せいぞう、1910年(明治43年)月日 - 1978年(昭和53年)月日)は、千葉県出身のゴルフ場設計者。
人物
[編集]富澤誠造は、1910年(明治43年)、千葉県東葛飾郡に生まれ、1924年(大正14年)14歳で、「武蔵野カンツリー倶楽部・六実コース」(1930年(昭和5年)、「武蔵野カンツリー倶楽部・藤ヶ谷コース」開場、1944年(昭和19年)閉鎖)のグリーンキーパーとして働いた[1]。
1950年(昭和25年)、ゴルフ場の工事を得意とする安達建設の設計部に入社、井上誠一の下で「川崎国際カントリー倶楽部」(現・川崎国際生田緑地ゴルフ場)の工事監督として働きながら、井上からゴルフ場の設計を学んだ[1]。
1957年(昭和32年)、富澤のコース設計第1号である「千葉カントリークラブ・川間コース」が開場した[1]。1955年(昭和30年)から1965年(昭和40年)の間、ゴルフ場の建設ブームが訪れ、息子の富澤廣親と共同で100コース以上の設計を行った[1]。ゴルフ場の設計件数では、国内で一番の設計家だった[1]。
富澤に仕事が多かったのは、グリーンキーパー出身であったこと、コース管理が容易な設計を心掛けたことである[1]。グリーンの設計では、メイングリーン、サブグリーンという従来の2グリーンの手法でなく、2グリーンとも同じ距離とし、グリーン管理を容易にした[1]。
主な設計コース
[編集]- 1957年(昭和32年)
- 「千葉カントリークラブ・川間コース」千葉県野田市
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 1961年(昭和36年)
- 「小田原湯本カントリークラブ」神奈川県足柄下郡箱根町
- 「藤ケ谷カントリークラブ」千葉県柏市[3]
- 1962年(昭和37年)
- 「仙台カントリー倶楽部」宮城県名取市[4]
- 「高根カントリー倶楽部」埼玉県比企郡滑川町[5]
- 「船橋カントリークラブ」千葉県白井市
- 「那須国際カントリークラブ」栃木県那須郡那須町
- 「武蔵野ゴルフクラブ」(改造設計)東京都八王子市
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)
- 「総武カントリークラブ」千葉県印西市
- 「長野カントリークラブ」長野県長野市
- 1965年(昭和40年)
- 「KOSHIGAYA GOLF CLUB」(旧・越谷ゴルフ倶楽部)埼玉県吉川市
- 「新津カントリークラブ」新潟県新潟市[6]
- 1966年(昭和41年)
- 「湯の浜カントリークラブ」山形県鶴岡市
- 「安達太良カントリークラブ」福島県二本松市[7]
- 「キャスコ花葉CLUB・本コース、花葉コース」千葉県成田市[8]
- 「富士箱根カントリークラブ」静岡県伊豆の国市
- 1968年(昭和43年)
- 「佐倉カントリー倶楽部」千葉県佐倉市[9]
- 「ニューセントラルゴルフ倶楽部」栃木県宇都宮市[10]
- 1969年(昭和44年)
- 「レインボーカントリー倶楽部」神奈川県足柄上郡中井町[11]
- 1970年(昭和45年)
- 「日本カントリークラブ」埼玉県入間郡越生町[12]
- 「房州カントリークラブ」千葉県館山市[13]
- 1971年(昭和46年)
- 「松本カントリークラブ」長野県松本市[14]
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)
- 1976年(昭和51年)
- 「大札幌カントリークラブ」北海道札幌市[31]
- 「大日向カントリー倶楽部」栃木県さくら市[32]
- 「上毛カントリー倶楽部」(旧・上毛森林カントリー倶楽部)群馬県吾妻郡高山村[33]
- 「賀茂カントリークラブ」広島県東広島市[34]
- 「大山平原ゴルフクラブ」鳥取県西伯郡伯耆町[35]
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 「福島石川カントリークラブ」(2017年(平成29年)閉鎖)福島県石川郡石川町
- 「加茂ゴルフ倶楽部」千葉県市原市[40]
- 「富士カントリー笠間倶楽部」茨城県笠間市[41]
- 「茨城パシフィックカントリー倶楽部」茨城県北茨城市[42]
- 「御殿場東名ゴルフクラブ」静岡県御殿場市[43]
- 1979年(昭和54年)
- 「中日カントリークラブ」三重県鈴鹿市[44]
- 1982年(昭和57年)
- 1985年(昭和60年)
- 1995年(昭和70年)
- 「北海道ポロトゴルフクラブ」(旧・北海道白老ゴルフリゾート)北海道白老郡白老町[46]
脚註
[編集]- ^ a b c d e f g 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「井上誠一の下で働いて設計術を学び100以上のコースを設計した」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年3月4日閲覧
- ^ 「修善寺カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「藤ケ谷カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「仙台カントリー倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「高根カントリー倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「新津カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「安達太良カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「キャスコ花葉CLUB」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「佐倉カントリー倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「ニューセントラルゴルフ倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「レインボーカントリー倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「日本カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「房州カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「松本カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「阿寒カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「東蔵王ゴルフ倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「皆川城カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「美野原カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「白帆カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「東ノ宮カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「足柄森林カントリー倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「島ヶ原カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「高松グランドカントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「有明カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「セント旭川ゴルフ倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「万木城カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「管平グリーンゴルフ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「サニーカントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「日本原カンツリー倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「北山カントリー倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「大札幌カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「大日向カントリー倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「上毛カントリー倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「賀茂カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「大山平原ゴルフクラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「スパリゾートハワイアンズ・ゴルフコース」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「鶴カントリー倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「あさひヶ丘カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「蒲生ゴルフ倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「加茂ゴルフ倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「富士カントリー笠間倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「茨城パシフィックカントリー倶楽部」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「御殿場東名ゴルフクラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「中日カントリークラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「水府ゴルフクラブ」、2021年3月4日閲覧
- ^ 「北海道ポロトゴルフクラブ」、2021年3月4日閲覧
関連文献
[編集]- 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「井上誠一の下で働いて設計術を学び100以上のコースを設計した」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年3月4日閲覧