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宮川久次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮川ヒサから転送)

宮川 久次郎(みやかわ きゅうじろう、文久2年2月3日 (1862)-?[1])は、明治日本外交官、銀行家。在広東副領事、在香港副領事、在ニューヨーク一等総領などを歴任した。

人物

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東京府出身。高等商業学校(現一橋大学)卒業後、外務省入省[2][3][1]森有礼文部大臣による上申により[4]、1888年に交際官試補と兼任して母校高等商業学校教諭に任じられ[5]、統計を講じた[4]。1889年広東副領事[6]。同年汕頭副領事及び瓊州副領事を兼務[7]。1890年香港副領事[8]。1895年ニューヨーク一等領事[9]。1897年に非職となり[10]、のち横浜正金銀行副支配人などを務めた[2][1]。1900年叙正六位[11]。1908年の申酉事件では、成瀬隆蔵図師民嘉村瀬春雄八十島親徳と大学問題実行委員に就任。文部大臣らの説得に尽力し、母校防衛に貢献した[12][13]

家族

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栄典

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脚注

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  1. ^ a b c 宮川久次郞 (第4版 [大正4(1915)年1月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
  2. ^ a b 『東京商業学校五十年史』東京商業学校編 昭14
  3. ^ 東京高等商業学校一覧 明治25-26年
  4. ^ a b 坂野鉄也「初期高等商業学校における経済学教育:1893年までの東京高等商業学校における「經濟」と「統計」」『滋賀大学経済学部研究年報』第27巻、滋賀大学経済学部、2020年12月、13-24頁、CRID 1050287462748558848hdl:10441/00016318ISSN 1341-1608 
  5. ^ 官吏進退・明治二十一年官吏進退十二・文部省一 交際官試補宮川久次郎高等商業学校教諭兼任ノ件
  6. ^ 在広東領事館アジア歴史資料センター
  7. ^ 官報 1889年07月30日
  8. ^ 1890年04月22日
  9. ^ 官報 1895年06月27日
  10. ^ 官報 1897年09月14日
  11. ^ 官報 1900年12月01日
  12. ^ 「海上保険学の父。村瀬文庫寄贈。申酉事件を解決し、廃校の危機から母校を救う。(1871~1924)」一橋新聞
  13. ^ 「4「一橋商科大学実現論」に発展」如水会
  14. ^ a b 宮川盛『大正名家録』原田道寛 二六社編纂局 1915
  15. ^ a b 宮川三一『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  16. ^ a b 宮川久次郎『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月]
  17. ^ 宮川ヒサ大衆人事録 [全国篇] 12版、1937
  18. ^ 『栃木県職員録 明治18年4月改正』p30
  19. ^ 『あるおんな共産主義者の回想』福永操、れんが書房新社、p38
  20. ^ 桜蔭学園沿革学校法人桜蔭学園
  21. ^ 【女性×柔道】女子柔道の始まりについて志道館、2021年10月20日
  22. ^ 『人事興信録 第14版 下』1943「田村敏雄」
  23. ^ 田村敏雄伝―自民党派閥宏池会初代事務局長・池田勇人の高度成長政策を支えた人物小林英夫『アジア太平洋討究』No. 28( 2017)
  24. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』1943「宮川ヒサ」
  25. ^ 『テレビ創業期の人たちの証言集1~7』(1978 年)米倉律、放送研究と調査、2011.7
  26. ^ 第46回国会 衆議院 逓信委員会 第28号 昭和39年6月5日国会会議録
  27. ^ 官報 1888年07月21日