コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

宮原秀夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮原 秀夫みやはら ひでお
生誕 (1943-06-21) 1943年6月21日
日本の旗 日本 大阪府大阪市
死没 (2024-07-12) 2024年7月12日(81歳没)
居住 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
研究分野 計算機科学
研究機関 大阪大学
京都大学
情報通信研究機構
出身校 大阪大学
主な業績 インターネットに代表されるコンピュータネットワークのモデル化と性能評価を学問領域として確立
主な受賞歴 電子情報通信学会功績賞(2008年)
大川賞(2021年)
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

宮原 秀夫(みやはら ひでお、1943年6月21日 - 2024年7月12日)は、日本計算機科学者工学博士。位階は従三位、叙勲は瑞宝大綬章情報通信研究機構理事長大阪府立産業技術総合研究所所長・財団法人地球環境センター理事長。

人物

[編集]

大阪市生まれ。大阪府立高津高等学校を経て大阪大学大学院工学研究科博士課程出身。文部科学省国立大学法人評価委員会委員長代理(第四期)。

専門は情報ネットワーク[1]インターネットに代表されるコンピュータネットワークのモデル化と性能評価を学問領域として確立。それを基礎理論としたネットワーク設計手法を導入し、コンピュータネットワークの実用化に大きな道を拓いた。近年、爆発的に普及しているインターネットはARPANETから発展してきたものであるが、ARPANETプロジェクトの発足当初に、インターネットにおける回線交換技術に対するパケット交換技術の優位性を理論的に証明した。

その後LAN(構内網)の研究に着手し、LANにおける多重アクセス制御方式に関する研究成果は、LANアーキテクチャの方向性を決定付けることとなった。現在、LAN、特にイーサネットは、構内における分散処理システムの基盤技術としてだけでなく、インターネットへのアクセス手段としても重要な技術となっている。

1980年代終りからATM(非同期転送モード)方式の研究を開始し、ATM LANの研究では企業との共同研究で新しいスイッチアーキテクチャを設計・提案。その性能評価によって他のアーキテクチャに対する優位性を示した。

2024年7月12日に白血病のため、自宅で死去した[2][3]。81歳没。死没日付をもって従三位に叙され、瑞宝大綬章を追贈された[4]

略歴

[編集]
  • 1963年3月 - 大阪府立高津高等学校卒業
  • 1967年3月 - 大阪大学工学部通信工学科卒業[1][5]
  • 1969年3月 - 大阪大学大学院工学研究科通信工学専攻修士課程修了[1]
  • 1972年3月 - 大阪大学大学院工学研究科通信工学専攻博士課程単位修得退学[1][5][6]
  • 1972年4月 - 日本学術振興会奨励研究員
  • 1973年1月 - 大阪大学工学部助手[1]
  • 1973年1月 - 工学博士(大阪大学) 論文名 「確率回路網および計算機網に関する研究」
  • 1973年4月 - 京都大学工学部助手[1]
  • 1980年4月 - 大阪大学基礎工学部助教授[1][5]
  • 1981年8月 - 大阪大学情報処理教育センター助教授[1]
  • 1983年4月 - 大阪大学基礎工学部助教授[1]
  • 1987年1月 - 大阪大学大型計算機センター教授[1][6]
  • 1989年10月 - 大阪大学基礎工学部教授[1][6]
  • 1995年4月 - 大阪大学大型計算機センター長[1][5]
  • 1997年4月 - 大阪大学大学院基礎工学研究科教授[1]
  • 1998年4月 - 大阪大学大学院基礎工学研究科長・基礎工学部長[1][5][6]
  • 2000年4月 - 大阪大学留学生センター長[1][5][6]
  • 2002年4月 - 大阪大学大学院情報科学研究科長[1][5][6]
  • 2003年8月26日 - 第15代大阪大学総長(2007年8月25日まで)[1][5][6]
  • 2007年6月25日 - 財団法人地球環境センター理事長[6]
  • 2007年9月1日 - 情報通信研究機構理事長(2013年3月31日まで)[5][6]
  • 2009年7月5日 - 一般社団法人 臨床医工情報学コンソーシアム関西会長[7]
  • 2013年6月25日 - 大阪ガス株式会社取締役[8]

受賞歴

[編集]

主な著書

[編集]

単著

[編集]

共著

[編集]

共編著

[編集]

脚注・出典

[編集]