在サンパウロ日本国総領事館
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在サンパウロ日本国総領事館 Consulado Geral do Japão em São Paulo | |
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所在地 | ブラジル・ サンパウロ |
住所 | Avenida Paulista, 854, 3º andar, CEP 01310-913 São Paulo - SP - Brasil |
座標 | 座標: 南緯23度33分55.7秒 西経46度39分1.5秒 / 南緯23.565472度 西経46.650417度 |
開設 | 1915年7月14日 |
管轄 | サンパウロ・ マットグロッソ州・ マットグロッソ州・ ミナスジェライス州西部 |
総領事 | 清水享 |
ウェブサイト | www |
在サンパウロ日本国総領事館(ポルトガル語: Consulado Geral do Japão em São Paulo、英語: Consulate-General of Japan in São Paulo)は、ブラジル最大の都市サンパウロに設置されている日本の総領事館である。
2018年10月1日時点で管轄区域内の在留邦人数は3万7787人となっており、これは在外公館別で第7位、南米では最大規模である[1]。
沿革
[編集]- 1913年5月、在ブラジル日本帝国大使館一等書記官の松村貞雄が初代サンパウロ総領事を拝命し、総領事館開設よりも先に、既に1万人規模に膨れ上がっていた日系移民一世の地位向上に奔走する[2]
- 1914年8月2日、在リオデジャネイロ日本帝国総領事館所轄の在サンパウロ出張事務所を設置する形でサンパウロ市内での領事業務が開始される[2]
- 1915年7月14日、在サンパウロ日本帝国総領事館が正式に開設され、総領事を拝命してから既にブラジル在勤3年目に突入していた松村総領事が初代館長に就任する[2]
- 1915年8月3日、それまで日系移民が耕作地を所有しておらず小作人としての地位に留まっていた事実を憂慮した松村総領事が、現地で耕作経験のある平野運平を招き、既にブラジル人地主から購入していた未開拓の土地ノロエステ(現・サンパウロ州カフェランジア市トレスバラス地区)を開墾することで日系移民に農地を所有させるという計画を実行する[3][2]
- 1942年1月19日、大日本帝国とブラジルの国交が断絶され、在サンパウロ日本帝国総領事館を含む在ブラジル日本公館が閉鎖される[4]
- 1945年6月6日、ブラジルが大日本帝国に宣戦布告する[4]
- 1945年8月15日、第二次世界大戦の敗戦により大日本帝国が崩壊[5]
- 1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効により日本国が独立、ブラジルも同条約締結国のうちの一国[6]
- 在サンパウロ日本国総領事館として再開される
所在地
[編集]Avenida Paulista, 854, 3º andar, CEP 01310-913 São Paulo - SP - Brasil[7]
管轄地域
[編集]サンパウロ州、マットグロッソ州、マットグロッソ・ド・スル州及び三角ミナス地域(ミナスジェライス州西部)を管轄[7]。
著名な在勤者
[編集]出典
[編集]- ^ 海外在留邦人数調査統計 統計表一覧 | 外務省
- ^ a b c d 松村 貞雄(まつむら・さだお) | サンパウロ人文科学研究所
- ^ 松村総領事の在任中、日系移民の開拓地ノロエステではマラリアが猖獗を極めて70名以上が亡くなったり、イナゴに食い荒らされて作物が全滅するなどといった苦難の時期があり、困窮を極めた開拓地のために松村総領事個人が8コントス(当時の邦貨換算で約4000円、平成時代の400~500万円に相当)を肩代わりしたこともあった。
- ^ a b JANM/INRP-移民史-ブラジル
- ^ 山田朗「日本の敗戦と大本営命令」『駿台史学』第94号、明治大学史学地理学会、1995年3月、132-168頁、ISSN 05625955、NAID 120001439091。
- ^ VI 平和条約の批准・発効
- ^ a b 総領事館の紹介 : 在サンパウロ日本国総領事館
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 在サンパウロ日本国総領事館、同
- 在サンパウロ日本国総領事館 (@ConsGeralJPN_SP) - X(旧Twitter)
- 在サンパウロ日本国総領事館 (JapanConsSaoPaulo) - Facebook
- 在サンパウロ日本国総領事館 (@consulgeraljapao_sp) - Instagram
- 我等同胞保護の重任を司る大日本帝国総領事館聖市ブリガンデイロ・ルイス・アントニオ街(標準画像 009-004) | ブラジル移民の100年