在エチオピア日本国大使館
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在エチオピア日本国大使館 በኢትዮጵያ የጃፓን ኤምባሲ | |
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所在地 | エチオピア・アディスアベバ |
住所 | Bole Sub-city Woreda 6, House No.431, Addis Ababa, Ethiopia |
座標 | 北緯9度0分41.2秒 東経38度48分23.4秒 / 北緯9.011444度 東経38.806500度座標: 北緯9度0分41.2秒 東経38度48分23.4秒 / 北緯9.011444度 東経38.806500度 |
開設 | 1936年1月(公使館) 1958年4月(大使館) |
大使 | 柴田裕憲 |
ウェブサイト | www |
在エチオピア日本国大使館[1](アムハラ語: በኢትዮጵያ የጃፓን ኤምባሲ、英語: Embassy of Japan in Ethiopia)は、エチオピアの首都アディスアベバにある日本の大使館[2]。
概要
[編集]- 1936年1月1日、在アビシニヤ日本帝国公使館(在エチオピア日本帝国公使館、在エティオピア日本帝国公使館)がアディスアベバに開設される[3][4]
- 1936年12月3日、アディスアベバの帝国公使館が閉鎖される[4]
- 1942年12月1日、エチオピア帝国が日独伊3ヶ国に対して宣戦布告[5]
- 1945年8月15日、第二次世界大戦の敗戦により大日本帝国が崩壊[6]
- 1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効により日本国が独立、エチオピア帝国も同条約締結国のうちの一国[7]
- 1955年、日本とエチオピアの外交関係が回復[3]
- 1955年7月1日、在エチオピア日本国公使館(在エティオピア日本国公使館)の開設が定められる[8]
- 1958年3月31日、公使館に代わって在エチオピア日本国大使館(在エティオピア日本国大使館)の開設が定められる[9]
- 1958年4月、アディスアベバの公使館が大使館に昇格する[3]
- 1974年、革命によりエチオピア帝国が崩壊したが、日本との国交や大使交換は継承[3]
所在地
[編集]出典
[編集]- ^ 在エティオピア日本国大使館とも。2003年の在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の改正まで、ティを用いた「エティオピア」が日本の公文書における正式表記であった。
- ^ a b 在エチオピア日本国大使館 | 外務省
- ^ a b c d エチオピア基礎データ | 外務省
- ^ a b 第2章 戦前期日本の南アフリ力経済事情調査
- ^ David H. Shinn & Thomas P. Ofcansky, "Historical Dictionary of Ethiopia," Scarecrow Press, Inc., p.24
- ^ 山田朗「日本の敗戦と大本営命令」『駿台史学』第94号、明治大学史学地理学会、1995年3月、132-168頁、ISSN 05625955、NAID 120001439091。
- ^ VI 平和条約の批准・発効
- ^ 法律第四十二号(昭三〇・七・一) ◎在外公館の名称及び位置を定める法律等の一部を改正する法律 | 衆議院
- ^ 法律第二十七号(昭三三・三・三一) ◎在外公館の名称及び位置を定める法律等の一部を改正する法律 | 衆議院
- ^ 大使館情報 | 在エチオピア日本国大使館