在リビア日本国大使館
在リビア日本国大使館 سفارة اليابان في ليبيا | |
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所在地 | リビア |
住所 | Terraced House A 103 & 104, Palm City Residences, Sidi Abdul Jalil, Janzour, Tripoli |
座標 | 北緯32度50分57.0秒 東経13度2分29.0秒 / 北緯32.849167度 東経13.041389度座標: 北緯32度50分57.0秒 東経13度2分29.0秒 / 北緯32.849167度 東経13.041389度 |
開設 | 1957年(兼轄公使館) 1962年(兼轄大使館) 1973年(大使館実館) |
移転 | 2014年(臨時事務所、カイロ) 2018年(臨時事務所、チュニス) 2024年(大使館実館、トリポリ) |
大使 | 新村出 |
管轄 | リビア |
ウェブサイト | www |
在リビア日本国大使館(アラビア語: سفارة اليابان في ليبيا、英語: Embassy of Japan in Libya)は、リビアの首都トリポリにある日本の大使館。
沿革
[編集]1957年3月30日、来たる外交関係樹立に先駆けて在リビア日本国公使館の新設が定められた[1]。同年6月、日本がリビア王国と外交関係を樹立[2]。但し、この年に新設された日本の公使館は、リビアではなく他国に特命全権公使が常駐する兼轄公使館であった[3]。
1962年3月20日、公使館に代わって在リビア日本国大使館を設置することが定められた[4]。この時もリビアではなく他国に特命全権大使が常駐する兼轄大使館であり、遅くとも1962年までに在トリポリ日本国名誉領事館が開設されている[5]。なお、王政時代末期の1969年4月1日時点で、カイロの在アラブ連合共和国(エジプト)日本国大使館がリビアを兼轄していることを史料で確認できる[6]。
1969年9月、ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)主導のクーデターによってリビアの王政が崩壊したが、日本との国交は継承[2]。
1973年1月、トリポリに在リビア日本国大使館の実館が開設された[2]。
2011年8月、1969年のクーデターから42年間リビアを統治していたアル=カッザーフィー(カダフィ)が内戦により逃亡して反体制派のリビア国民評議会が首都トリポリを占領、リビア全土を掌握し、カダフィ政権が崩壊したが、日本との国交は継承[2]。
アル=カッザーフィー(カダフィ)体制の崩壊は、リビアに平和と繁栄ではなくむしろ首都トリポリと東部の主要都市ベンガジを拠点とする各政治勢力の東西対立による政情不安をもたらし、2021年12月に執行が予定されていた大統領選挙が実施できないほどであった[7]。
このような情勢不安を踏まえて、2014年7月にトリポリの在リビア日本国大使館を一時閉館し、当初はカイロの在エジプト日本国大使館内において、次いで2018年3月から2024年1月にかけてはチュニスの在チュニジア日本国大使館内の臨時事務所を拠点として、邦人保護を含む大使館業務が行われた[8]。
2023年11月6日、新村出が在リビア大使に任命された[9]。但し、すぐには現地に赴任せず東京を拠点に対リビア外交に従事していた[10]。
2024年1月15日、トリポリの在リビア日本国大使館が再開[8]。同年2月1日、約10年ぶりの常駐大使として新村大使が着任した[11]。
住所
[編集]Terraced House A 103 & 104, Palm City Residences, Sidi Abdul Jalil, Janzour, Tripoli[8]
出典
[編集]- ^ 法律第十一号(昭三二・三・三〇) ◎在外公館の名称及び位置を定める法律等の一部を改正する法律
- ^ a b c d リビア基礎データ | 外務省
- ^ 『わが外交の近況 昭和32年9月』「資料 > ◎わが国の在外公館一覧表」
- ^ 法律第十二号(昭三七・三・二〇) ◎在外公館の名称及び位置を定める法律の一部を改正する法律
- ^ 『わが外交の近況(第7号) 昭和38年8月』「付表 > わが国の在外公館およびわが国に置かれている外国公館一覧表」
- ^ 『わが外交の近況 昭和43年度(第13号)』「第4部 付表 > わが国の在外公館一覧表(昭和44年4月1日現在)」
- ^ リビア大統領選、実施は困難 東西の対立深刻化 - 産経ニュース
- ^ a b c 在リビア日本国大使館の再開について | 外務省
- ^ 令和五年十一月六日付人事異動 | 外務省
- ^ 第1回日本・リビア経済フォーラムの開催について | 外務省
- ^ 館長挨拶 | 在リビア日本国大使館