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四家秀治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
よつや ひではる
四家 秀治
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 千葉県松戸市
生年月日 (1958-08-18) 1958年8月18日(66歳)
血液型 AB
最終学歴 同志社大学工学部
職歴 RKB毎日放送アナウンサー(1983年 - 1987年)
TBSビジョンアナウンサー(1988年 - 1989年)
テレビ東京アナウンサー(1990年 - 1995年3月=契約社員、1995年4月 - 2007年6月=正社員
テレビ東京報道局記者(2007年7月 - 2008年6月)
テレビ東京スポーツ局企画委員(2008年7月 - 2011年7月)
活動期間 1983年 - 2007年6月、2011年7月 -
ジャンル スポーツ中継
出演番組・活動
出演中 tvkプロ野球中継 横浜DeNAベイスターズ熱烈LIVE
出演経歴 全力闘球
ボウリング中継
ほか

四家 秀治(よつや ひではる、1958年8月18日[1] - )は、千葉県松戸市出身のフリーアナウンサー。血液型AB型。海城高等学校同志社大学工学部卒業。

来歴・人物

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ラグビーが好きだった父親の影響を受け、千葉県松戸市立小金小学校、東京都中央区立第一中学校(現銀座中学校)、海城高等学校在学中は秩父宮ラグビー場などで、各種大学ラグビーを観戦。大学は、「大学ラグビーの名門で、自分の好きな大学ラグビーチーム」との理由で、以前から憧れていた同志社大学に入学。大学では、体育会機関紙『同志社スポーツ アトム』を通して、ラグビー部の活躍を伝える事に熱中した。

卒業後、RKB毎日放送へ入社。同局のラジオ番組『歌謡曲ヒット情報』、『サンデーポップショット』、『コーク・パーティミュージック』、『RKBエキサイトナイター』などを担当。1988年から1989年には、TBSグループの番組制作会社・TBSビジョン('88年まで、TBS映画社)に所属し、同社が制作協力するテレビ埼玉の『TVSライオンズアワー』で実況を務めた。

1990年から5年間テレビ東京の契約社員アナウンサーを経て1995年にテレビ東京へ正式に正社員として再就職。主にプロ野球ラグビーサッカーボウリングプロボクシングプロレス中央競馬といったスポーツ中継の実況を担当していたが、時には各種番組ナレーション(『日本のタクシーが行く』ほか)なども務めることもあった。

2000年には、シドニーオリンピックテレビ中継でジャパンコンソーシアムを通じ、実況を務めた。

2007年7月に報道局へ異動。教養番組である『トコトンハテナ』のプロデューサーを務めた。2008年7月からはスポーツ局に異動。ボウリング実況として活動していた縁により、専門誌の連載コラムを担当していたほか、2011年3月までの間、東京運動記者クラブボウリング分科会代表幹事と、ボウリング評議会理事を務めた[2]

2011年7月にテレビ東京を退社し、フリーアナウンサーとなる[2]

出演番組

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フリー
テレビ東京時代(系列の衛星放送BSジャパンも含む)
RKB時代
TBSビジョン在籍時

制作番組

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雑誌連載

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  • 四家秀治のボウリングLOVE(ボウリング・マガジン。2008年8月号から2010年8月号まで連載)
  • 四家秀治の「ナイス!ピンアクション」(全国ボウリング公認競技場協議会「全公共たより」。2011年6月1日号より連載。ウェブページとしても掲載)

脚注

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  1. ^ a b c DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、282頁。
  2. ^ a b 外部リンク(『全国ボウリング公認競技場協議会…』)参照。

外部リンク

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以下、過去のテレビ東京公式HP内プロフィールページのインターネットアーカイブにおける保存キャッシュ一覧。