山田康夫
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山田 康夫(やまだ やすお、1941年2月15日 - 1990年3月5日)は元NHKチーフアナウンサー。
やまだ やすお 山田 康夫 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本・山梨県甲府市 |
生年月日 | 1941年2月15日 |
没年月日 | 1990年3月5日(49歳没) |
最終学歴 | 中央大学法学部卒業 |
職歴 | NHKアナウンサー |
活動期間 | 1963年 - 1989年 |
ジャンル | スポーツ(大相撲、競馬中継) |
担当番組・活動 | |
人物
[編集]山梨県甲府市出身。中央大学法学部を卒業後、1963年に入局。同期に森本毅郎(現フリー)、加賀美幸子などがいる。入局の翌年から大相撲の実況中継を晩年まで担当するなど、様々なスポーツの実況中継で活躍した。
当時のNHKアナウンサーとしてはややテンションが高いアナウンスであったが、念入りな下調べに基づいて実況に差し挟まれる情報の正確さや、放送中の機転や気配りで、大相撲実況中継の名アナウンサーとして角界からの信頼も厚かった。昭和最後の場所となった1988年11月場所で、横綱千代の富士が横綱大乃国に敗れ、連勝が53でストップした取組も山田が実況していた。
また、山田は草野仁(現:フリー)と共にNHK競馬中継も担当していた。ミスターシービーが三冠馬となった1983年の牡馬クラシックレース(皐月賞、菊花賞)のNHK中継の実況を担当した。
さらに、韓国で初めて開催された1988年のソウルオリンピックの男子柔道95kg超級の実況を担当したアナウンサーも山田だった。この階級で斉藤仁が金メダルを獲得した。
1989年9月場所の大相撲中継を最後に[1]、体調不良のため入退院を繰り返す[2]ようになり、翌1990年3月5日、脳内出血のため在職のまま49歳で死去した。
主な実況歴
[編集]- 皐月賞(1983年~1988年)
- 天皇賞(春)(1983年)
- NHK杯(1983年~1987年)
- 東京優駿(1983年~1987年)
- 菊花賞(1983年)
- 天皇賞(秋)(1983年、1984年、1986年)
- 有馬記念(1983年~1986年、1988年)