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呂号第五潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呂5から転送)
艦歴
計画 大正6年度計画[1]
起工 1920年3月1日[1]
進水 1921年9月17日[1]
就役 1922年3月9日[1]
除籍 1932年4月1日[1]
その後 1933年12月15日雑役船編入、橋船に指定[2]
終戦まで佐世保で使用[2]
性能諸元
排水量 基準:689トン 常備:740トン
水中:1,047トン
全長 65.58m
全幅 6.07m
吃水 4.04m
機関 フィアット式ディーゼル2基2軸
水上:2,600馬力
水中:1,200馬力
速力 水上:14.27kt
水中:8.01kt
航続距離 水上:10ktで3,500海里
水中:4ktで75海里
燃料 重油
乗員 43名
兵装 機銃1挺
45cm魚雷発射管 艦首3門、艦尾2門
魚雷8本
備考 安全潜航深度:30.5m

呂号第五潜水艦(ろごうだいごせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂三型潜水艦(F2型)の3番艦。竣工時の艦名は第三十三潜水艦

艦歴

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1920年大正9年)3月1日、神戸川崎造船所で起工。1921年(大正10年)9月17日進水。1922年(大正11年)3月9日竣工。竣工時の艦名は第三十三潜水艦、二等潜水艦に類別[1]1924年(大正13年)11月1日、呂号第五潜水艦に改称[1]1932年昭和7年)4月1日に除籍。

1933年(昭和8年)12月15日、雑役船に編入され、橋船となった。終戦まで佐世保で使用された。

呂一型潜水艦よりも速力が3ノット低下し、艦隊に随伴する能力がないと判断され、鎮守府の警備艦として使用された[3]

歴代艦長

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※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長

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  • (心得)原田文一 少佐:1921年8月1日[4] -

艦長

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  • 原田文一 少佐:1922年3月9日[5] - 9月20日[6]
  • 横山菅雄 少佐:1922年9月20日 - 1923年3月10日
  • (心得)森徳治 大尉:1923年3月10日 - 10月20日
  • (心得)内藤淳 大尉:1923年10月20日[7] - 1924年5月30日[8]
  • (心得)矢野美年 大尉:1924年5月30日[8] - 1925年12月1日[9]
  • 大和田昇 大尉:1925年12月1日 - 1926年12月1日

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『日本海軍史』第7巻、366-367頁。
  2. ^ a b 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇艦歴表」16頁。
  3. ^ 『日本海軍の潜水艦』23頁。
  4. ^ 『官報』第2701号、大正10年8月2日。
  5. ^ 『官報』第2880号、大正11年3月11日。
  6. ^ 『官報』第3043号、大正11年9月21日。
  7. ^ 『官報』第3350号、大正12年10月22日。
  8. ^ a b 『官報』第3530号、大正13年5月31日。
  9. ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。

参考文献

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  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。