呂号第十一潜水艦
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艦歴 | |
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計画 | 大正5年度計画[1] |
起工 | 1917年4月25日[1] |
進水 | 1917年10月25日[1] |
就役 | 1919年7月31日[1] |
除籍 | 1932年4月1日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:720トン 常備:735トン 水中:1,000トン |
全長 | 69.19m |
全幅 | 6.35m |
吃水 | 3.43m |
機関 | ズルツァー式[2]2号ディーゼル2基 電動機、2軸 水上:2,600馬力 水中:1,200馬力 |
速力 | 水上:18.2kt 水中:9.1kt |
航続距離 | 水上:10ktで4,000海里 水中:4ktで85海里 |
燃料 | 重油:60トン |
乗員 | 46名 |
兵装 | 28口径8cm高角砲1門 45cm魚雷発射管 艦首4門、舷側2門 魚雷10本 |
備考 | 安全潜航深度:30m |
呂号第十一潜水艦(ろごうだいじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂十一型潜水艦(海中1型)の1番艦。竣工時の艦名は第十九潜水艦。
艦歴
[編集]1917年(大正6年)4月25日、呉海軍工廠で起工。同年10月25日進水。1919年(大正8年)7月31日竣工。竣工時の艦名は第十九潜水艦、二等潜水艦に類別[1]。1924年(大正13年)11月1日、呂号第十一潜水艦に改称[1]。1932年(昭和7年)4月1日に除籍。
就役直後から機関の故障が頻発し、1921年(大正10年)の台湾方面長期巡航訓練では途中で落伍した[3]。
歴代艦長
[編集]※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
艦長
[編集]- (心得)春日篤 大尉:1920年12月1日 - 1921年12月1日
- (心得)中川順吉 大尉:1921年12月1日[4] - 1922年1月20日[5]
- (心得)宇垣完爾 大尉:1922年1月20日 - 1923年12月1日
- (心得)原田覚 大尉:1923年12月1日 - 1924年12月1日[6]
- 斎藤栄章 大尉:1924年12月1日[6] - 1925年9月16日[7]
- 上条深志 大尉:1925年9月16日 - 12月1日
- 福田勇 大尉:1925年12月1日[8] - 1926年4月1日[9]
- (兼)関本織之助 少佐:1926年4月1日[9] - 9月15日[10]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。