呂号第五十六潜水艦 (初代)
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艦歴 | |
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計画 | 大正6年度計画[1] |
起工 | 1920年7月10日[1] |
進水 | 1921年5月11日[1] |
就役 | 1922年1月16日[1] |
除籍 | 1940年4月1日[1] |
その後 | 1940年4月1日廃潜第13号と仮称[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:893トン 常備:886.2トン 水中:1,075.2トン |
全長 | 70.59m |
全幅 | 7.16m |
吃水 | 3.90m |
機関 | ヴィッカース式ディーゼル2基2軸 水上:2,400馬力 水中:1,600馬力 |
速力 | 水上:17kt 水中:10.2kt |
航続距離 | 水上:10ktで5,500海里 水中:4ktで80海里 |
燃料 | 重油 |
乗員 | 45名 |
兵装 | 短8cm高角砲1門 45cm魚雷発射管 艦首4門、舷側2門 魚雷10本 |
備考 | 安全潜航深度:60m |
呂号第五十六潜水艦(ろごうだいごじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂五十三型潜水艦(L2型)の4番艦。竣工時の艦名は第三十潜水艦。
艦歴
[編集]1920年(大正9年)7月10日、三菱神戸造船所で起工。1921年(大正10年)5月11日進水。1922年(大正11年)1月16日竣工。竣工時の艦名は第三十潜水艦[2]、二等潜水艦に類別[1]。 1924年(大正13年)11月1日、呂号第五十六潜水艦に改称。1938年(昭和13年)6月1日、艦型名を呂五十三型に改正[3]。1940年(昭和15年)4月1日に除籍され、廃潜第13号と仮称。
呂五十一型潜水艦に比べて、主機、電池などの国産化を進めた[4]。
歴代艦長
[編集]※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
艤装員長
[編集]艦長
[編集]- 松岡弘人 少佐:1922年1月21日[6] - 12月1日[7]
- (心得)関本織之助 大尉:1922年12月1日[7] - 1923年12月1日[8]
- 関本織之助 少佐:1923年12月1日[8] - 1924年12月1日[9]
- 原田覚 大尉:1924年12月1日[9] - 1925年12月1日[10]
- 貴島盛次 大尉:1925年12月1日[10] - 1928年4月1日[11]
- 佐々木半九 大尉:1928年4月1日 - 1929年11月30日
- 長井満 少佐:1929年11月30日 - 1931年12月1日
- 小林一 大尉:1931年12月1日 - 1933年9月1日
- 永井宏明 少佐:1933年9月1日[12] - 1933年11月15日[13]
- (兼)山本皓 大尉:1933年11月15日[13] - 1934年11月15日[14]
- (兼)殿塚謹三 大尉:1934年11月15日[14] - 12月15日[15]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『日本海軍史』第7巻、370頁。
- ^ 大正13年11月1日付 海軍大臣官房 官房第3305号。
- ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
- ^ 『日本海軍の潜水艦』28頁。
- ^ 『官報』第2752号、大正10年10月3日。
- ^ a b 『官報』第2840号、大正11年1月23日。
- ^ a b 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
- ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ 『官報』第376号、昭和3年4月2日。
- ^ 『官報』第2003号、昭和8年9月2日。
- ^ a b 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
- ^ a b 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
- ^ 『官報』第2389号、昭和9年12月17日。
参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0462-8
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。