呂号第六十二潜水艦
表示
艦歴 | |
---|---|
計画 | 大正12年度艦艇補充計画 |
起工 | 1922年9月8日 |
進水 | 1923年9月29日 |
就役 | 1924年7月24日 |
除籍 | 1945年11月20日 |
その後 | 1946年5月 伊予灘で海没処分 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:988トン 常備:1,060.3トン 水中:1,301トン |
全長 | 76.20m |
全幅 | 7.38m |
吃水 | 3.96m |
機関 | ヴィッカース式ディーゼル2基2軸 水上:2,400馬力 水中:1,600馬力 |
速力 | 水上:15.7kt 水中:8.6kt |
航続距離 | 水上:10ktで5,500海里 水中:4ktで80海里[1] |
燃料 | 重油 |
乗員 | 48名 |
兵装 | 40口径8cm単装砲1門 53cm魚雷発射管 艦首6門 魚雷12本 |
備考 | 安全潜航深度:60m |
呂号第六十二潜水艦(ろごうだいろくじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂六十型潜水艦(L4型)の3番艦。竣工時の艦名は第七十三潜水艦。
艦歴
[編集]- 1922年(大正11年)9月8日 - 三菱神戸造船所で起工。
- 1923年(大正12年)9月29日 - 進水
- 1924年(大正13年)7月24日 - 竣工。第七十三潜水艦と命名。第26潜水隊に編入。
- 11月1日 - 呂号第六十二潜水艦に改名。
- 1928年(昭和3年)7月10日 - 予備艦となる[2]。
- 1931年(昭和6年)11月14日 - 予備艦となる[2]。
- 1934年(昭和9年)11月15日 - 予備艦となる[2]。
- 1938年(昭和13年)6月1日 - 艦型名を呂六十型に改正[3]。
- 1941年(昭和16年)12月8日 - 第7潜水戦隊第26潜水隊所属として、クェゼリンで待機[4]
- 1942年(昭和17年)1月5日 - マーシャル防備部隊に編入[4]。
- 1945年(昭和20年)8月15日 - 終戦時は舞鶴に所在[5]。
- 11月20日 - 除籍
- 1946年(昭和21年)5月 - 米軍により伊予灘にて海没処分[2]。
歴代艦長
[編集]※『艦長たちの軍艦史』463-464頁及び『官報』による。階級は就任時のもの。
艤装員長
[編集]- 不詳
艦長
[編集]- 堀江吉正 少佐:1924年7月24日[6] - 1925年12月1日[7]
- 福沢常吉 大尉:1925年12月1日 - 1927年12月1日
- 今和泉喜次郎 大尉:1927年12月1日 - 1929年11月1日[8]
- (兼)嘉村嘉六 少佐:1929年11月1日[8] - 1929年11月30日[9]
- 佐々木半九 少佐:1929年11月30日 -
- 魚住治策 少佐:1930年4月24日 -
- 佐々木半九 少佐:不詳 - 1930年12月1日[10]
- 玉木留次郎 少佐:1930年12月1日 - 1931年11月14日
- (兼)鳥居威美 大尉:1931年11月14日[11] - 1932年9月24日[12]
- 岡本義助 少佐:1932年9月24日 - 1934年11月1日
- 大畑正 大尉:1934年11月1日 - 11月15日
- (兼)七字恒雄 少佐:1934年11月15日[13] - 12月15日[14]
- (兼)殿塚謹三 大尉:1934年12月15日[14] - 1935年11月15日[15]
- (兼)伊豆寿市 少佐:1935年11月15日[15] - 1936年2月15日[16]
- (兼)戸上一郎 大尉:1936年2月15日[16] - 12月1日[17]
- 田中万喜夫 少佐:1938年12月15日 - 1940年1月20日[18]
- (兼)大橋勝夫 少佐:1940年10月15日[19] - 1940年10月30日[20]
- 大田武 少佐:1940年10月30日 - 1941年7月31日[21]
- 滝沢是介 少佐:1941年7月31日 -
- 島田武夫 大尉:1942年5月23日 -
- 佐藤作馬 大尉:1942年10月15日 -
- 野村俊治 大尉:1943年3月16日 -
- 榎本泰夫 大尉:1943年8月20日 -
- 筑土龍男 大尉:1943年12月20日 -
- 上拾石康雄 大尉:1944年4月30日 -
- 中川博 大尉:1944年8月25日 -
- 小野信平 大尉:1944年12月15日 -
- 早川尋匡 少佐:1945年7月20日 -
脚注
[編集]- ^ 『艦長たちの軍艦史』による。
- ^ a b c d e 『艦長たちの軍艦史』463-464頁。
- ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』148頁。
- ^ 『日本海軍史』第7巻、371頁。
- ^ 『官報』第3579号、大正13年7月28日。
- ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ a b 『官報』第854号、昭和4年11月2日。
- ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
- ^ 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
- ^ 『官報』第1465号、昭和6年11月16日。
- ^ 『官報』第1723号、昭和7年9月26日。
- ^ 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
- ^ a b 『官報』第2389号、昭和9年12月17日。
- ^ a b 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
- ^ a b 『官報』第2735号、昭和11年2月17日。
- ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第431号 昭和15年1月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077600
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第549号 昭和15年10月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079200
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第681号 昭和16年7月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081600
参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
関連項目
[編集]