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呂号第三十四潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呂34から転送)
艦歴
計画 昭和6年度計画(第一次補充計画
起工 1934年4月25日
進水 1935年12月12日
就役 1937年5月31日
その後 1943年4月5日戦没
除籍 1943年9月15日
性能諸元
排水量 基準:700トン 常備:940トン
水中:1,200トン
全長 73.00m
全幅 6.70m
吃水 3.25m
機関 艦本式21号8型ディーゼル2基
電動機、2軸
水上:3,000馬力
水中:1,200馬力
速力 水上:18.9kt
水中:8.2kt
航続距離 水上:12ktで8,000海里
水中:3.5ktで90海里
燃料 重油:108.7トン
乗員 61名
兵装 40口径八八式8cm高角砲1門
13mm機銃1挺
53cm魚雷発射管 艦首4門
魚雷10本
備考 安全潜航深度:75m

呂号第三十四潜水艦(ろごうだいさんじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂三十三型潜水艦(海中6型)の2番艦。愛媛県伊予市の軍人墓地に忠魂碑がある。

艦歴

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撃破総数1隻、撃破トン数8,473トン。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』449頁による。

艤装員長

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  • 殿塚謹三 少佐:1936年11月2日[7] -

艦長

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  • 殿塚謹三 少佐:1937年5月31日 - 1937年11月15日[8]
  • 広川隆 少佐:1937年11月15日 - 1938年3月19日[9]
  • 成沢千直 少佐:1938年3月19日 - 1938年9月15日[10]
  • 朝田肆六 大尉:1938年9月15日 - 1939年11月15日[11]
  • 福村利明 少佐:1939年11月15日 - 1940年11月5日
  • 木梨鷹一 少佐:1940年11月5日 - 1941年7月1日
  • (兼)渡辺勝次 少佐:1941年7月1日[12] - 1941年7月31日[13]
  • (兼)坂本栄一 少佐:1941年7月31日[13] - 1941年10月31日[14]
  • 大田武 少佐:1941年10月31日 -
  • 森永正彦 大尉:1942年6月5日 -
  • 土居誉重 少佐:1942年10月30日 -
  • 富田理吉 大尉:1943年3月30日 - 1943年4月5日戦死

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』94-95頁。
  2. ^ a b 『艦長たちの軍艦史』449頁。
  3. ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
  4. ^ 『紀元二千六百年祝典記録・第六冊』、369頁
  5. ^ 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』145頁。
  6. ^ 『日本海軍史』第7巻、373頁。
  7. ^ 『官報』第2953号、昭和11年11月4日。
  8. ^ 海軍辞令公報 号外 第91号 昭和12年11月15日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072500 
  9. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第152号 昭和13年3月19日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073500 
  10. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第239号 昭和13年9月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074300 
  11. ^ 海軍辞令公報(部内限)第402号 昭和14年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076800 
  12. ^ 海軍辞令公報(部内限)第666号 昭和16年7月2日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081600 
  13. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第681号 昭和16年7月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081600 
  14. ^ 海軍辞令公報(部内限)第737号 昭和16年10月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082900 

参考文献

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  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9