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呂号第十三潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呂13から転送)
艦歴
計画 大正6年度計画[1]
起工 1918年9月14日[1]
進水 1919年8月26日[1]
就役 1920年9月30日[1]
除籍 1932年4月1日[1]
その後 1932年4月1日廃潜水艦2号と仮称[2]
性能諸元
排水量 基準:740トン 常備:762.6トン
水中:1,003.1トン
全長 70.1m
全幅 6.1m
吃水 3.68m
機関 ズルツァー[3]2号ディーゼル2基
電動機、2軸
水上:2,600馬力
水中:1,200馬力
速力 水上:16.5kt
水中:8.5kt
航続距離 水上:10ktで6,000海里
水中:4ktで85海里
燃料 重油:75トン
乗員 46名
兵装 28口径8cm高角砲1門
45cm魚雷発射管 艦首4門、舷側2門
魚雷10本
備考 安全潜航深度:30m

呂号第十三潜水艦(ろごうだいじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂十三型潜水艦(海中2型)の1番艦。竣工時の艦名は第二十三潜水艦

艦歴

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1918年大正7年)9月14日、呉海軍工廠で起工。1919年(大正8年)8月26日進水。1920年(大正9年)9月30日竣工。竣工時の艦名は第二十三潜水艦、二等潜水艦に類別[1]1924年(大正13年)11月1日、呂号第十三潜水艦に改称[1]1932年昭和7年)4月1日に除籍され、廃潜水艦2号と仮称[2]

呂十一型潜水艦より排水量を増大したが機関出力を同一としたため、速力が低下し艦隊随伴の高速潜水艦を実現できなかった[4]

歴代艦長

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※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長

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  • (心得)熊岡譲 大尉:1920年5月24日[5] - 6月24日[6]
  • (兼・心得)熊岡譲 大尉:1920年6月24日[6] -

艦長

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  • (心得)熊岡譲 大尉:1920年6月24日[6] -
  • (心得)池田晋 大尉:1920年12月1日[7] - 1922年1月20日[8]
  • (心得)八代祐吉 大尉:1922年1月20日 - 5月30日
  • 関禎 少佐:1922年5月30日 - 1923年12月1日
  • 香宗我部譲 少佐:1923年12月1日[9] - 1924年12月1日[10]
  • 関禎 少佐:1924年12月1日 - 1925年4月15日
  • 関本織之助 少佐:1925年5月1日[11] - 1926年9月15日[12]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『日本海軍史』第7巻、367頁。
  2. ^ a b 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇艦歴表」16頁。
  3. ^ SULZER社。英語読みではスルザー。
  4. ^ 『日本海軍の潜水艦』25頁。
  5. ^ 『官報』第2342号、大正9年5月25日。
  6. ^ a b c 『官報』第2369号、大正9年5月25日。
  7. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  8. ^ 『官報』第2839号、大正11年1月21日。
  9. ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  10. ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  11. ^ 『官報』第3807号、大正14年5月4日。
  12. ^ 『官報』第4220号、大正15年9月16日。

参考文献

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  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。