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呂号第六十四潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呂号第六四潜水艦から転送)

「呂64」
艦歴
計画 大正12年度艦艇補充計画
起工 1923年10月15日
進水 1924年8月19日
就役 1925年4月30日
その後 1945年4月12日 広島湾で触雷沈没
除籍 1945年8月10日
性能諸元
排水量 基準:988トン 常備:1,060.3トン
水中:1,301トン
全長 76.20m
全幅 7.38m
吃水 3.96m
機関 ヴィッカース式ディーゼル2基2軸
水上:2,400馬力
水中:1,600馬力
速力 水上:15.7kt
水中:8.6kt
航続距離 水上:10ktで5,500海里
水中:4ktで80海里[1]
燃料 重油
乗員 48名
兵装 40口径8cm単装砲1門
53cm魚雷発射管 艦首6門
魚雷12本
備考 安全潜航深度:60m

呂号第六十四潜水艦(ろごうだいろくじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂六十型潜水艦(L4型)の5番艦。当初の艦名は第七十九潜水艦

艦歴

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  • 1923年(大正12年)10月15日 - 三菱神戸造船所で起工。当初の艦名は第七十九潜水艦
  • 1924年(大正13年)8月19日 - 進水
    • 11月1日 - 呂号第六十四潜水艦に改名。
  • 1925年(大正14年)4月30日 - 竣工。呂63と共に第24潜水隊を編制[2]
  • 1928年(昭和3年)12月10日 - 予備艦となる[2]
  • 1932年(昭和7年)12月1日 - 予備艦となる[2]
  • 1938年(昭和13年)6月1日 - 艦型名を呂六十型に改正[3]
  • 1940年(昭和15年)3月20日 - 予備艦となる[2]

1941年(昭和16年)12月4日、第7潜水戦隊第33潜水隊所属として、クェゼリンを出航[4]ハウランド方面の監視攻撃に向かう[5]。12月10日にハウランド島に接近し、同日夜陸戦隊による施設の破壊を試みたが察知されたことなどから断念[5]。12月11日2時から3時までハウランド島を砲撃した[5]。同日、ベーカー島を砲撃[5]。12月27日、ウェーク島[4]

  • 1942年(昭和17年)1月1日 - ウェーク島を出航。6日、トラック[4]
  • 1945年(昭和20年)4月12日 - 広島湾において教務訓練での潜行中に、米軍が投下していた磁気機雷に触雷し沈没。艦長である安久栄太郎(潜水学校教官、第33潜水隊司令)以下77名全員殉職[4]

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』465頁による。階級は就任時のもの。

艤装員長

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艦長

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  • 醍醐忠重 少佐:1925年4月30日 - 1925年12月1日
  • 古宇田武郎 大尉:1925年12月1日 - 1926年12月1日
  • 中原義正 少佐:1926年12月1日 - 1927年12月1日
  • 松崎彰 少佐:1927年12月1日 - 1928年12月10日
  • (兼)溝畠定一 大尉:1928年12月10日[6] - 1929年11月1日[7]
  • 玉木留次郎 大尉:1929年11月1日 - 1930年12月1日
  • 佐々木半九 少佐:1930年12月1日 - 1931年12月1日
  • 永井宏明(長太夫)大尉:1931年12月1日 - 1932年12月1日
  • (兼)清水太郎 少佐:1932年12月1日 - 1933年3月25日[8]
  • 畑中純彦 大尉:1933年3月25日 - 1935年2月28日[9]
  • 中川肇 大尉:1935年2月28日[9] - 1936年2月15日[10]
  • 伊豆寿市 少佐:1936年2月15日 - 1937年3月20日[11]
  • 花房博志 少佐:1937年3月20日[11] - 1937年11月15日[12]
  • 池沢政幸 少佐:1937年11月15日 - 1938年3月19日[13]
  • 吉留善之助 少佐:1938年3月19日 - 1938年9月1日[14]
  • 小川綱嘉 少佐:1939年4月1日 - 1939年9月11日[15]
  • (兼)戸上一郎 少佐:1939年9月11日[15] - 1939年11月1日[16]
  • 大田武 大尉:1939年11月1日[16] - 1940年7月26日[17]
  • 宇野亀雄 少佐:1940年7月26日 - 1942年2月10日[18]
  • 田畑直 少佐:1942年2月10日 -
  • 和田睦雄 大尉:1942年10月15日 -
  • (兼)楢原省吾 大佐:1943年9月1日 -
  • 岡山登 大尉:1944年1月20日 -
  • 大野保四 大尉:1944年4月30日 -
  • 佐藤清輝 大尉:1944年8月31日 -
  • 木内哲朗 大尉:1944年10月14日 -
  • 徳永正彦 大尉:1944年11月6日 -
  • 吉沢千明 大尉:1944年12月11日 -
  • (兼)大谷清教 大佐:1945年2月15日 -
  • (兼)安久栄太郎 大佐:1945年3月15日 - 1945年4月12日殉職

脚注

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  1. ^ 『艦長たちの軍艦史』による。
  2. ^ a b c d 『艦長たちの軍艦史』465頁。
  3. ^ 昭和13年6月1日付、内令第421号。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』149頁。
  5. ^ a b c d 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、295ページ
  6. ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  7. ^ 『官報』第854号、昭和4年11月2日。
  8. ^ 『官報』第1869号、昭和8年3月27日。
  9. ^ a b 『官報』第2446号、昭和10年3月1日。
  10. ^ 『官報』第2735号、昭和11年2月17日。
  11. ^ a b 『官報』第3063号、昭和12年3月22日。
  12. ^ 海軍辞令公報 号外 第91号 昭和12年11月15日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072500 
  13. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第152号 昭和13年3月19日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073500 
  14. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第233号 昭和13年9月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074300 
  15. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第378号 昭和14年9月11日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076300 
  16. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第397号 昭和14年11月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076600 
  17. ^ 海軍辞令公報(部内限)第508号 昭和15年7月26日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072078400 
  18. ^ 海軍辞令公報(部内限)第809号 昭和17年2月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072084200 

参考文献

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  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。
  • 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 防衛庁防衛研修所 戦史室『戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで』朝雲新聞社