呂号第百六潜水艦
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(呂号第一〇六潜水艦から転送)
艦歴 | |
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計画 | 昭和16年度計画(マル臨計画) |
起工 | 1941年12月17日 |
進水 | 1942年5月30日 |
就役 | 1942年12月26日 |
その後 | 1944年5月22日戦没 |
除籍 | 1944年8月10日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:525トン 常備:601トン 水中:782トン |
全長 | 60.90m |
全幅 | 6.00m |
吃水 | 3.51m |
機関 | 艦本式24号6型ディーゼル2基2軸 水上:1,000馬力 水中:760馬力 |
電池 | 1号15型120個[1] |
速力 | 水上:14.2kt 水中:8.0kt |
航続距離 | 水上:12ktで3,500海里 水中:3ktで60海里 |
燃料 | 重油:50トン |
乗員 | 38名 |
兵装 | 25mm機銃連装1基2挺 魚雷発射管 艦首4門 53cm魚雷8本 |
備考 | 安全潜航深度:75m |
呂号第百六潜水艦(ろごうだいひゃくろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂百型潜水艦(小型)の7番艦。
艦歴
[編集]- 1941年(昭和16年)12月17日 - 呉海軍工廠で起工。
- 1942年(昭和17年)5月30日 - 進水
- 1943年(昭和18年)3月15日 - 第8艦隊第7潜水戦隊に編入[2]。
- 3月31日 - 佐世保を出航[2]。
- 4月12日 - ラバウル着[2]
- 4月22日 - ラバウルを出航。ガダルカナル島東方で活動[2]。
- 5月31日 - ラバウルを出航。ガダルカナル島東方で活動[2]。
- 6月30日 - ラバウルを出航。レンドバ島方面で活動[2]。
- 7月18日 - 南緯09度03分 東経158度11分 / 南緯9.050度 東経158.183度のブランチェ水道で、米戦車揚陸艦LST-342を雷撃により撃沈[4]。
- 9月1日 - ラバウルを出航。サンクリストバル方面で活動[2]。
- 10月27日 - ラバウルを出航[2]。
- 11月8日 - 佐世保着[2]
- 12月17日 - 佐世保を出航。29日、ラバウル着[2]。
- 1944年(昭和19年)2月3日 - スルミ輸送。12日にも同輸送を実施[4]。
撃沈総数1隻、撃沈トン数1,625トン。
歴代艦長
[編集]※『艦長たちの軍艦史』457-458頁による。
艤装員長
[編集]- 不詳
艦長
[編集]- 佐伯卓夫 少佐:1942年12月26日 -
- 中村元夫 大尉:1943年6月12日 -
- 宇田恵泰 大尉:1944年5月15日 - 5月22日戦死
脚注
[編集]- ^ 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』73頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』97頁。
- ^ a b 『艦長たちの軍艦史』457-458頁。
- ^ a b c 『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』160頁。
- ^ 『日本海軍史』第7巻、377頁。
参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集20巻』潜水艦伊号・呂号・波号・特殊潜航艇他、光人社、1998年。
- 勝目純也『日本海軍の潜水艦 - その系譜と戦歴全記録』大日本絵画、2010年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第一法規出版、1995年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9