尾西鉄道デボ100形電車
表示
(名鉄モ160形電車から転送)
尾西鉄道デボ100形電車 名鉄モ100形電車(初代) 名鉄モ160形電車 | |
---|---|
モ100形104(旧デボ100形104) | |
基本情報 | |
運用者 | 尾西鉄道・名古屋鉄道 |
製造所 | 日本車両製造 |
製造年 | 1922年(大正11年) |
製造数 | 8両 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
電気方式 | 直流600 V(架空電車線方式) |
車両定員 | 60人(座席40人) |
車両重量 |
101-103: 15.24 t 104-108: 16.26 t |
全長 |
101-103: 11,714 mm 104-108: 11,740 mm |
全幅 |
101-103: 2,584 mm 104-108: 2,594 mm |
全高 |
101-103: 4,013 mm 104-108: 4,064 mm |
車体 | 木造 |
台車 |
ブリル 101-103: 不詳 104-108: 27MCB-1 |
主電動機 |
101-102:TDK 516-A 103・104-108: WH 546-J |
主電動機出力 |
TDK 516-A: 85 PS WH 546-J: 65PS |
搭載数 | 2基 / 両 |
歯車比 |
TDK 516-A: 61 : 23 WH 546-J: 69 : 18 |
制御装置 |
直接制御 101-103: WH B53C 104-108: WH K68A |
制動装置 | WH SM-3直通空気ブレーキ |
備考 | 1944年の諸元表より[1]。 |
尾西鉄道デボ100形電車(びさいてつどうデボ100がたでんしゃ)は、尾西鉄道が1922年に導入した木造両運転台の通勤形電車。
沿革
[編集]1922年(大正11年)にデボ101 - 103が1925年(大正14年)にデボ104-108の計8両が日本車輌製造により新製された。1925年(大正14年)に尾西鉄道は(旧)名古屋鉄道に吸収合併されたが、本形式は車番・車種記号ともに変化はなかった。その後現・名古屋鉄道(名鉄)設立後にモ100形(初代)と改称されている。
戦後国鉄63系電車(初代3700系)導入の見返りにモ101 - 103の3両を菊池電気鉄道(現、熊本電気鉄道)、山陰中央鉄道(後の日ノ丸自動車法勝寺電鉄線、一畑電気鉄道広瀬線)[注 1]に譲渡し、名鉄に残存したモ104 - 108の5両は1949年(昭和24年)にモ160形161 - 165と改称・改番された。1952年(昭和27年)に尾西線の架線電圧が1500Vに昇圧されると本形式は架線電圧600Vの支線区へ転属し、最終的には全車揖斐線に集結した。廃車は1962年(昭和37年)より開始され、最後まで残存したモ163も1964年(昭和39年)4月に廃車されて形式消滅した。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 山陰中央鉄道ではモ102を広瀬線デハ6、モ103を法勝寺線デハ6(1958年にデハ205に改番)とした。両車とも路線廃止時(広瀬線は1960年、法勝寺線は1967年)まで使用された。
出典
[編集]- ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 上巻』アルファベータブックス、2019年、158頁。ISBN 978-4865988475。
参考文献
[編集]- 神田功「幻の尾西鉄道」『鉄道ピクトリアル』No.373
- 京都大学鉄道研究会「失われた鉄道・軌道を訪ねて 一畑電気鉄道広瀬線」『鉄道ピクトリアル』No.225 1969年6月号
- 宮崎光雄「日ノ丸自動車を訪ねて」『鉄道ピクトリアル』No.194 1967年3月号
- 『日車の車輌史図面集-戦前私鉄編上」鉄道史資料保存会、1996年、258頁