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立法院 (中華民国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
台湾の国会から転送)
立法院
立法院
Legislative Yuan
第11回立法院
紋章もしくはロゴ
種類
種類
沿革
設立1928年12月5日
役職
院長
韓国瑜 中国国民党)、
2024年2月1日より現職
副院長
江啓臣 中国国民党)、
2024年2月1日より現職
構成
定数113
院内勢力
委員会
任期
4年
選挙
小選挙区比例代表並立制
前回選挙
2024年1月13日
議事堂
議場外観
議場内観
中華民国の旗 中華民国 台北市中正区中山南路1号
立法院議場
ウェブサイト
立法院
憲法
中華民国憲法
中華民国憲法増修条文
脚注
  1. ^ 議長含む
立法院
立法院正門
各種表記
繁体字 立法院
簡体字 立法院
拼音 Lìfă Yùan
注音符号 ㄌㄧˋ ㄈㄚˇㄩㄢˋ
発音: リーファ-ユエン
台湾語白話字 Li̍p-huat-īnn
英文 Legislative Yuan of the Republic of China
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現任の区立法委員の分布図(2024年2月)
  無所属

立法院(りっぽういん、中国語: 立法院, 拼音: Lìfǎ Yuàn)は、中華民国立法府である。「国家最高の立法機関」(中華民国憲法第62条)とされる一院制議会

概要

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中華民国の建国者である孫文の「五権分立」理論に基づいて、行政院司法院考試院監察院と共に成立した一院制の立法機関。立法院に所属する議員を立法委員という。

中華民国には元来、総統副総統の任免権、憲法改正権を有する最高機関「国民大会」が存在したが、2005年憲法改正で活動を停止したため、立法院が名実共に唯一の最高立法機関となった。

また、1948年から1991年までは中国大陸で選出された議員が大半を占めていたが、1992年以降は台湾地区台湾澎湖金門馬祖)を中心とする有権者によって選出された議員だけで構成・改選されており、実質的に台湾地区の最高立法機関となっている。

2月から5月まで、9月から12月までの二会期制を採用している。現在、議員定数113、任期4年。

権限

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各国の立法機関と同様、法案・予算案の議決権、条約案の承認権、憲法改正案の発議権を有するほか、2005年憲法改正により、次のような強力な権限が付与されているのが特徴である。

  • 正副司法院長、大法官(憲法裁判所裁判官)、正副考試院長、正副監察院長等の人事同意権:いずれも総統が任命権者。
  • 行政院長不信任案議決権(憲法増修条文4条1項):内閣全体に対して不信任を表明する日本の内閣不信任決議と異なり、行政院長のみが対象となる。これに対抗して、総統は立法院解散権がある。
  • 総統による報告聴取∶総統から「国情報告中国語版」を聴取する権限(憲法増修条文4条3項)
  • 正副総統罷免案提案権(憲法増修条文2条9項):立法委員総数4分の1以上の発議、同3分の2以上で可決した時は、罷免案の国民投票を実施できる。
  • 正副総統弾劾案議決権(憲法増修条文4条7項、2条10項):立法委員総数2分の1以上の発議、同3分の2以上で可決した時は、司法院大法官(憲法裁判所の大法廷に相当)に弾劾審理を要請できる。
  • 領土変更権(憲法増修条文2条5項):立法委員総数の4分の1以上の発議、同4分の3以上の出席、出席委員の4分の3以上で可決した時。更に、国民投票による承認が必要。

沿革

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1928年民国17年)、中国国民党国民政府北伐で中国統一を達成して軍政期から訓政期に移行した。当初49名から発足したが(任期2年)、4期目から194名に増員された。抗日戦争中は任期が14年に延長されたが、この間に民法、刑法等の基本法典を制定した。

1947年(民国36年)中華民国憲法施行。翌1948年憲政下初の立法委員選挙が実施され、759人の第1期立法委員中国語版を選出した(第1期立法院中国語版)。しかし、中国国民党が率いる中華民国政府(憲法施行に伴い国民政府から改組)は、中国共産党との内戦に敗れ1949年台北に移転したため、立法院も1950年に台北に移転した。この時第1期立法委員の内380人余りが台湾に移った。

立法委員の任期は3年と定められていたが(憲法65条)、台北遷都後は動員戡乱時期臨時条款による憲政の停止台湾地区における戒厳体制(台湾省戒厳令)の施行により、第1期立法委員は1991年に総辞職するまで改選されず、「万年国会」と揶揄された。ただ、1969年の補選で11名増員され、1972年には任期3年の定数51名の台湾選出枠が設けられた(1999年から2016年まで立法院長を勤めていた王金平は1975年当選組)。この改選枠は1989年には定数130名まで拡大され、大陸で選出された「万年議員」と並存する状態が続いた。1989年(民国78年)、戒厳令解除後では初となる改選で、事実上合法化された民主進歩党(民進党)が21議席を獲得(国民党は72議席)。

1991年李登輝総統の勧告により第1期立法委員が総辞職し、1992年、初の全面改選が実施され、第2期立法委員161人を選出した(国民党96、民進党50)。これ以後、立法院は憲法の規定に従って2004年まで3年毎に改選された。

1998年虚省化政策の一環として、地方議会である台湾省議会が廃止された。それにともない、失職する省議員への救済策として、同年の第4期選出選挙から立法院の定数が225名に拡大された。2001年第5期選出選挙では、陳水扁政権の与党である民進党が初の第一党となったが、過半数には達せず、少数与党となった。

2004年中華民国憲法増修条文の第7次増修が行われ、2008年の第7期から定数を113に半減する他、任期を4年へ延長し、正副総統の罷免・弾劾、行政院長不信任議決権、領土変更権など権限強化が図られた。また、同時に総統へも立法院解散権が付与された(現在、立法院解散権が行使されたことはない)。これ以降、立法委員選挙総統選挙と同時に実施されている。この第7期選出選挙で、国民党が第一党に返り咲いた。

2016年1月16日第14期総統選出選挙と同時に第9期選出選挙が行われ、民進党は結党以来初めて単独過半数に達した他、蔡英文が総統選挙に当選した。これにより、民進党は行政・立法の双方で多数与党を形成した他、国民党は立法院成立以降守り続けていた立法院長(国会議長)の座を初めて他党に明け渡すことになった。

立法院職権行使法改正案の成立と違憲審査

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2024年、最大野党の国民党台湾民衆党が主導権を握った第11期立法院は立法院の権限について規定した「立法院職権行使法」を5月と6月に改正した[注 1]

立法院職権行使法の改正では総統に立法院への「政治報告(国情報告)中国語版[注 2]」を定期的に行う義務を課したほか、官僚や企業に対する立法院の調査権の拡大を盛り込んだほか、刑法中国語版の改正では新たに虚偽証言をした官僚に刑罰を科す「国会侮辱罪」(第141条第1項)の導入を決めたが[1]総統頼清徳や与党の民進党行政院(内閣)や監察院などは「立法院による恣意的な権限の拡大は憲法違反であり、立法院の調査権拡大は監察院に与えられた調査権の妨害に当たる」として反発し、司法院大法官会議中国語版憲法裁判所)に違憲審査中国語版を請求する事態に発展した[1]

その結果、司法院大法官会議は同年10月25日、立法院職権行使法の改正と刑法改正について、改正法で盛り込まれた立法院での総統の「政治報告義務(国情報告)」について、強制はできないと指摘し、「憲法が定める権力分立に抵触する」として、改正法の規定の大部分を憲法違反であるとして即時無効とする判決を下した[2]

建物

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南京に立法院があった時期、議事堂は南京市中山北路に建っていたが、現在は人民解放軍の軍人倶楽部となっている。

台北移転後は中山堂(日本統治時代の台北公会堂)を使用していたが、1960年(民国59年)以後は日本統治時代の「台北州立台北第二高等女学校中国語版」校舎(台北市中山南路)を使用している。

構成

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選挙

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1999年~2008年(第4期〜第6期)は、定数225(中選挙区・一部小選挙区168、比例代表41、原住民枠8、海外華僑代表4)だった。

2008年(民国97年)1月12日第7回選挙より「単一選区両票制並立代表並立制」が採用され、定数113議席(小選挙区73、原住民6、比例代表・海外華僑代表34)、任期4年となった。

  • 有権者:20歳以上の中華民国国籍保持者
  • 投票システム∶選挙区(選挙区候補者または原住民候補者)に対して1票、比例代表(政党)に対して1票、合計2票を投じる。
  1. 区域(73議席):台湾地区の73の選挙区から最多得票の候補者1名が当選。原住民戸籍でない有権者が、本籍地の選挙区において投票できる。
  2. 原住民(6議席):台湾地区全体で1選挙区。平地原住民代表3議席と山地原住民代表3議席。平地原住民戸籍または山地原住民戸籍の有権者が投票できる。
  3. 全国不分区及び僑居国外国民(34議席):台湾地区全体で1選挙区。また、台湾に居住していなくても、自由主義圏(米国や日本等の非共産主義圏)に居住している中華民国国籍保持者(華僑)であれば立候補できる。5%以上の得票を得た政党に議席が配分される(阻止条項)。配分された議席を埋める方式は拘束名簿式。唯一クオータ制が採用されており、比例代表での当選者は半分以上が女性候補でなければならない。そのため、名簿順位下位の女性候補が上位の男性候補を飛び越えて当選する場合がある。

院内勢力

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2024年1月11日に行われた第11回中華民国立法委員選挙の結果

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政党 議員数 議席率
中国国民党 0052 0046.02%
民主進歩党 0051 0045.13%
台湾民衆党 0008 0007.08%
無所属 0002 0001.76%
合計 0113 0100.00%

2024年2月1日現在、院内勢力別所属議員数

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   政党名 小選挙区 原住民 比例代表 合計
民主進歩党 36 2 13 51
泛緑連盟 36 2 13 51
中国国民党 36 3 13 52
無所属(高金素梅・陳超明) 1 1 - 2
泛藍連盟 37 4 13 54
台湾民衆党 - - 8 8
合計 73 6 34 113

組織

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中華民国政治関連項目

中華民国の政治
中華民国憲法
中華民国憲法増修条文
中華民国政府

総統頼清徳
副総統蕭美琴

中華民国総統府
中華民国総統選挙
中華民国立法委員選挙
中華民国立法委員選挙区

行政院 • 立法院
司法院 • 監察院
考試院

国民大会(-2005年

最高法院

政党制度政党一覧

与党(少数与党)
民主進歩党
51 長5)
立法委員を有する野党
中国国民党
(立52 県市長14)
台湾民衆党
(立8 県市長1)

台湾問題中台関係

台湾独立運動
中国統一
担当機関:大陸委員会

その他台湾関係記事

文化 - 経済 - 地理
政治 - 教育 - 軍事
人口 - 言語 - 交通
歴史

中華民国関係記事

中華文化
中国の歴史

立法院長

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日本における国会議長に相当する。現任者は韓国瑜中国国民党)。

歴代院長

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憲法施行前

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氏名 就任日 退任日 副院長 秘書長
1 胡漢民 1928年10月8日 1931年3月2日 林森 李文範
2 林森 1931年3月2日 1932年1月1日 邵元沖 李曉生呉景鴻
代理 邵元沖 1931年3月2日 1932年1月1日
3 張継 1932年1月1日 1932年1月28日 覃振 張維翰梁寒操
代理 覃振 1932年1月1日 1932年5月14日
代理 邵元沖 1932年5月14日 1933年1月12日
4 孫科 1933年1月12日 1948年5月17日 葉楚傖魏道明呉鉄城陳立夫 呉尚鷹張肇元陳克文

憲法施行後

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会期 院長 就任日 退任日 所属政党 副院長 所属政党
1 1 孫科 1948年5月17日 1948年12月24日 中国国民党 陳立夫 中国国民党
2 童冠賢 1948年12月24日 1950年12月1日 中国国民党 劉健群 中国国民党
3 劉健群 1950年12月5日 1951年10月19日 中国国民党 黄国書 中国国民党
代理 黄国書 1951年10月19日 1952年3月11日 中国国民党 - -
4 張道藩 1952年3月11日 1961年2月20日 中国国民党 黄国書 中国国民党
5 黄国書 1961年2月28日 1972年2月22日 中国国民党 倪文亜 中国国民党
代理 倪文亜 1972年2月22日 1972年4月28日 中国国民党 劉闊才 中国国民党
6 倪文亜 1972年5月2日 1988年12月20日 中国国民党 劉闊才 中国国民党
代理 劉闊才 1988年10月18日 1989年2月24日 中国国民党 梁粛戎 中国国民党
7 劉闊才 1989年2月24日 1990年2月20日 中国国民党 梁粛戎 中国国民党
代理 梁粛戎 1990年2月12日 1990年2月27日 中国国民党 劉松藩 中国国民党
8 梁粛戎 1990年2月27日 1991年12月31日 中国国民党 劉松藩 中国国民党
9 劉松藩 1992年1月17日 1993年1月31日 中国国民党 沈世雄 中国国民党
10 2 劉松藩 1993年2月1日 1995年1月31日 中国国民党 王金平 中国国民党
11 3 劉松藩 1995年2月1日 1998年1月31日 中国国民党 王金平 中国国民党
12 4 王金平 1999年2月1日 2002年1月31日 中国国民党 饒穎奇 中国国民党
13 5 王金平 2002年2月1日 2005年1月31日 中国国民党 江丙坤 中国国民党
14 6 王金平 2005年2月1日 2008年1月31日 中国国民党 鍾栄吉 親民党
15 7 王金平 2008年2月1日 2012年1月31日 中国国民党 曽永権 中国国民党
16 8 王金平 2012年2月1日 2016年1月31日 中国国民党 洪秀柱 中国国民党
17 9 蘇嘉全 2016年2月1日 2020年1月31日 民主進歩党 蔡其昌 民主進歩党
18 10 游錫堃 2020年2月1日 2024年1月31日 民主進歩党 蔡其昌 民主進歩党
19 11 韓国瑜 2024年2月1日 現職 中国国民党 江啓臣 中国国民党

委員会

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その他

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1995年、立法院に対してイグノーベル賞(平和賞)が授賞されている[3]

授賞理由は「政治家にとって、他国と戦争するよりも、お互いに殴り、蹴り、騙しあう方が、より利益になることの実証に対して」。1992年の全面改選以後、与野党(中国国民党民主進歩党)の対立から、立法院内でしばしば議員間の乱闘行為が発生し、その模様が生中継されたことによる。

立法院における議員間の争いは2020年代も発生しており、2020年11月27日にアメリカ産豚肉の輸入規制緩和を決定した際には、野党議員らが議場で豚の内臓等を投げ付けて抗議する姿が見られた[4]

脚注

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注釈

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  1. ^ 改正法は5月に一旦可決されたが、行政院(内閣)が再審議案を立法院に提出した。しかし、6月21日に再議案が国民党と台湾民衆党の反対多数で否決され、改正法施行が確定した[1]
  2. ^ 憲法増修条文第4条第3項で規定。2000年の憲法改正以前は国民大会(2005年に事実上廃止)が総統の政治報告(国情報告)を聴取することとなっていた。

出典

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  1. ^ a b c “野党主導の国会権限強化法施行 政権反発、機密流出懸念も―台湾”. 時事通信. (2024年6月26日). オリジナルの2024年11月24日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/SLAxq 2024年11月24日閲覧。 
  2. ^ “国会権限強化法は違憲 主導の野党は反発―台湾憲法裁”. 時事通信. (2024年10月25日). オリジナルの2024年11月24日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/0xbXm 2024年11月24日閲覧。 
  3. ^ The 1995 Ig Nobel Prize Winners”. Improbable Resach. 2017年6月27日閲覧。
  4. ^ 台湾議会で豚の内臓飛び交う、米国産豚肉の輸入解禁に野党反発”. AFP (2020年11月27日). 2020年11月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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