張維翰
張維翰 | |
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Who's Who in China 4th ed. (1931) | |
プロフィール | |
出生: |
1886年12月24日 (清光緒12年11月29日) |
死去: |
1979年(民国68年)9月1日 台湾 |
出身地: | 清雲南省昭通府大関庁 |
職業: | 政治家・法学者 |
各種表記 | |
繁体字: | 張維翰 |
簡体字: | 张维翰 |
拼音: | Zhāng Wéihàn |
ラテン字: | Chang Wei-han |
和名表記: | ちょう いかん |
発音転記: | ジャン ウェイハン |
張 維翰(ちょう いかん)は中華民国(台湾)の政治家・法学者。雲南派の唐継尭や竜雲の配下であったが、1930年代以降は国民政府中央に活動の場を移した政治家である。字は蒓漚。
事跡
[編集]初代昆明市長
[編集]公立雲南法政学堂を卒業し、1908年(光緒34年)に新建陸軍第19鎮第37協随営学堂で教師兼司令部秘書となる。昆明重九起義(雲南辛亥革命)には革命派として参加した。
1912年(民国元年)に国民党に加入したものの、まもなく雲南派指導者の唐継尭配下となる。以後、雲南省行政公署総務科科長、黒塩井区塩務督煎総弁兼塩興県知事、箇旧県知事を歴任した。1915年(民国4年)12月の護国戦争では護国軍に与し、袁世凱を支持する広東将軍竜済光の軍と交戦、張は重傷を負っている。その後護国軍が勝利した頃には回復し、翌1916年(民国5年)7月、四川入りしていた蔡鍔に招聘され、四川督軍公署秘書長に任ぜられた。翌年秋、雲南に戻っている。
1918年(民国7年)冬、張維翰は唐継尭に派遣されて広州軍政府が開催した地方行政会議に出席する。まもなく張はそのまま日本に向かい、東京帝国大学で東京市政など地方行政を学んだ。1922年(民国11年)3月、雲南省に戻り、蒙自道尹に任命され、あわせて昆明市市政実施の準備を開始する。同年8月、昆明市設置に伴い、張が初代の昆明市政公所督弁(昆明市長に相当)に抜擢された。なお、同職に在った間に張は3度来日し、東京市の関東大震災からの復興状況や全国都市行政の状況を視察している。
雲南派からの離脱
[編集]1927年(民国16年)2月、唐継尭は国民政府を支持する配下の竜雲ら4鎮守使の兵変で失脚し、翌年1月に竜を主席とする雲南省政府が成立する。張維翰はそのまま竜に継続して起用され、省政府委員兼国民政府外交部特派駐雲南交渉員に任ぜられる。同年末に南京で開かれたベトナムをめぐる中仏条約改訂会議に参加した。1929年(民国18年)12月、張は省政府民政庁庁長に起用された。しかし旧政権(唐継尭)の幹部でありながら竜に重用された張は、盧漢ら雲南軍の軍人から嫌悪されている。
翌1930年(民国19年)3月に盧漢ら雲南軍4師長が竜雲に対して兵変を起こした際には、孫渡(当時、参謀長)とあわせて張維翰が、真っ先に「君側の奸」として盧らの粛清の標的として掲げられる。まもなく兵変が失敗に終わったため、張は民政庁長の地位を保った。しかし、張はこの事件を境に政務に精彩を欠くようになり、結局、1931年(民国21年)8月に民政庁長を辞任した[1]。これにより張は、雲南派から事実上離脱し、国民政府中央に転じることになる。
国民政府中央での活動
[編集]同年10月、張維翰は立法院立法委員に任命され、翌1932年(民国21年)5月には立法院秘書長を兼ねた(1933年1月まで)。1939年(民国28年)6月、前月に内政部長に抜擢された雲南派元老・周鍾嶽により、張維翰は内政部政務次長に起用されている。1944年(民国33年)11月に部長が張厲生となっても、張維翰はそのまま政務次長に留任した。
1946年(民国35年)1月、張維翰は監察院雲貴監察区監察使に異動する。翌年には行憲国民大会代表にも選出された。1949年(民国38年)4月、監察院監察区の改組に伴い、川康区監察委員行署委員に転じたが、実際には就任していない。その後まもなく、張は香港に逃れ、しばらくは教員などを務めた。
晩年
[編集]1950年(民国39年)に張維翰は台湾へ移り、以後、中国国民党中央紀律委員会委員、政策委員会委員、中央評議委員などを歴任している。1965年(民国54年)、監察院副院長に昇進し、1972年(民国61年)5月から翌年3月まで、監察院代理院長を務めた。学術面でも1968年(民国57年)に中華学術院詩学研究所所長に招聘され、以後、中国伝統詩学会名誉理事長、詩経研究会名誉理事長、中国孔孟学会監事、船山学会監事などを務めている。詩や書に優れ、晩年は仏学研究にも携わった。
1979年(民国68年)9月1日、台湾にて病没。享年94(満92歳)。著書に『都市計画』、『法制要論』、『行政法精義』、『地方自治実務』、『田園都市』などがある。
注
[編集]参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。ISBN 7-80214-039-0。
- 東亜問題調査会『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。