利用者:Yokoryu/sandbox
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ロングスケートボード
[編集]ロングスケートボード(en:Longboard)はスケートボードから派生した乗り物(運動用具)、またはそれを使ったローラースポーツの一種である。日本においてはロンスケという略称で呼ばれることが多い。
スケートボードとの主な違い
[編集]デッキと呼ばれる板の底面に、トラックと呼ばれる2組の支軸によって4つの車輪(ウィール)が取り付けられている点はスケートボードと共通しているが、代表的な形状の違いを下記に示す。
- デッキの全長および前輪・後輪間の距離(ウィールベース)がスケートボードよりも長い。
- トラックの幅が広く、傾斜許容角度が深い。
- ウィールが大きく、重量があり、柔らかい。
上記の形状的な特徴によって、スケートボードと比較して、より容易に安定した滑走や、深くキレの伴ったカーブを描けることが大きなメリットである。また、この安定走行性・カービング性能を活かした多様な競技スタイルが存在し、各スタイルに特化したロングスケートボードがそれぞれに存在するため、長さや形状は様々である。
基本動作とトリック
[編集]基本動作
[編集]加速
[編集]フラットな路面状況においては、静止したデッキの上に片足を置き、もう一方の足で地面を蹴ることによるプッシュと呼ばれる動作によって行われる。斜面においては、プッシュをしなくても重力加速度により自然と加速することができる。
滑走
[編集]プッシュや重力加速度により加速したのち、両足でデッキの上に立ち継続して滑り続けることを言う。
カーブ
[編集]滑走中に爪先や踵側に体重を傾け、デッキを傾けることでトラックに体重を伝え、曲がることを言う。
減速
[編集]片足をデッキに置いたまま、もう一方の足裏を地面に擦らせることで減速するフットブレーキなどにより行う。トリックによる減速方法も存在する。
トリック
[編集]滑走中、場合によっては静止中にロングボードを用いて行う一定の技や動作をトリックと呼ぶ。代表的なトリックはスケートボードと共通した名称である場合が多いが、中にはロングボード独自の名称を持つトリックも存在する。競技スタイルによっても行うトリックは様々に分類される。
競技スタイル
[編集]クルージング
[編集]最も古典的で、基本的なスタイルである。ロングスケートボードの走行性の高さを活かし、道から道へと続く走行そのものを楽しむことに重きを置いて行われる。必要となる技術としては加速・滑走・カーブ・減速の基本動作が主軸となるため、ハードルが低く親しみやすいスタイルと言える。基本的にはどんなボードでも行うことができるのも特徴の一つである。一方でスケートボードにソフトウィールを取り付けクルーザーとする場合や、クルージングに特化したクルーザーと呼ばれる種類のボードが用いられる場合もある。
カービング/パンピング
[編集]滑走中につま先側、または踵側に体重をかけることで左右に曲がることができるが、これを左右交互に連続して滑らかに行い、S字型の軌道を描いて行うことをカービングと呼ぶ。また、カービングの動作をより深く・素早く行い、推進力を得ることができるが、これをパンピング(ポンピング)と呼ぶ。
ロングスケートボードにおけるトラックの構造としてはリバースキングピンと言う形状を採用したものが主流である。これはカーブをより深く、クイックに行うことができるようにと意図して設計されたトラックである。このトラックと、カービング・パンピングの技術を駆使してフラット面や斜面を加速・減速しながら走行することに重きを置いたスタイルをカービングやパンピングと呼ぶ。このスタイルにおいては、より大きな推進力や遠心力を得るために、より大きなウィール、弾力のあるキャンバー形状のデッキが好まれる傾向にある。またウィールのアップサイジングに伴い、カーブ時にデッキにウィールが当たってしまい急ブレーキがかかる現象(ウィールバイト)を防ぐため、デッキをトラックが貫通した形状のドロップスルーデッキが選ばれることも多い。
ダウンヒル/フリーライド
[編集]斜度のある路面においてロングスケートボードに乗り、重力加速度によってより早い速度で滑走するスタイルをダウンヒルと呼ぶ。このスタイルにおいては、斜面における最高速度の更新や、決められたコースをより短いタイムで降り切ることが主眼に置かれる。瞬間最高速度の世界記録は2017年に測定された時速146.73kmに達する[1]。コーナーにおいてはスライドと呼ばれるトリックを駆使して減速し、コーナリングすることが必要となる。高速での滑走はリスクを伴うため、ヘルメットやニーパッド、スライドグローブといったプロテクター類を着用して行うことが多い。
最高速度やより無駄のないコーナーのクリアリングに重きが置かれるダウンヒルに対し、カービングを駆使した中〜低速走行やスライドなどのトリックの技術向上を追求し、斜面の滑走そのものを楽しむことに重きを置いたスタイルをフリーライドと呼ぶ。
ダウンヒルやフリーライドに用いられるロングスケートボードは、長さは中程度で、より硬く厚みのあるデッキであることが多い。これは高速走行時のブレを抑え、より高い速度で走行し、スライドトリックを行うためのものである。また車高を低く抑え走行安定性を増す狙いでドロップスルーデッキが選ばれることも少なくない。
フリースタイル/ダンシング
[編集]ロングボードフリースタイル、またはロングボードダンシングは2000年代初頭[2]から広がりを見せる最も新たな競技スタイルである。このスタイルにおいては、デッキとウィールベースが長く、安定した走行を行えると言う特徴を活かし、フラットな路面において滑走中にデッキの上でステップを踏んだり、既存のダンスの動作を組み込んだり、様々なトリックを組み合わせて一連のパフォーマンスを行う。
このスタイルにおいては、より安定して、大きな動作でのパフォーマンスを行うことを目的として、長く幅が広いデッキが用いられることが多い。またデッキの形状としては先端(ノーズ)と後端(テール)にある角度がついた部分(キックテール)が同じ形状、同じ傾斜角で作られたツインチップであることが多い。これはトリックを行うことによってデッキの前後が入れ替わったとしても、同じ感触でトリックを行い、パフォーマンスを継続できるようにすることを目的とした特徴である。
オフトレーニング
[編集]サーフィンやスノーボードなどに代表される横乗りスポーツにおいては、シーズンや天候・フィールドの状況によってはそのスポーツを行うことのできないオフタイム(オフシーズン)が存在する。一方スケートボードは、他の横乗りスポーツに比べて自然の状況による影響が少なく、乾いた平滑な路面さえ確保できれば行うことができ、費用や準備にかかる時間のハードルも低い。そのためオフシーズンに継続してスキルを向上したり、必要な筋力維持を行うためのオフトレーニング(オフトレ)としてロングスケートボードを活用する場合がある。中でもサーフィンにおけるターンやカットバックなどの動作をシミュレートすることに特化したサーフスケートは、ロングスケートボードの一種というよりは、独立したスケートスタイルと認知されている場合が多い。
歴史
[編集]ロングスケートボードがスケートボードから派生した乗り物であることは先に述べた通りである。ではロングスケートボードはいつ生まれたのか?この単純な問いに対し明確かつ画一的な解答を行うことは、実際のところ難しい。なぜなら、起源であるスケートボードですらそのルーツには諸説あり[注釈 1]、またロングスケートボード自体も、様々な地域やスポーツ・文化の影響を受けて絶えず変化してきたためである。ここではロングスケートボードが辿った変遷を年代ごとにまとめ、その歴史を辿る一説としたい。
1950年代 サイドウォークサーフィンの誕生
[編集]一枚板に4つの車輪が付き、地上を走行するその乗り物は1940年代から1950年代にかけて、ハワイとアメリカ合衆国のサーファーの間で生まれた。サーフィンが映画やテレビ番組、歌や雑誌に度々とりあげられで取り沙汰され人気を博す中、サーファーたちは海に行けば必ずしもサーフィンに適したコンディションの波に恵まれるわけではなかった。その状況において、波に乗る感覚を海から持ち出し、地上で再現するための乗り物としてスケートボードが生まれた。この乗り物にはサーファーによって、海岸沿いの歩道(サイドウォーク)において使用されたことから、この乗り物に乗ることはサイドウォークサーフィンと呼ばれた。1956年、ハムコと呼ばれる会社が世界で初めてスケートボードの製作と販売を行なった。1959年にはローラー・ダービーというブランドから、「スケートボード」と明記された商品が発売された。この時のチラシは、今日において我々が確認できる世界で最初のスケートボードに関する広告である。この頃のスケートボードは玩具として売り出された。板は合板から切り出した一枚板で、車輪は鉄製であった。またトリックは行われず、フラットな路面において裸足で乗り、サーフィンの感覚を再現することに重きが置かれた。
注釈
キックスクーターからハンドルを取った説、板にローラースケートの車輪を取り付けたという説が見られる
この時期のスケートボードをロングボードとみなす説がある
1960年代 商品としてのスケートボードの流通とロングボードの誕生
[編集]1960年代にかけて、アメリカ合衆国ではスケートボードの人気が一層高まり、多くの生産者が商品としてのスケートボードの生産・販売に乗り出した。1963年にはシカゴにおいてマカハというブランドのスケートボードが発売された。世界で初めてサーフボードの形状を採用したこのスケートボードは1日に1万セットのスケートボードが売られ、1965年までの間に400万ドル相当売り上げたとされる。またこれはこの頃においてウィールは鉄製のものから粘土を焼き固めたクレー製のものに置き換えられた。マカハの創立者であるラリー・スティーブンソンにより板の先端にキックテールが発明され、より複雑な動作を行うことが可能になった。1963年にはカリフォルニア州のハモサビーチにおいて世界初のスケートボード大会が開催された。この頃において、スケートボードの地位は玩具からスポーツ用品へと変化した。その影響を受け多くのアパレルブランドがスケートボードに特化した製品を発売した。今日では多くのスケーターに愛されるVansもその創立は1966年であり、この時期にあたる。
一方ニュージャージー州では、熱心なスケートボード愛好家であるトム・シムズが1965年に世界で初めてのロングスケートボードを製作したとされている。この頃のサーフボードは9フィート(約2.74m)を超えるロングボードが主流であった。その乗り味を再現するべく、彼は48インチ(役121.92cm)の長さをもつスケートボードをデザインした。
1970年代 スケートボードの完成と商品としてのロングボードの発売
[編集]今日において主流のウレタン製のウィールは1972年にフランク・ナスワーシーによって発明された。またスケートボードのために設計された車軸(トラック)が多くの企業から製造されるようになった。これらパーツの進化はスケートボードの走行性能を格段に向上させ、フリースタイル・ダウンヒル・スラロームなど様々なスタイルのスケートボーディングがこの時期に隆盛期を迎えた。
様々なメーカーによって製造され、スケートボードの形が多様化する中、1975年には前述のトム・シムズが設立したブランド「SIMS SKATEBOAEDS」から世界で初めて、商品として「Longboard」と銘打ったロングスケートボードが発売された。今日のロングスケートボードにおいて主に採用されているリバースキングピンタイプのトラックもこの時期に生まれたとされ、1979年にはスケートボード誌においてリバースキングピントラックの広告が掲載された。他にも1978年のスケートボード誌において『ロングボードの流行』(The Cult of a Longboard[3])という特集が掲載されたり、トム・シムズによるスケートボードチーム”Sims Pure Juice Team[4]”が結成されるなど、徐々にその文化を花開かせていった。
ただしこの時期において、スケートボードとロングスケートボードの間に明確な区別はなく、あくまでスケートボードの一形態として捉えられていたと思われる。例えばトム・シムズの出演する1976年のテレビ番組においては、彼は立てて持つと腰ほどの高さのデッキのボードを使用しているものの、ナレーターはあくまでスケートボードとして紹介する姿が見受けられる。
1980年代 オーリーの発明と現代につながるスケートボード文化の隆盛
[編集]1970年代後半から1980年代にかけて、数多くの伝説的なライダーによって様々なトリックが発明された。中でも画期的だったのは、1978年、オーリーというあだ名で呼ばれていたアラン・ゲルファンドによってボウルにおけるオーリーが発明され、1982年にはロドニー・マレンによって世界で初めてフラットグランドにおけるオーリーが編み出されたことだった。これらの空中においてボードを掴まずに行われるトリックの発明が、バーティカルランプでのバーティカルスタイルや、フラットランドでのフリースタイル、都市部や公共スペースに点在する「スポット」と呼ばれる場所でのストリートスタイルの発展を押し進め、スケートボードシーンを席巻していくこととなる。これらのスタイルの発展が、今日に至る現代のスケートボード文化の礎を築いたとされる。この潮流の中、スケートボードよりも相対的に重く、エアリアルトリックを行いづらかった当時のロングスケートボードは、一部の愛好家によってダウンヒルのフィールドにおいて続けられるに留まった。[5]
1990年代 ロングボード文化における原点回帰
[編集]1990年代、スケートボード文化においてはストリートスケートボードが主流となり、スケーターたちが街中を駆る一方、各地のゲレンデにおいてはスノーボードが流行の兆しを見せていた。サーファーであり、世界で初めてロングスケートボードを発売したとされるトム・シムズもこのムーブメントに加わっていた。このようなライダーたちによる横断的なボードスポーツへの参加が後押しとなり、オフシーズン・オフタイムにサーフィンやスノーボードの感触をシミュレートするという、スケートボードが発明された当時に見出された根源的な価値に、再び注目が集まることとなった。
1993年、カリフォルニアではセクター9が発足し、ロングボードの大量生産と販売を開始した。1994年にはサンディエゴでグラビティボードが発足。サーフィンをシミュレートできるボードの需要に応得る形で、そのビジネスは短期間で軌道に乗ったとされる。[6]90年代の半ばにはローデッドが発足、2000年に会社を興し、2002年にはスノーボードの感覚を再現するためのヴァンガードという名前のデッキを発売した。カナダではランドヤッツが設立され、ダウンヒルロングボードの進化に貢献した。この様にライダーとメーカーが呼応して、ロングスケートボーダーの競技人口は徐々に拡大していった。
また1990年代においてはインターネットの利用が一般家庭へ浸透し始める。各地のインターネットフォーラムを通じて、ロングボードに関する情報の交換が行われる様になり、ライダーとメーカーの進化はますます加速することとなる。
2000年代 ロングボードダンシングの誕生
[編集]2000年代の初頭、アダム・コルトンとアダム・ストコフスキーによって、サーフィンのボードウォーキングに基づいた滑らかなステップやトリックを組み合わせたライディングスタイルを確立した。これがロングスケートボードにおけるフリースタイル/ダンシングの原点である。2008年にはローデッドがダンシングスタイルのライディングに特化したダンサーという名前の長さ55インチのデッキが発売した。この商品名のプロモーションは、2005年にサービスを開始したYoutubeへ、二人のアダムがこのデッキを乗りこなす動画を投稿することによって行われた。その後もローデッドと二人のアダムがコラボレートしたフリースタイル/ダンシングスタイルの動画が数多く投稿されていく。これらの作品はインターネットを通じて世界に広まり、中国やヨーロッパ[7]や日本においてフリースタイル/ダンシングに取り組むロングスケートボーダーが現れる契機となる。
2010年代 フリースタイル文化の隆盛とソーシャルメディアの融合
[編集]2000年代後半から2010年代に入って世界各地でフリースタイル志向のロングスケートボーダーが増加すると、それに伴って数多くのメーカーが発足した。アメリカ大陸に限らず世界各地で発足した。その結果、それぞれの国においてメーカーがボードを作り、ショップがそれを売り、ライダーがそれに乗るロングスケートボードの販売サイクルが確立されていった。このことがロングスケートボード人口の増加に拍車をかけた。下記はこの頃に設立されたショップの例である。
メーカー | 設立年 | 本社所在国 |
---|---|---|
バストルボード | 2007 | オーストリア |
ティンバーボード | 2011 | オランダ |
シンプルロングボード | 2012 | オーストリア |
トラベロール | 2013 | 香港 |
コスモロングボード | 2013 | 韓国 |
この頃フリースタイル志向のロングスケートボーダーの人口が爆発的に増加したもう一つの背景として、スマートフォンとソーシャルメディアの普及による効果があると考えられる。Youtubeでは引き続き、世界各地でロングスケートボードに関する動画が盛んに投稿された。Instagramは2010年にサービスを開始し、2013年に動画投稿機能をリリースした。またiPhoneに動画撮影機能が搭載されたのもこの頃であった。これらのハードウェア・ソフトウェアの進化に連動して、世界各地のライダーが技を磨き、動画に収め、ソーシャルメディアに投稿する様になった。それらの動画を見た他のライダーが、さらに独自に技を発展させることを繰り返し、ロングボードスケートボードにおけるフリースタイル/ダンシングの占める地位はより大きいものとなりつつあった。
2013年にはオランダにおいて初めてフリースタイル/ダンシングのロングスケートボードの世界大会であるSYCLDが開催された。
2010年代の後半になると、フリースタイル/ダンシングのトップライダー達により、動画撮影と映像編集の技術を駆使し、音楽を合わせて動画作品に仕上げたムービーがインターネット上に投稿されはじめる。このことが更なるロングスケートボーダー人口の増加を招いた。
ダウンヒルの分野においても、2017年に世界最高速度の146.73km/hが記録されたり、Goproなどのアクションカメラを用いてダウンヒルライダーの視点を体験することのできる動画がインターネット上に投稿され、テクノロジーの進化がシーンの拡大に貢献した。
2020年代 加速する進化
[編集]2020年の東京オリンピックでスケートボードが正式種目に採用されたことや、新型コロナウイルスの感染拡大に対する3密を避ける運動の高まりを通じて、ロングスケートボードにもにわかに注目が集まった。フリースタイルのシーンにおいては、中国の若年層のライダーの台頭や、ヨーロッパにおけるライダーの若返り、デッキの軽量化やより短いデッキの流行によって、より高い難易度のトリックが行われる様になった。またバンクやレールなど、ロングスケートボードでセクションを乗りこなすスタイルも見られる様になり、よりスケートボードライクにロングスケートボードを乗るライダーも増加しつつある。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ カリフォルニアで発生したとする説やハワイで発生したという説が見られる
出典
[編集]- ^ “Fastest skateboard speed downhill (standing)” (英語). Guinness World Records (2017年9月16日). 2023年6月17日閲覧。
- ^ Vee, Ruben (2022年2月2日). “A Brief History Of Longboarding” (英語). SkateboardersHQ. 2023年6月18日閲覧。
- ^ “ログイン • Instagram”. www.instagram.com. 2023年6月19日閲覧。
- ^ “ログイン • Instagram”. www.instagram.com. 2023年6月19日閲覧。
- ^ “https://www.surfertoday.com/skateboarding/the-history-of-longboard-skateboarding”. 2023年6月19日閲覧。
- ^ “About Us - Gravityboard” (英語) (2021年5月11日). 2023年6月19日閲覧。
- ^ “ダンシング・ファインド・イッツ・グルーヴ”. エクストリーム. 2023年6月19日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]edeconomylongboarder (@edeconomylongboarder) - Instagram