仁倉駅
仁倉駅 | |
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にくら Nikura | |
◄紅葉橋仮乗降場 (2.3 km) (4.6 km) 浜佐呂間► | |
所在地 | 北海道常呂郡佐呂間町字仁倉 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 湧網線 |
キロ程 | 41.4 km(中湧別起点) |
電報略号 | ニク |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1953年(昭和28年)10月22日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)3月20日[1] |
備考 |
湧網線廃線に伴い廃駅 仮乗降場との距離は実キロ |
仁倉駅(にくらえき)は、北海道(網走支庁)常呂郡佐呂間町字仁倉にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)湧網線の駅(廃駅)である。電報略号はニク。事務管理コードは▲122406[2]。
歴史
[編集]- 1953年(昭和28年)10月22日 - 日本国有鉄道湧網線の佐呂間駅 - 下佐呂間駅(後の浜佐呂間駅)間開通(湧網線全通)に伴い、開業[1]。一般駅[1]。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 業務委託化。
- 1972年(昭和47年)2月8日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止し[3]、同時に無人駅[4](簡易委託駅)化(駅近隣の個人)。
- 1987年(昭和62年)3月20日 - 湧網線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]当駅が所在した地名より。地名は、アイヌ語の「ニクリ・アン・ペッ」(森林のある川)に由来する[5]。
駅構造
[編集]廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(網走方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[6]。
無人駅となっていた[4]が、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北側に位置し、ホームを結ぶ通路で連絡した[6]。駅舎とホームの間には花壇が作られていた[6]。駅自体は完全無人であるが、駅近隣の個人が乗車券を販売する簡易委託駅となっていた。受託者は1983年(昭和58年)時点で70歳に近い農家の老婦人で、駅舎の清掃も行っており、当時の国鉄から「湧網沿線でいちばんきれいな駅」と太鼓判を押されていたという[6]。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
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年間 | 1日平均 | |||
1978年(昭和53年) | 70 | [7] |
駅周辺
[編集]駅跡
[編集]駅舎及び駅構内の施設は1988年(昭和63年)9月頃には既に撤去されており、2011年(平成23年)時点では更地となり、何も残っていない[9]。
また、駅跡周辺は2011年(平成23年)時点では廃屋ばかりの荒地になっていた[9]。線路跡は築堤が一部残存しており[9]、浜佐呂間駅寄り、仁倉川の先の六号の沢川にコンクリート造りの「六号の沢川橋梁」が、亀裂が入った危険な状態ながら残存していた[9]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、915頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、243頁。doi:10.11501/1873236 。2023年3月21日閲覧。
- ^ “日本国有鉄道公示第570号”. 官報. (1972年2月8日)
- ^ a b 「通報 ●湧網線床丹駅ほか4駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1972年2月8日、2面。
- ^ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、169頁。ISBN 978-4893915498。
- ^ a b c d 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、161頁。ISBN 978-4093951012。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、910頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ a b 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、19頁。
- ^ a b c d 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、104頁。ISBN 978-4894536128。