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二見ヶ岡駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二見ヶ岡駅
ふたみがおか
Futamigaoka
所在地 北海道網走市字二見ヶ岡
北緯44度0分14.7秒 東経144度10分17.8秒 / 北緯44.004083度 東経144.171611度 / 44.004083; 144.171611
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 湧網線
キロ程 82.1 km(中湧別起点)
電報略号 フオ←フヲ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1935年昭和10年)10月10日[1]
廃止年月日 1987年(昭和62年)3月20日[1]
備考 湧網線廃線に伴い廃駅
仮乗降場との距離は実キロ
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1977年の二見ヶ岡駅と周囲約500m範囲。下が網走方面。周囲は網走湖畔に開かれた網走刑務所管轄の一般人の立ち入りが制限された二見ヶ岡農場であり、駅はその真中にあって、駅前の区画だけに僅かな民家があった。下方左下へ向かう道路の先に農場の作業官舎がある。駅はかなり早い時点で無人化されていて、駅舎は小さな待合室に変えられている。島状の単式ホームで、かつては駅舎のあった側に貨物線を有していたが、既に痕跡すら殆んど無い[2]国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

二見ヶ岡駅(ふたみがおかえき)は、かつて北海道網走支庁網走市字二見ヶ岡に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)湧網線廃駅)である。電報略号フオ事務管理コードは▲122414[3]

歴史

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駅名の由来

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当駅が所在した地名より。地名は、当地から網走湖能取湖の双方が一望できる地であることに由来する[4][5]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(網走方面に向かって右手側)に存在し、転轍機を持たない棒線駅となっていた[4]

無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は撤去されたがホーム南側に待合所を有していた[4]

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1978年(昭和53年) 55 [6]

駅周辺

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雑草地の中に位置した[4]

駅跡

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2011年(平成23年)時点では、鉄道関連の遺構は何も残っていない[8]

当駅跡附近の線路跡は、北海道道1087号網走常呂自転車道線として自転車歩行者専用道路に再利用されていた[8]

隣の駅

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日本国有鉄道
湧網線
卯原内駅 - <二見中央仮乗降場> - 二見ヶ岡駅 - <大曲仮乗降場> - 網走駅

脚注

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  1. ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、916頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 1948年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、244頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  4. ^ a b c d e f g h 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、162頁。ISBN 978-4093951012 
  5. ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、105頁。NDLJP:1029473 
  6. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、911頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  7. ^ a b c d 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、46頁。 
  8. ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、107頁。ISBN 978-4894536128 

関連項目

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