中西孫太郎
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中西 孫太郎(なかにし まごたろう、1863年4月21日(文久3年3月4日[1])- 1934年(昭和9年)1月17日[2])は、明治から大正期の農業経営者、政治家。衆議院議員、香川県会議長、香川県綾歌郡川津村長。
経歴
[編集]讃岐国鵜足郡、のちの香川県[2]鵜足郡川津村(綾歌郡川津村[3]を経て現坂出市、宇多津町)で生まれる。漢学を修めた[2][3]。農業を営む[1]。
川津村長、所得税調査委員、綾歌郡会議員、同議長、香川地方森林会議員などを務めた[2][3]。香川県会議員に選出され[2][3]、1899年(明治32年)10月、同議長に就任し1901年(明治34年)10月まで在任した[4]。
宮井茂九郎の死去に伴い1906年(明治39年)12月に実施された第9回衆議院議員総選挙香川県郡部補欠選挙で当選し[5][6]、立憲政友会に所属して衆議院議員に1期在任した[2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』1936年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『香川県人物・人名事典』四国新聞社、1985年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。