宮井茂九郎
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宮井茂九郎 みやい もくろう | |
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生年月日 | 1853年10月9日 |
出生地 |
日本 讃岐国鵜足郡川原村 (現香川県丸亀市飯山町川原) |
没年月日 | 1906年11月17日(53歳没) |
前職 | 農業 |
所属政党 |
(進歩党→) (憲政本党→) 立憲政友会 |
選挙区 |
(香川県第3選挙区→) 香川県郡部選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1898年3月 - 1906年10月9日 |
坂本村長 | |
坂本村会議員 | |
宮井 茂九郎(みやい もくろう、1853年10月9日(嘉永6年9月7日[1])- 1906年(明治39年)11月17日[2])は、明治期の地主、農業経営家、実業家、政治家。衆議院議員、初代香川県鵜足郡坂本村長。
経歴
[編集]讃岐国鵜足郡川原村(香川県鵜足郡坂本村、綾歌郡坂本村、飯山町を経て現:丸亀市飯山町川原)で生まれる[3][4]。漢学、数学を修めた[1][2][4]。明治2年5月(1869年6-7月)鵜足郡川原真時両村庄屋役に、明治4年10月(1871年11-12月)鵜足郡大庄屋役[注 1]に任じられた[1][2][3][4]。
実業界では、寒川郡志度村製糖会社取締役、高松砂糖会社取締役、宇足津塩田会社取締役、讃岐紡績会社取締役、讃岐鉄道会社監査役、香川県農工銀行取締役などを務めた[1][2][4]。また、1879年(明治12年)飯野山南麓の開墾を行い、土壌分析を実施して桃の栽培を開始した[3]。
1889年(明治22年)第1回香川県会議員選挙に当選[3][4]。1890年(明治23年)町村制施行後初の坂本村会議員に選出され、初代坂本村長に就任[3][4]。その他、所得税調査委員、徴兵参事員を務めた[2][4]。1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙に香川県第三区から出馬して当選[2][3]。以後、第8回総選挙まで連続して当選[2]。1904年(明治37年)3月、第9回総選挙で香川県郡部から立憲政友会所属で出馬し、連続5回目の当選を果たしたが、在任中の1906年11月に死去した[2][5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『香川県大百科事典』897頁では大里正。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『香川県大百科事典』四国新聞社、1984年。
- 山崎謙編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。