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小西甚之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小西 甚之助(こにし じんのすけ、1855年10月27日(安政2年9月17日[1])- 1928年昭和3年)6月28日[2])は、明治期の政治家衆議院議員、香川県会議長。旧姓・中原、佐々木。号・渓香[3]

経歴

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讃岐国寒川郡志度村[1][3]香川県[2]寒川郡志度町 [3]大川郡志度町を経て現さぬき市志度)で、仮大庄屋・中原七郎の息子として生れ[1]、同村の伯父・佐々木数平の養嗣子となる[1][3]。1867年(慶応3年)高松藩洋式練兵場で兵学を学び[3]、小隊司令士、教官を務めた[1]。18歳で寒川郡長尾名村(長尾村[4]長尾町を経て現:さぬき市長尾名)の庄屋・小西平蔵の養嗣子となる[3]

1876年(明治9年)8月、有志と翼賛社を設立し自由民権運動を推進[1][3]。1880年(明治13年)8月、讃岐の総代として元老院に国会開設建白書を提出した[1][3]。1882年(明治15年)7月、愛媛県会議員に選出された[1]。以後、大内寒川三木郡連合会議員、愛媛県連合農談会長、愛媛県勧業諮問会員、農工商衰頽実況取調委員、県会常置委員などを歴任[1][2]。1888年(明治21年)香川県が再置され、1889年(明治22年)1月、香川県会議員に選出[1]。同副議長、同常置委員、香川県地方衛生会員、徴兵参事員、所得税調査委員などを務めた[1][2][4]。1890年(明治23年)4月、香川県会議長に就任し同年7月まで在任した[2][5]

同年7月、第1回衆議院議員総選挙(香川県第2区、自由倶楽部)で当選し[3][6]第4回総選挙まで2回再選され、衆議院議員に通算3期在任した[2][4]

国政選挙歴

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 『日本帝国国会議員正伝』208-215頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』243頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『香川県人物・人名事典』40頁。
  4. ^ a b c 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』176頁。
  5. ^ 『香川県人物・人名事典』344頁。
  6. ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』53頁。
  7. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』109頁。
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』32頁。

参考文献

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  • 木戸照陽編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『香川県人物・人名事典』四国新聞社、1985年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。