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都崎秀太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

都崎 秀太郎(つざき ひでたろう、1852年6月25日(嘉永5年5月8日[1])- 1926年大正15年)11月4日[2])は、明治から大正期の実業家政治家衆議院議員、香川県会議長。号・梧庵[3]

経歴

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讃岐国阿野郡福江村[3]香川県[2]阿野郡金山村綾歌郡金山村[4]、坂出町を経て現坂出市福江町[3])で、糖業[3]、富農[3]・都崎光蔵の三男[3][注釈 1]として生まれる。高松藩校・講道館で学んだ[2][4]。1885年(明治18年)11月、家督相続した[1]

小学校訓導、福江村戸長などを務めた[2][4]。1882年(明治15年)愛媛県会議員に選出され、同常置委員、同勧業諮問会員に在任[2][3][4]。1888年(明治21年)香川県が再置され、その後、香川県会議員に選出され[2][4]、同常置委員、所得調査委員、地方衛生会員、香川県育英会評議員なども務めた[2][4]。1890年(明治23年)11月、香川県会議長に就任し1892年(明治25年)2月まで在任した[2][4][5]

同年2月、第2回衆議院議員総選挙(香川県第3区、1892年2月、議員集会所)で当選し[3][6]、衆議院議員に1期在任した[2][4]

実業界では、讃岐糖業大会社社長、讃岐紡績取締役、高松銀行(現百十四銀行)頭取、讃岐貯蓄銀行頭取、金山塩田社長、金山新塩田社長などを務めた[1][2][3][4]

国政選挙歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『人事興信録 第4版』つ7頁では都崎善七の長男。

出典

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  1. ^ a b c 『人事興信録 第4版』つ7頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』243頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『香川県人物・人名事典』55頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』291頁。
  5. ^ 『香川県人物・人名事典』344頁。
  6. ^ a b c d 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』53頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『香川県人物・人名事典』四国新聞社、1985年。
  • 衆議院参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。