遠山正和
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遠山 正和(とうやま まさかず、1851年4月16日(嘉永4年3月15日[1])- 1907年(明治40年)11月8日[2][3][4])は、明治期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員、香川県会議長、丸亀市会議長。
経歴
[編集]讃岐国那珂郡、のちの香川県[2]丸亀市[3][4]で、里正の家に生まれる[5]。経史を修めた[2]。
1873年(明治6年)香川県六大区一小区副小区長兼学務取締に就任[1][2][3]。自由民権運動に加わった[1][5]。1879年(明治12年)愛媛県会議員に選出された[1][2]。1882年(明治15年)代言人(弁護士)となる[1][2][5][6]。同年、自由党大会で警官と衝突して投獄された[1][5]。1888年(明治21年)香川県が再置され、その後、香川県会議員に選出され、同常置委員も務めた[2][3]。1894年(明治27年)4月、香川県会議長に就任し1895年(明治28年)10月まで在任した[2][3][7]。その他、丸亀市会議員、同議長も務めた[2][5]。
1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(香川県丸亀市、立憲政友会)で当選し[1][8]、その後、第9回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した[2][3][4]。この間、政友会院内主事などを務め[4]、地租軽減、行財政整理、農業振興に尽力した[4]。1907年11月、議員在任中に病のため死去した[6][9]。
実業界では、丸亀商業銀行取締役、丸亀実業取締役などに在任した[1][2][3][6]。
国政選挙歴
[編集]- 第1回衆議院議員総選挙(香川県第4区、1890年7月、自由党)次点落選[10]
- 第2回衆議院議員総選挙(香川県第4区、1892年2月、自由党)落選[10]
- 第6回衆議院議員総選挙(香川県第4区、1898年8月、憲政党)次点落選[11]
- 第7回衆議院議員総選挙(香川県丸亀市、1902年8月、立憲政友会)当選[8]
- 第8回衆議院議員総選挙(香川県丸亀市、1903年3月、立憲政友会)当選[8]
- 第9回衆議院議員総選挙(香川県丸亀市、1904年3月、立憲政友会)当選[8]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 初版』219頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』426頁。
- ^ a b c d e f g 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』303頁。
- ^ a b c d e 『立憲政友会功労者追遠録』103-104頁。
- ^ a b c d e 『現代讃岐人物評論』69-70頁。
- ^ a b c 『明治過去帳』新訂初版、1048頁。
- ^ 『香川県人物・人名事典』344頁。
- ^ a b c d 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』32頁。
- ^ 『官報』第7311号、明治40年11月9日
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』53頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』109頁。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
- 浅岡留吉 (春雪) 『現代讃岐人物評論 : 一名・讃岐紳士の半面』宮脇開益堂、1904年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 『香川県人物・人名事典』四国新聞社、1985年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。