コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大場長平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大場 長平(おおば ちょうへい、1859年1月28日(安政5年12月25日[1][2][3])- 1916年大正5年)8月10日[2][4][5])は、明治から大正初期の実業家政治家衆議院議員、香川県会議長。

経歴

[編集]

讃岐国山田郡、のちの香川県[4]山田郡林村[5]木田郡林村を経て現高松市)で、大場吉次郎の二男として生まれる[1][3]。漢学を修めた[4][5]。1889年(明治22年)6月、家督を相続した[1][2]

1889年、讃岐鉄道取締役に就任[3]。その他、讃岐農工銀行頭取、韓国実業監査役、東讃電気軌道(現高松琴平電気鉄道)社長などを務めた[2][3][4][5]

政界では、六条村戸長、林村会議員、木田郡四ケ池普通水利組合常設議員などを務めた[4][5]。香川県会議員に選出され[4][5]、1899年(明治32年)10月21日、同議長に就任し同月27日まで7日間在任した[6]

1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(香川県郡部、 立憲政友会)で当選し[3][7]、衆議院議員に1期在任。1903年(明治36年)3月、第8回総選挙(香川県郡部、立憲政友会)では落選した[7]

1916年4月、高松市の紳士賭博事件に連座し、高松区裁判所で懲役1カ月の有罪判決を受け大審院に上告中であったが、同年8月、腸の病のため入院加療中の日本赤十字社香川支部病院で死去した[2]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 『人事興信録 第4版』を40頁。
  2. ^ a b c d e 『大正過去帳』101頁。
  3. ^ a b c d e 『大日本人物誌』を之部48-49頁。
  4. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』136頁。
  5. ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』100頁。
  6. ^ 『香川県人物・人名事典』344頁。
  7. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』32頁。

参考文献

[編集]
  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
  • 『香川県人物・人名事典』四国新聞社、1985年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。