松坂屋ストア
表示
(マツザカヤストアから転送)
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
464-8654 愛知県名古屋市千種区末盛通5丁目12番地 |
設立 |
1959年(昭和34年)6月6日 (株式会社サカエストア)[1] ↓ 1972年(昭和47年)12月15日 (株式会社中部松坂屋ストア) |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 食料品・生活関連品の販売 |
代表者 | 松本光雄(代表取締役社長) |
資本金 |
1000万円 (1961年(昭和36年))[2] ↓ 1億5000万円(1968年(昭和43年))[3] |
従業員数 | 312人(アルバイト含まず) |
決算期 | 3月[3] |
主要株主 | 松坂屋 100%[3] |
外部リンク | 公式サイト(閉鎖) |
松坂屋ストア(まつざかや - 、マツザカヤストア、英称:Matsuzakaya Store)は、かつて存在した日本のスーパーマーケットチェーン。大手百貨店・松坂屋系列のスーパーマーケットとして展開していた[4]。
概要
[編集]大手の百貨店である松坂屋系列のスーパーマーケットとして、店舗を展開[4]。
横浜松坂屋の業績不振が続いたため、1995年(平成7年)に株式会社関東松坂屋ストアが株式会社横浜松坂屋ストアを買収[5]。
2007年(平成19年)に、親会社である松坂屋ホールディングスと大丸が経営統合し、持株会社・J.フロント リテイリングが発足[6]。
2008年(平成20年)9月1日には大丸系列のスーパーマーケットである株式会社大丸ピーコックと、前述の松坂屋ストアを経営する3社が合併し、株式会社ピーコックストアとなった[7]。 それに伴い、物流や情報システムなどの業務を共通化して合理化を進めるとともに、同月4日に洋光台店を改装して新店名ピーコックストアとして新装開店するなど、改装時に店名変更を進めていくことになった[8]。
経営統合後も、グループ内でのスーパー事業は不振が続いたため[9]、2013年(平成25年)4月にイオンに全株式を売却されて商号をイオンマーケット株式会社に変更した[10]。 それに伴い、店名も変更されることになった[11]。
なお愛知県の店舗のうち残存6店舗は、のちの2014年(平成26年)4月にイオンマーケットからマックスバリュ中部(名古屋市)へ譲渡されている[12][13][14](店舗名もマックスバリュに変更)。
沿革
[編集]関東の沿革
[編集]- 1959年(昭和34年)
- 1962年(昭和37年)9月14日 - 株式会社イリクストアーを設立[16]
- 1970年(昭和45年)12月1日 - 松坂商事株式会社が、(初代)株式会社松坂屋ストアを吸収合併し、(2代目)株式会社松坂屋ストアに商号変更[17]。
- 1972年(昭和47年)11月29日 - 株式会社関東松坂屋ストアを設立[18]。
- 1973年(昭和47年)2月1日 - (2代目)株式会社松坂屋ストアより、株式会社関東松坂屋ストアが店舗の営業を継承[19]。
- 1974年(昭和49年)4月17日 - 東海銀行とミリオンカード、立石電機(現・オムロン)が共同で、当社竹の塚店で磁気カード利用による買い物サービスを開始[20]。
- 1991年(平成3年)12月 - 株式会社イリクストアーが、株式会社横浜松坂屋ストアに商号変更[16]。
- 1995年(平成7年)2月 - 株式会社関東松坂屋ストアが、株式会社横浜松坂屋傘下の株式会社横浜松坂屋ストアを買収。
- 2000年(平成12年)3月 - 株式会社中部松坂屋ストアへ合併。
愛知の沿革
[編集]- 1962年(昭和37年)11月 - サカエストア加木屋店を開店[21]
- 1967年(昭和42年)11月1日 - (初代)株式会社松坂屋ストアを設立[22]。
- 1970年(昭和45年)12月1日 - 松坂商事株式会社が、(初代)株式会社松坂屋ストアを吸収合併し、(2代目)株式会社松坂屋ストアに商号変更[17]。
- 1972年(昭和47年)12月 - 株式会社中部松坂屋ストアを設立。
- 1973年(昭和48年)2月1日 - (2代目)株式会社松坂屋ストアより、株式会社中部松坂屋ストアが店舗の営業を継承[19]。
- 2000年(平成12年)3月 - 株式会社関東松坂屋ストアを合併し、(3代目)株式会社松坂屋ストアとなる。
関東・中部合併以後
[編集]- 2008年(平成20年)9月1日 - 株式会社大丸ピーコックが、株式会社松坂屋ストア、株式会社横浜松坂屋ストア、野沢商事株式会社を吸収合併し、株式会社ピーコックストアに商号変更[7]。
- 2013年(平成25年) - J.フロントリテイリング所有のピーコックストア全株式がイオンに売却され、ピーコックストアはイオンマーケット株式会社に商号変更[23]。残存店舗がピーコックストアに切り替えられ、松坂屋ストアは消滅した。
→以降の沿革はイオンマーケット#沿革を参照
かつて存在した店舗
[編集]凡例:
- ◎:イオングループ入り(2013年4月1日)により「松坂屋ストア」の名称の利用を全面的に終了する時点で存続していた店舗。これらについては、以下のイオングループ入り直後のピーコックストア公式サイトの店舗一覧も参照:
愛知県
[編集]名古屋市
[編集]千種区
[編集]- ◎本山店(1969年(昭和44年)10月15日開店[24])
- 本山駅1番出口と直結[25]
- 1981年(昭和56年)1月26日に全面改装し、新装開店[26]。
- 2014年4月1日付でマックスバリュ中部(現・マックスバリュ東海)へ移管[13]、現:マックスバリュ本山店。
- 月見ヶ丘マンション内に開設された「ルナプラザ」への出店で深夜0時までの夜間営業を開業時から行っていた[29]。
- 1978年(昭和53年)4月に改装・増築して新装開店[30]。
- イオングループ入りし「ピーコックストア」となったのちの2014年3月31日をもって閉店[13]。
名東区
[編集]- 売場面積1,608m2[27]→2,830m2[31]。
- 藤が丘駅前の公団住宅の1階への出店[29]。
- 1977年(昭和52年)6月2日に改装・増築し、売場面積2,830m2として新装開店[31]。
- 1980年(昭和55年)5月1日に愛知県の県民サービスセンターが開設された[32]。
- 売場面積889m2[27]。
- 本郷駅前のマンション「本郷ハイツ」1階への出店で、専門店街(2階)や80台収容の駐車場を併設していた[34]。
- 2014年4月1日付でマックスバリュ中部へ移管[13]され、マックスバリュ本郷店となったものの、2019年6月30日に閉店、入居していたマンションも解体された[35]。
- 同所には新たにマンションが建設され[36]、同建物内の商業施設部には「クリエイト名古屋本郷駅前店」[37]が出店した。[要出典]
- 売場面積1,575m2[27]。
- 一社駅前の鉄骨平屋建てで北館と南館の2棟構成での出店で、100台収容の駐車場を併設していた[30]。
- 東山通(愛知県道60号名古屋長久手線)沿いの南館は解体され、跡地にギガス(現在はケーズデンキ)一社店が建てられた。[要出典]
中区
[編集]昭和区
[編集]- 売場面積464m2[27]。
天白区
[編集]- 売場面積2,349m2[39]。
- 2014年4月1日付でマックスバリュ中部へ移管[13]後、2017年9月9日に「マックスバリュ平針店」から「ザ・ビッグ エクスプレス平針店」へ転換[40]、2019年6月1日にイオンビッグへ移管[41]。
緑区
[編集]- 売場面積781m2[27]。
尾張(名古屋市以外)地区
[編集]東海市
[編集]みよし市
[編集]春日井市
[編集]- 売場面積1,000m2[19]。
瀬戸市
[編集]- 売場面積1,458m2[27]。
- 愛知県住宅供給公社の建設した「菱野団地」のセンタービルの核店舗として出店していた[29]。
- イオングループ入りし「ピーコックストア」となったのちの2014年3月31日をもって閉店[13]。
三河地区
[編集]- 敷地面積約3,482m2[49]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て塔屋2階[49]、延べ床面積約11,458m2[49]、店舗面積約6.507m2[49](直営店舗面積約1,418m2[50] → 約1,467m2[49])、駐車台数約300台[49]。
- カシマゴや板倉金物店が中心となって建設した地下1階・地上4階建て延床面積約9,900m2の「豊田タウン」(カシマゴビルディング)の核店舗として出店[51]。
- 敷地面積約8,233m2[52]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て塔屋2階[52]、延べ床面積約24,675m2[52]、店舗面積約4,667m2[52](直営店舗面積約1,151m2[53] → 約1,110m2[52])、駐車台数約601台[52]。
- 松坂屋岡崎店の北側に建設されたパークモールセルビの地下1階へ出店した店舗で、地下通路で松坂屋岡崎店と連絡していた[29]。
東京都
[編集]大田区
[編集]足立区
[編集]目黒区
[編集]板橋区
[編集]江東区
[編集]神奈川県
[編集]横浜市
[編集]- 売場面積974m2[69]。
- 売場面積1,407m2[69]。
- 売場面積1,090m2[69]。
- 売場面積434m2[69]。
厚木市
[編集]相模原市
[編集]横須賀市
[編集]- 売場面積1,078m2[69]。
千葉県
[編集]松戸市
[編集]柏市
[編集]市川市
[編集]- 売場面積約4,619m2[80] → 約5,824m2[81]。
- 市川駅前の商店街の一角に出店した総合スーパー型の大型店[62]。
- 1977年(昭和52年)3月に松坂屋が継承して改装し、「松坂屋市川店」として新装開店した[62]。
埼玉県
[編集]
大阪
[編集]- 京阪天満ストア(大阪市、1963年(昭和38年)4月16日開店[43] - 1966年(昭和41年)7月20日閉店[84])
- パルテ京橋店(大阪市都島区東野田町2-1-38[27]、1970年(昭和45年)4月15日開店[59])
- 売場面積274m2[27]。
- 京阪京橋駅の京阪ショッピングモール3階へ出店した洋品雑貨のバラエティストア[29]。
注釈
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g 『新版 店史概要』 松坂屋、1964年11月3日。pp773
- ^ 『新版 店史概要』 松坂屋、1964年11月3日。pp774
- ^ a b c d e f 『会社総鑑 1970年版』 日本経済新聞社、1970年。pp1132
- ^ a b 鳥羽欽一郎『日本の流通革新 小売業百年の歴史と企業者活動』 日本経済新聞社、1979年。pp142
- ^ 松本努 “横浜の副都心に百貨店計画続々”. SERI monthly 1995年5月号 (静岡経済研究所) (1995年5月15日).pp32-33
- ^ 川嶋幸太郎『百貨店戦国時代 塗り替えられる業界地図』 産經新聞出版、2008年5月20日。ISBN 978-4819110051 pp100
- ^ a b “This Week”. 週刊ダイヤモンド 2008年9月6日号 (ダイヤモンド社) (2008年9月6日).pp14
- ^ “ピーコックストア、“新店名”1号店オープン 統合メリット追求図る”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年9月10日) pp4
- ^ “イオン、仇敵からピーコックを買収する事情 | 東洋経済オンライン”. 2023年4月14日閲覧。
- ^ “イオン傘下の光洋が来春、旧ピーコックストア吸収、関西で81店1000億円 | 商人舎流通スーパーニュース”. 2023年4月14日閲覧。
- ^ “ピーコック、「イオンマーケット」に社名変更 | 日経電子版”. 2023年4月14日閲覧。
- ^ “光洋が関西の「ピーコックストア」23店舗取得、年商1000億円超に | DCSオンライン”. 2023年4月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “中部地区店舗の事業譲渡および閉鎖について”. イオンマーケット (2014年3月1日). 2015年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月11日閲覧。
- ^ “店舗譲受に関するお知らせ”. マックスバリュ中部 (2014年1月21日). 2014年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月11日閲覧。
- ^ a b c d e 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp88
- ^ a b 『流通会社年鑑 2001年版』 日本経済新聞社、2001年12月。pp405
- ^ a b c d e f 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp362
- ^ 『会社総鑑 店頭・未上場会社版 2000年版 下巻』 日本経済新聞社、2003年5月19日。ISBN 978-4532210090. pp4447
- ^ a b c d e 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp367
- ^ “ショッピングサービスを実施ー東海銀”. 金融界 1974年6月号 (金融界社) (1974年6月1日).pp102
- ^ a b c d e 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp358
- ^ 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp358
- ^ 田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』 河出書房新社、2014年11月27日。ISBN 978-4-309-02334-2 pp98
- ^ a b c d 松坂屋. 六十年史編集委員会『松坂屋60年史』 松坂屋、1971年。pp274
- ^ 西淳二 浅野光行 金田一淳司 清木隆文 『道路・鉄道・人間活動系都市空間の地下化有用性に関する研究(その1)名古屋市地下鉄1号線の路線展開並びに沿線地域への定性的影響』 地下空間シンポジウム論文・報告集 第4巻 (土木学会) (1999年1月)。pp200
- ^ 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp379
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。pp251
- ^ 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年。pp32
- ^ a b c d e 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp168
- ^ a b 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp253
- ^ a b c d 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp375
- ^ 『総合名古屋史年表 (昭和編 6)』 名古屋市会事務局、1995年3月22日。pp253
- ^ 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp374
- ^ 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp252
- ^ “マックスバリュ本郷店(愛知県)、2019年6月30日閉店-本郷駅前の旧松坂屋ストア”. 都市商業研究所. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “本郷センターハイツ建替え事業”. 関電不動産開発. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “名古屋本郷駅前店”. クリエイト エス・ディー. 2023年5月11日閲覧。
- ^ a b c “8/25(金)午前10時 松坂屋ストア千代田店オープン”. 松坂屋 (2006年8月10日). 2006年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月6日閲覧。
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。pp1109
- ^ “マックスバリュ中部/名古屋市に「ザ・ビッグエクスプレス」を出店”. 流通ニュース (2017年9月14日). 2023年5月11日閲覧。
- ^ “マックスバリュ東海株式会社及びマックスバリュ中部株式会社の合併契約締結並びにマックスバリュ東海株式会社からイオンビッグ株式会社への会社分割(簡易分割)及びマックスバリュ中部株式会社からイオンビッグ株式会社への会社分割(簡易分割)に関するお知らせ”. マックスバリュ東海・マックスバリュ中部 (2019年4月10日). 2023年5月11日閲覧。
- ^ 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp355
- ^ a b 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp354
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2006年版』 東洋経済新報社、2006年。pp1127
- ^ “2015年2月期 決算参考資料”. マックスバリュ中部. 2023年5月11日閲覧。
- ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp365
- ^ 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp359
- ^ “人物ハイライト 「再建」に意欲を燃やす伊藤鈴三郎”. 週刊日本経済 1968年2月8日号 (日本経済新報社) (1968年2月8日).pp37
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1979年版』 日本ショッピングセンター協会、1979年11月20日。pp570
- ^ a b 豊田市教育委員会豊田市史編さん専門委員会『豊田市史 4巻 (現代)』 豊田市、1977年3月。pp697
- ^ 豊田市教育委員会豊田市史編さん専門委員会『豊田市史 4巻 (現代)』 豊田市、1977年3月。pp699
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1979年版』 日本ショッピングセンター協会、1979年11月20日。pp556
- ^ a b 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp366
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1967年版』 商業界、1967年。pp28
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp197
- ^ 松坂屋. 六十年史編集委員会『松坂屋60年史』 松坂屋、1971年。pp383
- ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp235
- ^ 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年。pp28
- ^ a b 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp361
- ^ 『中山道と板橋 文化財シリーズ 第12集』 板橋区教育委員会、1972年。pp4
- ^ 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp365
- ^ a b c d 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp169
- ^ 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年。pp29
- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp239
- ^ 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2010年版』 東洋経済新報社、2010年。pp759
- ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2006年版』 東洋経済新報社、2006年。pp733
- ^ 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年6月15日。 pp34
- ^ a b c 宮本克巳 “価格見直しと新チャネル誕生 流通業,バブル崩壊後の生き残り策”. 化繊月報 1991年12月号(繊維総合研究所資料頒布会) (1991年12月).pp34
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『会員名簿 1981年』 日本セルフ・サービス協会、1980年12月25日。pp153
- ^ a b 『全国商業通覧 第3回 1985年版 東日本 2』 通商産業調査会、1985年3月。pp2119
- ^ a b c d 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp320
- ^ a b c 緑区史編集委員会『横浜緑区史 通史編』 緑区史刊行委員会、1993年2月28日。pp849
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2010年版』 東洋経済新報社、2010年。pp759
- ^ 菅原一孝 “戦後横浜商業の発展と現代的な課題 小売店の分布を中心として”. 京浜社会の変貌 横浜市立大学総合研究 (横浜市立大学経済研究所) (1984年3月).pp56
- ^ a b c d e 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp241
- ^ a b 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp328
- ^ a b c 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp367
- ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp75
- ^ a b c d e f 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp186
- ^ a b c 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp358
- ^ a b 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp363
- ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp168
- ^ 松坂屋. 六十年史編集委員会『松坂屋60年史』 松坂屋、1971年。pp387
- ^ 『松坂屋70年史』 松坂屋、1981年5月5日。pp357