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マイケル・ヤング (内野手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マイケル・ヤング
Michael Young
レンジャーズでの現役時代
(2009年4月27日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ロサンゼルス郡コビーナ
生年月日 (1976-10-19) 1976年10月19日(48歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手三塁手遊撃手二塁手
プロ入り 1997年 MLBドラフト5巡目
初出場 2000年9月29日
最終出場 2013年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
WBC 2006年

マイケル・ブライアン・ヤングMichael Brian Young, 1976年10月19日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡コビーナ出身の元プロ野球選手内野手)。メキシコ人の母を持つ。2014年1月に現役引退を表明、同年11月から古巣テキサス・レンジャーズGM補佐を務める。

経歴

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プロ入りとブルージェイズ傘下時代

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1997年MLBドラフト5巡目(全体149位)でトロント・ブルージェイズから指名され、プロ入り。契約後にプロデビューした傘下のA-級セントキャサリンズ・ストンパーズでは、リーグ3位タイの74試合に出場し、44試合で遊撃、28試合で二塁を守った。136塁打(リーグ3位タイ)、85安打(同4位タイ)、48打点(同5位タイ)を記録した。また、8月11日から28日にかけて16試合連続安打を記録した。

1998年にはA級ヘイガーズタウン・サンズ英語版で140試合に出場し、147安打、238塁打、86得点を記録。8月には月間打率.324、21打点を記録した。守備では二塁手として128試合、遊撃手として24試合に出場し、守備率.978を記録した。1999年にはA+級ダニーデン・ブルージェイズで二塁手として74試合、遊撃手として53試合に出場。打率.313、155安打、36二塁打、30盗塁を記録し、リーグのオールスターにも選ばれた。7月16日から30日にかけては14試合連続安打を記録。雑誌『ベースボール・アメリカ』では、ブルージェイズで上から4番目のプロスペクト(有望選手)で、リーグで最も守備のいい二塁手と評価された。カリフォルニア秋季リーグでも活躍し、打率.295、8本塁打、18打点を記録した。

2000年、AA級テネシー・スモーキーズでは24二塁打、5三塁打、16盗塁を記録。7月12日にはAA級全体のオールスターゲームに出場した。

レンジャーズ時代

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2000年7月19日にエステバン・ロアイザとのトレードで、ダーウィン・クビアン投手と共にテキサス・レンジャーズに移籍した。傘下のAA級タルサ・ドリラーズでは43試合に出場し、打率.319、5三塁打を記録した。9月27日にはメジャー初昇格を果たし、9月29日のオークランド・アスレチックス戦に代走としてメジャー初出場を果たす。二塁の守備固めに起用され、2打数無安打だった。アリゾナ秋季リーグでは25試合に出場し、打率.268、1本塁打、6打点を記録。

2001年、開幕はAAA級オクラホマ・レッドホークスで迎えたが、5月25日にメジャー再昇格し、27日にメジャー契約を結ぶ。二塁手として102試合に出場。6月11日にはメジャー初本塁打を放った。9月11日にはMLB屈指の左腕投手バリー・ジト(アスレチックス)の完封を阻む本塁打を放った。年間で11本塁打、49打点、9犠打長打率.402、守備率.984を記録し、チーム新人王に選ばれた。2002年は156試合に出場し、メジャーに定着した。2003年終了後にアレックス・ロドリゲスとのトレードで守備位置の重複するアルフォンソ・ソリアーノが移籍。二塁での守備はゴールドグラブ賞級だったが[1]、「チームにとってベストなこと」とヤングはバック・ショーウォルター監督に遊撃手へのコンバートを直訴した[2]

4年総額1000万ドルの契約を2004年開幕前に結び[3]、開幕から遊撃手として出場し続けた。オールスターに初選出を果たした。ヤングはショーウォルター監督と良好な関係を築き[4]、守備・打線の要としてチームリーダーへ成長した[2]

2005年には打率.331で首位打者を獲得。2006年は、ワールド・ベースボール・クラシック米国代表で出場した。この年、ソリアーノの後釜に新人のイアン・キンズラーが就くことになり、ヤングはかつてロドリゲスと二遊間を組みながら吸収したように、キンズラーに様々なアドバイスを送った[5]。全162試合に出場し、球団記録となる打数691、二塁打52を記録した。オールスターでは、9回表二死二・三塁の場面で逆転の決勝三塁打を打ち、MVPに選出された。

4年契約を満了していないにもかかわらず球団は2007年3月2日に2008年の500万ドルのオプション契約を行使し、2009年から5年総額8000万ドルで契約延長。この金額はアレックス・ロドリゲスが2000年に結んだ10年2億5200万ドルに次ぐ球団史上2位の大型契約となった[3]

有望株のエルビス・アンドラスに遊撃のポジションを空けるため、シーズン終了後の12月に球団はヤングにコンバートを打診。当初、ヤングはこれを拒みトレードを志願していたが、最終的に三塁手への転向に合意した[6]2009年は三塁手として出場。4月19日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で自身初のサヨナラ本塁打を記録[7]。その後、22日に同点、24日に逆転の本塁打を9回に記録。9月1日のブルージェイズ戦のダブルヘッダー2戦目でハムストリングのケガで11試合欠場[8]。出場試合数はレギュラー定着後最低の135試合にとどまったが、打率.322、22本塁打は2005年以来の好成績となった。

2011年エイドリアン・ベルトレの加入により指名打者に回された。当初はこれを不服とし、トレードによる放出を要求した。しかし、高額の年俸が仇となってトレードは成立せず、そのままレンジャーズでプレーすることになった。開幕後はそのような騒動を忘れさせる活躍で自己最高の打率.338を記録。2年ぶりのオールスター選出を果たし、依然としてリーグ屈指の巧打者であることを証明した。

2012年は初の打率3割を達成した2003年以降では最低の成績に終わった。

フィリーズ時代

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フィリーズ時代
(2013年4月27日)

2012年12月8日にジョシュ・リンドブロムリサルベルト・ボニーヤとのトレードで、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。フィリーズはヤングを正三塁手として起用する方針を明かし、2013年の年俸1600万ドルの内1000万ドルをレンジャーズが負担する[9]

ドジャース時代

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ドジャース時代
(2013年9月16日)

2013年9月1日にロブ・ラスムッセンとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースに移籍した[10]。オフの10月31日にFAとなった。

2014年1月30日に現役引退を表明した[11]

現役引退後

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2014年11月5日、古巣・レンジャーズのゼネラルマネジャー(GM)特別補佐に就任したことが発表された[12]

ヤングのレンジャーズ在籍時の背番号「10」。
テキサス・レンジャーズの永久欠番2019年指定。

2019年、レンジャーズはヤングの在籍時の背番号『10』を永久欠番に指定し、同年8月31日に欠番表彰式を行った。

選手としての特徴

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MLBを代表する安打製造機の1人。MLB史上5人しか達成していない5年連続200安打といった記録を持つ。一方でMLBの選手228名のアンケートで過小評価されている野手として1位となったこともある[13]

人物

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小児がんと闘う子供たちを支援するNGO "ワイプ・アウト・キッズ・キャンサー"(Wipe Out Kids' Cancer)の大使を務め、2003年にはダラス・フォートワースBBWAAからハロルド・マッキニー・グッドガイ賞が贈られた[14]

趣味はゴルフビリヤード[14]。少年時代はニューヨーク・メッツのファン[14]で、憧れの選手はドン・マッティングリー[15]。お気に入りの球場はフェンウェイ・パークである[14]

いとこのザック・パディーヤは、1994年 - 1996年のプロボクシングWBO世界ジュニアウェルター(スーパーライト)級チャンピオンだった。もう1人のいとこ、ジョニー・チャベスもプロボクサーでマイナー団体IBCスーパーバンタム級チャンピオンだった。サンフランシスコ・ジャイアンツのマイナーで内野手としてプレーしたジェイソン・ヤングといういとこもいる[14]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2000 TEX 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2001 106 429 386 57 96 18 4 11 155 49 3 1 9 5 26 0 3 91 9 .249 .298 .402 .699
2002 156 633 573 77 150 26 8 9 219 62 6 7 13 6 41 1 0 112 14 .262 .308 .382 .690
2003 160 713 666 106 204 33 9 14 297 72 13 2 3 7 36 1 1 103 14 .306 .339 .446 .785
2004 160 739 690 114 216 33 9 22 333 99 12 3 0 4 44 1 1 89 11 .313 .353 .483 .836
2005 159 732 668 114 221 40 5 24 343 91 5 2 0 3 58 0 3 91 20 .331 .385 .513 .899
2006 162 748 691 93 217 52 3 14 317 103 7 3 0 8 48 0 1 96 27 .314 .356 .459 .814
2007 156 692 639 80 201 37 1 9 267 94 13 3 0 1 47 5 5 107 21 .315 .366 .418 .783
2008 155 708 645 102 183 36 2 12 259 82 10 0 0 6 55 0 2 109 19 .284 .339 .402 .741
2009 135 593 541 76 174 36 2 22 280 68 8 3 0 4 47 2 1 90 16 .322 .374 .518 .892
2010 157 718 656 99 186 36 3 21 291 91 4 2 0 11 50 4 1 115 21 .284 .330 .444 .774
2011 159 689 631 88 213 41 6 11 299 106 6 2 0 9 47 7 2 78 17 .338 .380 .474 .854
2012 156 651 611 79 169 27 3 8 226 67 2 2 0 6 33 3 1 70 26 .277 .312 .370 .682
2013 PHI 126 512 468 49 129 24 4 8 185 42 1 0 0 1 42 4 1 78 18 .276 .336 .395 .731
LAD 21 53 51 3 16 2 1 0 20 4 0 0 0 1 1 0 0 5 3 .314 .321 .392 .713
'13計 147 565 519 52 145 26 5 8 205 46 1 0 0 2 43 4 1 83 21 .279 .335 .395 .730
MLB:14年 1970 8612 7918 1137 2375 441 60 185 3491 1030 90 30 25 72 575 28 22 1235 236 .300 .346 .441 .787
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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遊撃(SS) 二塁(2B) 三塁(3B) 一塁(1B)
















































2000 TEX - 1 0 0 0 0 ---- - -
2001 - 104 212 284 8 79 .984 - -
2002 11 2 10 0 2 1.000 152 298 420 9 97 .988 4 0 3 0 0 1.000 -
2003 7 4 5 0 1 1.000 159 305 471 10 117 .987 - -
2004 158 225 423 19 98 .972 - - -
2005 155 238 427 18 95 .974 - - -
2006 155 241 492 14 113 .981 - - -
2007 150 211 446 19 107 .972 - - -
2008 151 193 465 11 113 .984 - - -
2009 - - 134 72 208 9 29 .969 -
2010 - - 155 95 265 19 26 .950 -
2011 1 1 2 0 1 1.000 14 28 29 0 11 1.000 40 30 66 5 9 .950 36 267 13 3 34 .989
2012 4 6 6 0 0 1.000 16 24 31 2 8 .965 25 18 38 2 3 .966 41 358 24 2 37 .995
2013 PHI - - 99 58 166 9 12 .961 26 176 8 0 17 1.000
LAD 1 0 2 0 0 1.000 2 0 4 0 0 1.000 8 0 9 1 1 .900 8 28 2 0 4 1.000
'13計 1 0 2 0 0 1.000 2 0 4 0 0 1.000 107 58 175 10 13 .959 34 204 10 0 21 1.000
MLB 793 1121 2278 81 530 .977 448 867 1239 29 312 .986 465 273 755 45 80 .958 111 829 47 5 92 .994

タイトル

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表彰

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記録

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背番号

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脚注

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  1. ^ Michael Young Biography” (英語). JockBio. 2009年1月31日閲覧。
  2. ^ a b 小林信行 「黄金のカルテット レンジャーズ内野陣の魅力」『月刊スラッガー』2005年6月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌 15509-6、50 - 51頁。
  3. ^ a b Associated Press (2007年3月2日). “Young agrees to five-year extension with Texas” (英語). ESPN.com. 2009年1月31日閲覧。
  4. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、195頁頁。ISBN 978-4-331-51093-3 
  5. ^ 村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、218頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  6. ^ Sullivan, T.R. (2009年1月15日). “Young will shift to third base Rangers shortstop changes stance, clearing way for rookie Andrus” (英語). MLB.com. 2009年1月31日閲覧。
  7. ^ Sullivan, T.R. (April 19, 2009). “Young's walk-off homer lifts Rangers” (英語). MLB.com. 2010年4月25日閲覧。
  8. ^ Sullivan, T.R. (September 15, 2009). “Young makes abbreviated return” (英語). MLB.com. 2010年4月25日閲覧。
  9. ^ Phillies acquire Michael Young from Texas Rangers USA TODAY
  10. ^ Dodgers acquire seven-time All-Star third baseman Michael Young from Philadelphia” (September 1, 2013). January 11, 2014閲覧。
  11. ^ T.R. Sullivan (January 30, 2014). “Longtime Rangers staple Young retires”. MLB.com. January 31, 2014閲覧。
  12. ^ ヤング氏がレンジャーズGM補佐に 通算2375安打、05年首位打者”. スポーツニッポン (2014年11月6日). 2014年11月7日閲覧。
  13. ^ http://sportsillustrated.cnn.com/multimedia/photo_gallery/1207/mlb-most-underrated-position-player/content.1.html
  14. ^ a b c d e http://texas.rangers.mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=276545
  15. ^ 三尾圭「安打製造機の素顔 / マイケル・ヤング [レンジャーズ] イチローが認める男」 『月刊スラッガー』102号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-10、24-25頁。

関連項目

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外部リンク

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