ドナルド・オコーナー
表示
(ドナルド・オコナーから転送)
ドナルド・オコーナー Donald O'Connor | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1952年 | |||||||||||||
本名 | Donald David Dixon Ronald O’Connor | ||||||||||||
生年月日 | 1925年8月28日 | ||||||||||||
没年月日 | 2003年9月27日(78歳没) | ||||||||||||
出生地 | アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ | ||||||||||||
配偶者 |
グウェン・カーター(1944年 - 1954年) グロリア・ノーブル(1956年 - 2003年) | ||||||||||||
|
ドナルド・オコーナー(Donald O'Connor、1925年8月28日 - 2003年9月27日)は、『雨に唄えば』などで知られるアメリカの映画俳優、コメディアン。本名はデイヴィッド・ディクスン・オコーナー(David Dixon O'Connor)という。姓の発音はオコナーに近く、この表記が用いられる場合もある。
人物
[編集]1925年、ヴォードヴィリアンの両親ジョン・エドワードとエフィの7番目の子供として生まれる。一家はドナルドの生まれたころ「オコーナー・ファミリー」として活動を行い、ドナルド自身も1歳で初舞台を踏んだ。11歳にして兄弟とともに『二人のメロディ』で映画デビューする。パラマウントと契約して、『ボー・ジェスト』『シング・ユー・シナーズ』などに子役として出演する。兄の病死により、一時ヴォードヴィルに戻ったが、1942年にユニバーサルからスカウトされ、ペギー・ライアンとのダンス・コンビを組んだ。
グウェン・カーターと結婚、軍役を経て、映画界に復帰した後はコメディ作品『フランシス』(1950年 - )のシリーズでコメディアンとしての人気を確立した。1951年にはジーン・ケリーとスタンリー・ドーネンの指名によってMGM社に貸し出され、名作『雨に唄えば』でジーンの相棒役を務めた。さらに翌1953年には『アイ・ラブ・メルヴィン』、『ショウほど素敵な商売はない』(1954年)などの作品出演を重ねたが、ミュージカル映画が次第に下火になってゆく中で活動の軸足をテレビに移していった。
1956年、グロリア・ノーブルと再婚。晩年まで映画、テレビ、音楽などで活動を続け、2003年に心臓麻痺で死去。78歳没。
出演作品
[編集]映画
[編集]テレビ
[編集]- The Milton Berle Show (1948) プロデューサー
- Colgate Comedy Hour (1951-54)
- Texaco Star Theater (1954-55)
- ペチコート作戦 Petticoat Junction (1964) 監督
- Bell Telephone Hour (1964-66)
- The Donald O'Connor Show (1968)
- エラリー・クイーン・ミステリー Ellery Queen (1975)
- 地上最強の美女バイオニック・ジェミー The Bionic Woman (1976)
- Love Boat (1981-84)
- Alice (1982)
- そりゃないぜ!? フレイジャー Frasier (1996)
- The Nanny (1996)