デンバー・ブロンコス
デンバー・ブロンコス Denver Broncos | ||||||||||||||||||||||
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所属地区 | ||||||||||||||||||||||
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チームデザイン | ||||||||||||||||||||||
チームロゴ | ||||||||||||||||||||||
精悍な白馬の横顔(以前はDの中に鼻息の荒い白馬) | ||||||||||||||||||||||
チームカラー | ||||||||||||||||||||||
オレンジ ネイビーブルー 白 | ||||||||||||||||||||||
ユニフォーム | ||||||||||||||||||||||
チーム名 | ||||||||||||||||||||||
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ホームタウン | ||||||||||||||||||||||
エンパワー・フィールド・アット・マイル・ハイ | ||||||||||||||||||||||
永久欠番 | ||||||||||||||||||||||
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獲得タイトル | ||||||||||||||||||||||
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球団組織 | ||||||||||||||||||||||
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デンバー・ブロンコス(英語: Denver Broncos、略称: DEN)は、アメリカ合衆国コロラド州デンバーに本拠地をおくNFLチーム。AFC西地区に所属している。
愛称のブロンコスは西部の荒々しいイメージから。AFL時代にはプレーオフ出場経験がないが、1970年のNFLとAFLの統合の後、AFC西地区で優勝10回、スーパーボウルには6度出場しており、ミネソタ・バイキングス、バッファロー・ビルズと同様に最初の4回は敗れたが第32回スーパーボウルで初優勝を果たし、翌シーズンの第33回スーパーボウルも優勝している。
歴史
[編集]1982年まで
[編集]1959年8月14日、プロ野球・マイナーリーグのオーナーであるボブ・ホーサムによってチームは創設され1960年のAFL開幕から新興リーグの一員として参加した[1]。ホーサムは当初、デンバーにNFLのエクスパンションチームを設立しようとしたが、シカゴ・ベアーズのジョージ・ハラスオーナーらNFLのオーナーの承認を得ることができなかった[2][3]。1960年、ファンによる投票でブロンコスという愛称が決定された[4]。
チームはデンバー・ベアーズの本拠地だったベアーズ・スタジアム(後にマイル・ハイ・スタジアムと改称)を本拠地としてAFLのオリジナルメンバーとなった。ヘッドコーチにはフランク・フィルコック、エースQBにはフランク・トリプカがなった。同年9月9日に行われたボストン・ペイトリオッツ戦で13-10と初勝利をあげた[5]がチームは4勝9敗1分で最初のシーズンを終えた。シーズン終了後ハウサムオーナーはチームをサンアントニオのシンジケートに売ろうとしたが1961年5月、ジェラルド・フィップスとカル・クンツら投資家グループがチームを購入した[6]。
1961年シーズンを3勝11敗で終えるとチームはフィルコックスに代えてジャック・フォークナーを新ヘッドコーチとした。1962年シーズンはAFL時代を通して最高成績である7勝7敗で終えたがその後5シーズンチームは10敗以上を喫した。その間チームは4人のヘッドコーチ、6人の先発QBを起用する迷走ぶりであった[7]。
1964年シーズン5試合を経過したところでフォークナーからマック・スピーディーにヘッドコーチが交代しチームは2勝11敗1分に終わった。1965年シーズンは4勝10敗[8]、1966年シーズン、ヒューストン・オイラーズとの開幕戦に7-45と大敗、この試合でチームはファーストダウン更新わずか1回、パスで-7ヤード、トータルで26ヤードしかゲインすることができずに7-45で敗れた[9] 。2試合が経過したところでスピーディーヘッドコーチは辞任、レイ・マラヴェシが残りゲームの指揮を執りチームは4勝10敗でシーズンを終えた[10]。
1965年にオーナーの一部にチームをアトランタに移転させようとする動きがあったがアラン・フィップス、ジェラルド・フィップスが彼らの経営権、ベアーズ・スタジアムを買取りチームはデンバーに留まることになった。
1967年8月5日に行われたデトロイト・ライオンズとのプレシーズンゲームで13-7とAFLに所属するチームとして最初にNFLのチーム相手に勝利をあげた.[11]。AFLでの10年間の成績は39勝97敗4分とリーグ最低でありAFLのオリジナルチーム中、唯一タイトルマッチに出場を果たせなかった[12]。アメリカのプロフットボールチームとして最初にアフリカ系アメリカ人のプレースキッカーであるジーン・ミンゴを起用した[12]。WRのライオネル・テイラーはシーズン100キャッチを記録した。またアフリカ系アメリカ人QBのマーリン・ブリスコウが入団した。チームの移転騒動があった翌シーズンのシーズンチケットはおよそ3倍の売り上げを記録した[13]。
チームの最初のスーパースターは1967年に加入したフロイド・リトルである。
チーム創設後13年目の1973年に初めて勝ち越しでシーズンを終えた。AFLに所属したチームの中でブロンコスだけがプレーオフ出場を果たしていなかった[14]。1965年にはフランチャイズを失うおそれもあったが地元のオーナーグループによってチームの再建が図られた[15]。
レッド・ミラーがヘッドコーチに就任した1977年、その年加入したベテランQBのクレイグ・モートンとオレンジ・クラッシュ・ディフェンスと呼ばれた守備の活躍で、プレーオフに初出場を果たし、第12回スーパーボウルまで勝ち上がったがダラス・カウボーイズに10-27で敗れた[16]。
1979年9月23日のシアトル・シーホークス戦では10-34とリードされたところから、ノリス・ウィーズをリリーフしたクレイグ・モートンがハーベン・モーゼス、リック・アップチャーチにTDパスを通し、最後はロブ・ライトルが1ヤードのTDランをあげるなど、27点を連取して37-34で勝利した。この試合が、現在までのところ、ブロンコスの最多得点差からの逆転勝利となっている[17]。
1981年にエドガー・カイザー・ジュニアがジェラルド・フィップスから3000万ドルでチームを買収した[18]。
エルウェイの時代
[編集]1983年のNFLドラフトで全体1位でボルチモア・コルツに指名されたジョン・エルウェイがコルツに入団を拒否、ブロンコスはQBのマーク・ヘルマン、オフェンスラインのクリス・ヒントン、翌1984年のドラフト1巡目指名権と引き換えにエルウェイを獲得した[19]。チームはそれまでの23年間で24人ものQBを起用するなど安定したQBを得ることができないでいた[20]。
1984年にカイザーオーナーからパット・ボーレンにチームの所有権の60.8%を売却した。後にカイザーはボーレンに対して法廷闘争を行ったが敗訴している[18]。
エルウェイはチームを5回スーパーボウルに出場(プレーヤーとしては最多記録)させたが、最初の3回は全て敗れてチームはミネソタ・バイキングスに続いてスーパーボウルで4連敗した史上2チーム目となった。エースQBのエルウェイとダン・リーブスヘッドコーチの不仲も深刻になっており、1994年シーズン終了と共にチームはエルウェイを選びリーブスはチームを去ることとなった。
1986年、チームは11勝5敗でAFC西地区優勝を果たし、プレーオフではニューイングランド・ペイトリオッツを22-17、クリーブランド・ブラウンズをオーバータイムの末、23-20で破り9年ぶりのスーパーボウル出場を果たした。ブラウンズとの試合では残り5分32秒、自陣2ヤードからの攻撃でザ・ドライブとして知られる98ヤードの同点ドライブでオーバータイムに持ち込んだ。ニューヨーク・ジャイアンツとの第21回スーパーボウルでは20-39で敗れた。
ストライキで短縮された1987年シーズン、AFCトップの10勝4敗1分でホームフィールドアドバンテージを獲得、プレーオフではヒューストン・オイラーズを34-10で破り、クリーブランド・ブラウンズとのAFCチャンピオンシップゲームでは前半21-3とリードしたが、反撃を許し31-31と同点にされ、勝ち越しTDで38-31とリードした。第4Q終盤に同点TDを狙ったアーネスト・バイナーに自陣2ヤード地点でファンブルを誘発し、38-33で逃げ切った。第22回スーパーボウルでは第1Qに10-0とリードしたが、第2Qに35失点(1クォーターでのスーパーボウル記録)するなど、10-42でワシントン・レッドスキンズに敗れた。
1988年は8勝8敗に終わりプレーオフを逃したが、1989年、開幕から12試合で10勝をあげ、11勝5敗をあげた。この年新人RBのボビー・ハンフリーが1,151ヤード、8TDをあげた。また新人キッカーのデビッド・トレドウェルはFGを81.8%成功、AFC3位の120得点をあげてプロボウルに選ばれた。プレーオフではピッツバーグ・スティーラーズを24-23、クリーブランド・ブラウンズを37-21で破った。第24回スーパーボウルではジョー・モンタナにスーパーボウル記録となる5TDパス[注 1]、合計8TDを許し、10-55で敗れた。55失点、45点差での負けはそれぞれスーパーボウルワースト記録となった。
1991年シーズン、ヒューストン・オイラーズとのプレーオフでは第4Q、23-24と1点ビハインドで迎えた自陣2ヤードからのドライブで2回、第4ダウンに追い込まれたものの、残り16秒での逆転FGにより26-24で勝利、AFCチャンピオンシップゲームで、ハイパーオフェンスのバッファロー・ビルズと対戦した。この試合でディフェンスはビルズオフェンスにTDを許さなかったが、自陣深くからエルウェイの投げたスクリーンパスをカールトン・ベイリーにインターセプトされ、11ヤードのリターンTDを許し、7-10で敗れた。
1992年シーズン終了後、4年間で3度のスーパーボウル出場を果たしたダン・リーブスは解任され、ウェイド・フィリップスが後任となった。1994年シーズン終了後、フィリップスは解任され、1995年からマイク・シャナハンがヘッドコーチに就任した。
RBのテレル・デービスがチームに加入した後、チームは1996年には13勝3敗の成績をあげてAFC第1シードとなり、ホームアドバンテージを獲得したがプレーオフ初戦でチーム創設2年目のジャクソンビル・ジャガーズに苦杯をなめさせられた[21][22]。
翌1997年チームはワイルドカードでプレーオフに出場、ジャクソンビル・ジャガーズを42-17、カンザスシティ・チーフスを14-10、ピッツバーグ・スティーラーズを24-21で破り、史上5チーム目のワイルドカードからのスーパーボウル出場チームとなり、第32回スーパーボウルで前年優勝のグリーンベイ・パッカーズと対戦した。下馬評はブロンコス不利だったものの31-24でパッカーズを破り初優勝を果たした[23]。この試合エルウェイはパス22回中12本の成功、0TD、1INTと不調であった(ただしTDランを決めている)がテレル・デービスが157ヤードを走り、スーパーボウル記録の3TDをあげてMVPに選ばれた。
翌1998年もプレーオフでマイアミ・ドルフィンズを38-3、ニューヨーク・ジェッツを23-10で破り、2年連続スーパーボウル出場を果たし、長年ブロンコスのヘッドコーチをつとめエルウェイを指導していたダン・リーブス率いるアトランタ・ファルコンズとの対戦した。第33回スーパーボウルでは34-19で勝利し、スーパーボウル連覇を達成した。38歳のエルウェイはこの試合でパスで336ヤードを獲得、ロッド・スミスへの80ヤードPのTDパス、TDランも決めてMVPに選ばれた。エルウェイはこのシーズンで現役を引退した。
1999年から2011年
[編集]エルウェイの引退後の1999年から2002年まではマイアミ・ドルフィンズの元QB、ボブ・グリーシーの息子であるブライアン・グリーシーが先発QBとなり34勝30敗の成績をあげた。
2003年にチームはアリゾナ・カージナルスの先発QBだったジェイク・プラマーがグリーシーの代わりに先発QBとなった。チームはシーズン序盤は好成績をあげるが終盤失速するといった傾向があり2003年、2004年は5勝1敗と好スタートをきりながらいずれも10勝6敗で終えた。この年プラマーは自己ベストの4,089ヤード、27TDをあげた[24]。2005年には13勝3敗でプレーオフ第2シードを獲得しスーパーボウル3連覇を目指すニューイングランド・ペイトリオッツを27-13と破りペイトリオッツのプレーオフ連勝記録を10で止めたがホームで行なわれたピッツバーグ・スティーラーズとのAFCチャンピオンシップゲームでプラマーが2インターセプトを喫するなど17-34で敗れて、スーパーボウル出場は果たせなかった[24]。
スーパーボウルまであと一歩のところまでいったものの、2006年のドラフト1巡目でチームがQBのジェイ・カトラーを指名したことは周囲を驚かせた。2006年には守備陣が相手のオフェンスに開幕から5試合でわずか1TDしか許さず、7勝2敗と好成績をあげた。その後連敗するとシャナハンは先発QBをジェイク・プラマーからジェイ・カトラーに変え[24]その後2勝3敗、シーズンを9勝7敗で終えた。2007年1月1日にはCBのダレント・ウィリアムスが射殺されて亡くなった[25]。
2007年シーズンはロッド・スミスやトム・ネイレン、ベン・ハミルトンなど故障者が続出し7勝9敗に終わった。
2008年シーズンはシーズン最終節のサンディエゴ・チャージャーズとの地区優勝をかけた試合に敗れこれがシャナハンヘッドコーチの最後の試合となった[26]。
2009年1月11日、ニューイングランド・ペイトリオッツのオフェンスコーディネーター、ジョシュ・マクダニエルズが新ヘッドコーチに就任した。2009年シーズン開幕前一時トレード要員となったジェイ・カトラーとチームの関係が悪化[27]、トレードでシカゴ・ベアーズに放出しQBカイル・オートンやドラフト指名権とトレードした[28]。この年チームは開幕から6連勝したが最後は8勝8敗で終わりプレーオフを逃した[29][30]。
2010年には前年からチームに不満を持ったプロボウラーのブランドン・マーシャルをマイアミ・ドルフィンズにトレード、ドラフトでは大方の予想を裏切りQBティム・ティーボウを1巡目で指名した[31]。そしてクリーブランド・ブラウンズとのトレードでブレイディ・クインを獲得した。3勝9敗となったところでマクダニエルズヘッドコーチは解任されて[30]エリック・スタデスビルRBコーチが暫定ヘッドコーチとなった[32]。その後2011年1月、前年までカロライナ・パンサーズでヘッドコーチを務めたジョン・フォックスがヘッドコーチに就任することとなった[33][34]。
2011年、開幕から1勝4敗となったところでチームはカイル・オートンからティム・ティーボウに先発QBを交代[35]、シーズン途中にオートンは放出された。ティーボウが先発してからチームは続く8試合で7勝1敗の成績をあげ[36]、最後の3試合は連敗したものの、8勝8敗で地区優勝を果たした[37]。ワイルドカードプレーオフでピッツバーグ・スティーラーズをオーバータイムの末、29-23で破ったが[38]、ディビジョナルプレーオフでニューイングランド・ペイトリオッツに10-45で敗れた[39]。
ペイトン・マニングの時代
[編集]2012年、コルツから解雇されたペイトン・マニングを獲得し昨年の先発QBティム・ティーボウをドラフト7巡指名権と共にニューヨーク・ジェッツのドラフト4巡、6巡と交換でトレードした。マニングは、この年カムバック賞に選ばれる活躍を見せた。
2013年、前年と同様に13勝3敗でAFCの第1シードを獲得した。プレーオフでは、サンディエゴ・チャージャーズとニューイングランド・ペイトリオッツを破り、AFCチャンピオンに輝いた。1997年、1998年の連覇以来のスーパーボウル出場となったが、シーホークスに8-43で完敗した。
2014年シーズンの開幕前に、1984年よりチームオーナーを務めていたパット・ボーレンがアルツハイマー病との闘病のため、チーム執行権を手放すことが発表された。結果として、ジョー・エリスとジョン・エルウェイがチームの執行権を握った。この年は、12勝4敗でAFC第2シードを獲得した。しかし、ディヴィジョナル・プレーオフでインディアナポリス・コルツに敗北し、直近4年間で3度目のディヴィジョナル・プレーオフ敗退となった。
2015年からはゲイリー・キュービアックがHCとなり、 第50回スーパーボウルを制覇。この試合でQBを務めたマニングは、翌月に引退を発表した。
2016年以降
[編集]2016年は控えQBであったブロック・オズワイラーがヒューストン・テキサンズへ移籍し、トレヴァー・シーミアンとこの年のドラフト1巡目に指名したパクストン・リンチが先発QBを務めたが地区3位に終わってプレーオフを逃し、シーズン終了後キュービアックの退任を発表した。後任のヘッドコーチには元マイアミ・ドルフィンズのディフェンシブ・コーディネーターであるバンス・ジョセフが就任した。
2017年、2018年も連続してプレーオフを逃し、2018年シーズン終了後HCのバンス・ジョセフは解雇された。後任はシカゴ・ベアーズのディフェンシブ・コーディネーターであるヴィック・ファンジオとなった。2018年のシーズン終了後、ボルティモア・レイブンズよりQBジョー・フラッコをトレードで獲得した。
2019年、ドラフト2巡目でQBドリュー・ロックを指名した。この年フラッコは首を痛めて半数の試合の出場にとどまり、プレーオフを逃した。シーズン後、フラッコはリリースされた。この年、オーナーのパット・ボーレンが亡くなり、以後はオーナー不在が続いた。
2020年は新型コロナウイルス感染症に大きく影響を受け、2020年11月29日の対ニューオーリンズ・セインツ戦では、すべてのQBが陽性あるいは濃厚接触者となって出場不可能となってしまい、大学でQBの経験があるルーキーで練習生のWRケンドール・ヒントンを先発QBとして大敗を喫した[40]。このシーズンも、プレーオフを逃した。2021年1月4日、ジョン・エルウェイは球団社長にはとどまりながら、GMを別に人物とすることを発表した[41]。2021年1月13日、ミネソタ・バイキングスのGM補佐だったジョージ・パトンがGMとなった。2021年4月28日、指名権との交換でカロライナ・パンサーズからQBテディ・ブリッジウォーターを獲得した。
2021年も地区最下位となり6年連続してプレーオフを逃した。最終戦直後、3年間プレーオフを逃したファンジオがHC職から解雇された。後任にはグリーンベイ・パッカーズOCのナサニエル・ハケットが就任した。2022年2月1日、オーナー不在だったチームは公式に買い手を探すことになった。2022年3月8日、1位指名権2個、2位指名権2個、5位指名権2個、さらにドリュー・ロックなど3選手と引き換えに、ラッセル・ウィルソンと4位指名権1個をシアトル・シーホークスから得ると発表し[42]、同月16日に正式決定した。
2022年、チームはS・ロブソン・ウォルトン率いるウォルトン=ペナー・ファミリー・グループにより買収された。グループはウォールマート創設者の子孫であるロブソン、その娘のキャリー、その夫であるグレッグ・ペナー、スターバックスの会長などを務めるメロディー・ホブソン、元国務長官のコンドリーザ・ライス、さらにはレーシング・ドライバーのルイス・ハミルトンからなる。2022年はウィルソンを迎えて期待されるも振るわず、第14週にカンザスシティ・チーフスに敗れて7年連続してプレーオフを逃した。第16週にはロサンゼルス・ラムズに敗れて地区最下位が決定した。翌日、HCのハケットが解任されてシニア・アシスタントのジェリー・ロズバーグが暫定HCとなった[43]。2023年1月31日、ニューオーリンズ・セインツとの契約を残して辞職していたショーン・ペイトンを2023年ドラフトの1巡目指名権、2024年ドラフトの2巡目指名権、さらに将来の3巡目指名権と引き換えに獲得した[44]。
2023年、ブロンコスはショーン・ペイトンをHCに迎えたが成績は振るわず、16週を終わったところでプレーオフ進出の望みはわずかなものとなった。ウィルソンの契約には怪我の保証条項が含まれていたため、のこり2試合にはウィルソンを先発させないことをチームが発表した[45]。第17週の試合に勝利したもののプレーオフを逃した。シーズン後、ウィルソンはリリースされた。
文化
[編集]ホームスタジアムでの応援
[編集]1970年のAFLとNFLの合併以来チケットの完売が続いている。チケットが売れ残ったのは1987年シーズンのストライキの際に代替選手によって行なわれた2試合のみである(ストライキ前にはいったん完売していた。)。ブロンコスのホームフィールドアドバンテージはNFL随一で1974年から2006年までの32年間ほどで191勝65敗1分である。以前のマイル・ハイ・スタジアムのクラウドノイズはNFLのスタジアムの中でも最も騒がしい本拠地の1つとしてブロンコスを後押しした。2001年からインヴェスコ・フィールド・アット・マイルハイを本拠地としている。
マスコット
[編集]マイルズ(Miles)というマスコットとセカンドマスコットが存在する。
チアリーダー
[編集]公式チアリーディングは、「デンバー・ブロンコス・チアリーダース」として活動している。2007年に堀池薫子が日本人として初めてブロンコスのチアリーダーに合格し、2008年にも再度オーディションを突破して合格を果たした[46]。2012年には西村樹里がブロンコスのチアリーダーに合格している[47]。
2024年シーズン
AFC | NFC | |||||||
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前年 | 西地区 | 南地区 | 北地区 | 東地区 | 西地区 | 南地区 | 北地区 | 東地区 |
1位 | チーフス | テキサンズ | レイブンズ | ビルズ | 49ers | バッカニアーズ | ライオンズ | カウボーイズ |
2位 | レイダース | ジャガーズ | ブラウンズ | ドルフィンズ | ラムズ | セインツ | パッカーズ | イーグルス |
3位 | ブロンコス | コルツ | スティーラーズ | ジェッツ | シーホークス | ファルコンズ | バイキングス | ジャイアンツ |
4位 | チャージャーズ | タイタンズ | ベンガルズ | ペイトリオッツ | カージナルス | パンサーズ | ベアーズ | コマンダース |
:1度対戦 :2度対戦
年 | 成績 | AFC | 地区 | 勝 | 敗 | 分 | 率 | Div | Con | 総得点 | 総失点 | 平均得点 | 平均失点 | SOS | SOV |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2024 | 7位 | 3位 | 5 | 5 | 0 | .500 | 1-2 | 2-4 | 197 | 177 | 19.7 | 17.7 | .505 | .306 | |
2023 | レギュラー敗退 | 12位 | 3位 | 8 | 9 | 0 | .471 | 3–3 | 5–7 | 357 | 413 | 21.0 | 24.3 | .488 | .485 |
2022 | レギュラー敗退 | 14位 | 4位 | 5 | 12 | 0 | .294 | 1-5 | 3-9 | 287 | 359 | 16.9 | 21.1 | .481 | .465 |
2021 | レギュラー敗退 | 13位 | 4位 | 7 | 10 | 0 | .412 | 1-5 | 3-9 | 335 | 322 | 19.7 | 18.9 | .484 | .357 |
2020 | レギュラー敗退 | 12位 | 4位 | 5 | 11 | 0 | .313 | 1-5 | 4-8 | 323 | 446 | 20.2 | 27.9 | .566 | .388 |
2019 | レギュラー敗退 | 8位 | 2位 | 7 | 9 | 0 | .438 | 3-3 | 6-6 | 282 | 316 | 17.6 | 19.8 | .510 | .406 |
2018 | レギュラー敗退 | 11位 | 3位 | 6 | 10 | 0 | .375 | 2-4 | 4-8 | 329 | 349 | 20.6 | 21.8 | .523 | .464 |
2017 | レギュラー敗退 | 12位 | 4位 | 5 | 11 | 0 | .313 | 2-4 | 4-8 | 289 | 382 | 18.1 | 23.9 | .492 | .413 |
2016 | レギュラー敗退 | 8位 | 3位 | 9 | 7 | 0 | .563 | 2-4 | 6-6 | 333 | 297 | 20.8 | 18.6 | .549 | .455 |
2015 | スーパーボウル制覇 | 1位 | 1位 | 12 | 4 | 0 | .750 | 4-2 | 8-4 | 355 | 296 | 22.2 | 18.5 | .500 | .479 |
2014 | ディビジョナル敗退 | 2位 | 1位 | 12 | 4 | 0 | .750 | 6-0 | 10-2 | 482 | 354 | 30.1 | 22.1 | .521 | .484 |
2013 | スーパーボウル敗戦 | 1位 | 1位 | 13 | 3 | 0 | .813 | 5-1 | 9-3 | 606 | 399 | 37.9 | 24.9 | .469 | .423 |
2012 | ディビジョナル敗退 | 1位 | 1位 | 13 | 3 | 0 | .813 | 6-0 | 10-2 | 481 | 289 | 30.1 | 18.1 | .457 | .385 |
2011 | ディビジョナル敗退 | 4位 | 1位 | 8 | 8 | 0 | .500 | 3-3 | 6-6 | 309 | 390 | 19.3 | 24.4 | .520 | .445 |
2010 | レギュラー敗退 | 14位 | 4位 | 4 | 12 | 0 | .250 | 1-5 | 3-9 | 344 | 471 | 21.5 | 29.4 | .516 | .453 |
2009 | レギュラー敗退 | 9位 | 2位 | 8 | 8 | 0 | .500 | 3-3 | 6-6 | 326 | 324 | 20.4 | 20.3 | .527 | .516 |
2024年シーズン成績
AFC西地区 2024 | ||||||||||||||
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チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | Div | Con | 総得点 | 総失点 | 平均得点 | 平均失点 | SOS | SOV | 残試合 | |
カンザスシティ・チーフス | 9 | 0 | 0 | 1.000 | 2-0 | 5-0 | 219 | 161 | 24.3 | 17.9 | .483 | .483 | 8 | |
ロサンゼルス・チャージャーズ | 6 | 3 | 0 | .667 | 2-1 | 4-2 | 186 | 118 | 20.7 | 13.1 | .459 | .298 | 8 | |
デンバー・ブロンコス | 5 | 5 | 0 | .500 | 1-2 | 2-4 | 197 | 177 | 19.7 | 17.7 | .505 | .306 | 7 | |
ラスベガス・レイダース | 2 | 7 | 0 | .222 | 0-3 | 2-5 | 168 | 251 | 18.7 | 27.9 | .560 | .474 | 8 |
AFC 2024 | ||||||||||
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順 位 |
チーム | 地 区 |
勝 | 敗 | 分 | 勝率 | DIV | CON | SOS | SOV |
地区1位 | ||||||||||
1 | カンザスシティ・チーフス | 西 | 9 | 0 | 0 | 1.000 | 2-0 | 5-0 | .483 | .483 |
2 | バッファロー・ビルズ | 東 | 8 | 2 | 0 | .800 | 3-0 | 6-2 | .417 | .355 |
3 | ピッツバーグ・スティーラーズ | 北 | 7 | 2 | 0 | .778 | 0-0 | 4-1 | .437 | .456 |
4 | ヒューストン・テキサンズ | 南 | 6 | 4 | 0 | .600 | 3-0 | 5-1 | .510 | .424 |
ワイルドカード圏内 | ||||||||||
5 | ボルチモア・レイブンズ | 北 | 7 | 3 | 0 | .700 | 2-1 | 4-3 | .500 | .507 |
6 | ロサンゼルス・チャージャーズ | 西 | 6 | 3 | 0 | .667 | 2-1 | 4-2 | .459 | .298 |
7 | デンバー・ブロンコス | 西 | 5 | 5 | 0 | .500 | 1-2 | 2-4 | .505 | .306 |
プレーオフ圏外 | ||||||||||
8 | インディアナポリス・コルツ | 南 | 4 | 6 | 0 | .400 | 1-3 | 3-4 | .518 | .444 |
9 | シンシナティ・ベンガルズ | 北 | 4 | 6 | 0 | .400 | 1-2 | 2-4 | .510 | .237 |
10 | マイアミ・ドルフィンズ | 東 | 3 | 6 | 0 | .333 | 1-2 | 2-4 | .471 | .310 |
11 | ニューヨーク・ジェッツ | 東 | 3 | 7 | 0 | .300 | 1-2 | 3-4 | .542 | .379 |
12 | ニューイングランド・ペイトリオッツ | 東 | 3 | 7 | 0 | .300 | 1-2 | 2-5 | .379 | .379 |
13 | テネシー・タイタンズ | 南 | 2 | 7 | 0 | .222 | 0-1 | 2-4 | .529 | .316 |
14 | クリーブランド・ブラウンズ | 北 | 2 | 7 | 0 | .222 | 1-1 | 2-3 | .465 | .450 |
15 | ラスベガス・レイダース | 西 | 2 | 7 | 0 | .222 | 0-3 | 2-5 | .560 | .474 |
16 | ジャクソンビル・ジャガーズ | 南 | 2 | 8 | 0 | .200 | 1-1 | 2-4 | .532 | .350 |
タイブレーク | ||||||||||
ワイルドカード・プレーオフ | ディビジョナル・プレーオフ | |||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2025年1月11日か12日か13日 |
1月18日か19日 |
1月26日 |
2月9日 シーザーズ・スーパードーム | |||||||||||||||
6 | ||||||||||||||||||
3 | ||||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 |
||||||||||||||||||
7 | AFC | |||||||||||||||||
2 | 1月18日か19日 | |||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 |
||||||||||||||||||
AFCチャンピオンシップ | ||||||||||||||||||
1月26日 | ||||||||||||||||||
5 | ||||||||||||||||||
4 | ||||||||||||||||||
1 | ||||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 | ||||||||||||||||||
1月18日か19日 | ||||||||||||||||||
6 | 第59回スーパーボウル | |||||||||||||||||
3 | ||||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 |
||||||||||||||||||
7 | NFC | |||||||||||||||||
2 | 1月18日か19日 | |||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 |
||||||||||||||||||
NFCチャンピオンシップ | ||||||||||||||||||
5 | ||||||||||||||||||
4 | ||||||||||||||||||
1 | ||||||||||||||||||
成績
[編集]AFC西地区(4地区制)
[編集]- DEN:デンバー・ブロンコス、KC:カンザスシティ・チーフス、OAK→LV:オークランド・レイダース→ラスベガス・レイダース、SD→LAC:サンディエゴ・チャージャーズ→ロサンゼルス・チャージャーズ
- 数字:シード順
- v:スーパーボウル優勝
- s:スーパーボウル敗退
- c:カンファレンス決勝敗退
- d:ディビジョナルプレーオフ敗退
- w:ワイルドカードプレーオフ敗退
- 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
2023 | KC (3v) | 11 | 6 | 0 | LV | 8 | 9 | 0 | DEN | 8 | 9 | 0 | LAC | 5 | 12 | 0 |
2022 | KC (1v) | 14 | 3 | 0 | LAC(5w) | 10 | 7 | 0 | LV | 6 | 11 | 0 | DEN | 5 | 12 | 0 |
2021 | KC (2c) | 12 | 5 | 0 | LV (5w) | 10 | 7 | 0 | LAC | 9 | 8 | 0 | DEN | 7 | 10 | 0 |
2020 | KC (1s) | 14 | 2 | 0 | LV | 8 | 8 | 0 | LAC | 7 | 9 | 0 | DEN | 5 | 11 | 0 |
2019 | KC (2v) | 12 | 4 | 0 | DEN | 7 | 9 | 0 | OAK | 7 | 9 | 0 | LAC | 5 | 11 | 0 |
2018 | KC (1c) | 12 | 4 | 0 | LAC(5d) | 12 | 4 | 0 | DEN | 6 | 10 | 0 | OAK | 4 | 12 | 0 |
2017 | KC (4w) | 10 | 6 | 0 | LAC | 9 | 7 | 0 | OAK | 6 | 10 | 0 | DEN | 5 | 11 | 0 |
2016 | KC (2d) | 12 | 4 | 0 | OAK(5w) | 12 | 4 | 0 | DEN | 9 | 7 | 0 | SD | 5 | 11 | 0 |
2015 | DEN(1v) | 12 | 4 | 0 | KC (5d) | 11 | 5 | 0 | OAK | 7 | 9 | 0 | SD | 4 | 12 | 0 |
2014 | DEN(2d) | 12 | 4 | 0 | KC | 9 | 7 | 0 | SD | 9 | 7 | 0 | OAK | 3 | 13 | 0 |
2013 | DEN(1s) | 13 | 3 | 0 | KC (5w) | 11 | 5 | 0 | SD (6d) | 9 | 7 | 0 | OAK | 4 | 12 | 0 |
2012 | DEN(1d) | 13 | 3 | 0 | SD | 7 | 9 | 0 | OAK | 4 | 12 | 0 | KC | 2 | 14 | 0 |
2011 | DEN(4d) | 8 | 8 | 0 | SD | 8 | 8 | 0 | OAK | 8 | 8 | 0 | KC | 7 | 9 | 0 |
2010 | KC (4w) | 10 | 6 | 0 | SD | 9 | 7 | 0 | OAK | 8 | 8 | 0 | DEN | 4 | 12 | 0 |
2009 | SD (2d) | 13 | 3 | 0 | DEN | 8 | 8 | 0 | OAK | 5 | 11 | 0 | KC | 4 | 12 | 0 |
2008 | SD (4d) | 8 | 8 | 0 | DEN | 8 | 8 | 0 | OAK | 5 | 11 | 0 | KC | 2 | 14 | 0 |
2007 | SD (3c) | 11 | 5 | 0 | DEN | 7 | 9 | 0 | KC | 4 | 12 | 0 | OAK | 4 | 12 | 0 |
2006 | SD (1d) | 14 | 2 | 0 | KC (6w) | 9 | 7 | 0 | DEN | 9 | 7 | 0 | OAK | 2 | 14 | 0 |
2005 | DEN(2c) | 13 | 3 | 0 | KC | 10 | 6 | 0 | SD | 9 | 7 | 0 | OAK | 4 | 12 | 0 |
2004 | SD (4w) | 12 | 4 | 0 | DEN(6w) | 10 | 6 | 0 | KC | 7 | 9 | 0 | OAK | 5 | 11 | 0 |
2003 | KC (2d) | 13 | 3 | 0 | DEN(6w) | 10 | 6 | 0 | OAK | 4 | 12 | 0 | SD | 4 | 12 | 0 |
2002 | OAK(1s) | 11 | 5 | 0 | DEN | 9 | 7 | 0 | SD | 8 | 8 | 0 | KC | 8 | 8 | 0 |
AFC西地区(3地区制)
[編集]- DEN:デンバー・ブロンコス、KC:カンザスシティ・チーフス、RAI→OAK:ロサンゼルス・レイダース→オークランド・レイダース、SD:サンディエゴ・チャージャーズ、SEA:シアトル・シーホークス、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
- 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
- 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
2001 | OAK(3d) | 10 | 6 | 0 | SEA | 9 | 7 | 0 | DEN | 8 | 8 | 0 | KC | 6 | 10 | 0 | SD | 5 | 11 | 0 |
2000 | OAK(2c) | 12 | 4 | 0 | DEN(5w) | 11 | 5 | 0 | KC | 7 | 9 | 0 | SEA | 6 | 10 | 0 | SD | 1 | 15 | 0 |
1999 | SEA(3w) | 9 | 7 | 0 | KC | 9 | 7 | 0 | SD | 8 | 8 | 0 | DEN | 8 | 8 | 0 | OAK | 6 | 10 | 0 |
1998 | DEN(1v) | 14 | 2 | 0 | OAK | 8 | 8 | 0 | SEA | 8 | 8 | 0 | KC | 7 | 9 | 0 | SD | 5 | 11 | 0 |
1997 | KC(1d) | 13 | 3 | 0 | DEN(4v) | 12 | 4 | 0 | SEA | 8 | 8 | 0 | OAK | 4 | 12 | 0 | SD | 4 | 12 | 0 |
1996 | DEN(1d) | 13 | 3 | 0 | KC | 9 | 7 | 0 | SD | 8 | 8 | 0 | OAK | 7 | 9 | 0 | SEA | 7 | 9 | 0 |
1995 | KC(1d) | 13 | 3 | 0 | SD(4w) | 9 | 7 | 0 | SEA | 8 | 8 | 0 | DEN | 8 | 8 | 0 | OAK | 8 | 8 | 0 |
1994 | SD(2s) | 11 | 5 | 0 | KC(6w) | 9 | 7 | 0 | RAI | 9 | 7 | 0 | DEN | 7 | 9 | 0 | SEA | 6 | 10 | 0 |
1993 | KC(3c) | 11 | 5 | 0 | RAI(4d) | 10 | 6 | 0 | DEN(5w) | 9 | 7 | 0 | SD | 8 | 8 | 0 | SEA | 6 | 10 | 0 |
1992 | SD(3d) | 11 | 5 | 0 | KC(6w) | 10 | 6 | 0 | DEN | 8 | 8 | 0 | RAI | 7 | 9 | 0 | SEA | 2 | 14 | 0 |
1991 | DEN(2c) | 12 | 4 | 0 | KC(4d) | 10 | 6 | 0 | RAI(5w) | 9 | 7 | 0 | SEA | 7 | 9 | 0 | SD | 4 | 12 | 0 |
1990 | RAI(2c) | 12 | 4 | 0 | KC(5w) | 11 | 5 | 0 | SEA | 9 | 7 | 0 | SD | 6 | 10 | 0 | DEN | 5 | 11 | 0 |
1989 | DEN(1s) | 11 | 5 | 0 | KC | 8 | 7 | 1 | RAI | 8 | 8 | 0 | SEA | 7 | 9 | 0 | SD | 6 | 10 | 0 |
1988 | SEA(3d) | 9 | 7 | 0 | DEN | 8 | 8 | 0 | RAI | 7 | 9 | 0 | SD | 6 | 10 | 0 | KC | 4 | 11 | 1 |
1987 | DEN(1s) | 10 | 4 | 1 | SEA(5w) | 9 | 6 | 0 | SD | 8 | 7 | 0 | RAI | 5 | 10 | 0 | KC | 4 | 11 | 0 |
1986 | DEN(2s) | 11 | 5 | 0 | KC(5w) | 10 | 6 | 0 | SEA | 10 | 6 | 0 | RAI | 8 | 8 | 0 | SD | 4 | 12 | 0 |
1985 | RAI(1d) | 12 | 4 | 0 | DEN | 11 | 5 | 0 | SEA | 8 | 8 | 0 | SD | 8 | 8 | 0 | KC | 6 | 10 | 0 |
1984 | DEN(2d) | 13 | 3 | 0 | SEA(4d) | 12 | 4 | 0 | RAI(5w) | 11 | 5 | 0 | KC | 8 | 8 | 0 | SD | 7 | 9 | 0 |
1983 | RAI(1v) | 12 | 4 | 0 | SEA(4c) | 9 | 7 | 0 | DEN(5w) | 9 | 7 | 0 | SD | 6 | 10 | 0 | KC | 6 | 10 | 0 |
1982 | RAI(1d) | 8 | 1 | 0 | SD(5d) | 6 | 3 | 0 | SEA | 4 | 5 | 0 | KC | 3 | 6 | 0 | DEN | 2 | 7 | 0 |
1981 | SD(3c) | 10 | 6 | 0 | DEN | 10 | 6 | 0 | KC | 9 | 7 | 0 | OAK | 7 | 9 | 0 | SEA | 6 | 10 | 0 |
1980 | SD(1c) | 11 | 5 | 0 | OAK(4v) | 11 | 5 | 0 | KC | 8 | 8 | 0 | DEN | 8 | 8 | 0 | SEA | 4 | 12 | 0 |
1979 | SD(1d) | 12 | 4 | 0 | DEN(5w) | 10 | 6 | 0 | SEA | 9 | 7 | 0 | OAK | 9 | 7 | 0 | KC | 7 | 9 | 0 |
1978 | DEN(3d) | 10 | 6 | 0 | OAK | 9 | 7 | 0 | SEA | 9 | 7 | 0 | SD | 9 | 7 | 0 | KC | 4 | 12 | 0 |
1977 | DEN(1s) | 12 | 2 | 0 | OAK(4c) | 11 | 3 | 0 | SD | 7 | 7 | 0 | SEA | 5 | 9 | 0 | KC | 2 | 12 | 0 |
1976 | OAK(1v) | 13 | 1 | 0 | DEN | 9 | 5 | 0 | SD | 6 | 8 | 0 | KC | 5 | 9 | 0 | TB | 0 | 14 | 0 |
1975 | OAK(2c) | 11 | 3 | 0 | DEN | 6 | 8 | 0 | KC | 5 | 9 | 0 | SD | 2 | 12 | 0 | ||||
1974 | OAK(c) | 12 | 2 | 0 | DEN | 7 | 6 | 1 | KC | 5 | 9 | 0 | SD | 5 | 9 | 0 | ||||
1973 | OAK(c) | 9 | 4 | 1 | KC | 7 | 5 | 2 | DEN | 7 | 5 | 2 | SD | 2 | 11 | 1 | ||||
1972 | OAK(d) | 10 | 3 | 0 | KC | 8 | 6 | 0 | DEN | 5 | 9 | 0 | SD | 4 | 9 | 1 | ||||
1971 | KC(d) | 10 | 3 | 1 | OAK | 8 | 4 | 2 | SD | 6 | 8 | 0 | DEN | 4 | 9 | 1 | ||||
1970 | OAK(c) | 8 | 4 | 2 | KC | 7 | 5 | 2 | SD | 5 | 6 | 3 | DEN | 5 | 8 | 1 |
- DEN:デンバー・ブロンコス、DAL→KC:ダラス・テキサンズ→カンザスシティ・チーフス、OAK:オークランド・レイダース、LA→SD:ロサンゼルス・チャージャーズ→サンディエゴ・チャージャーズ、CIN:シンシナティ・ベンガルズ
- 括弧内の文字はV:スーパーボウル(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム)優勝、s:スーパーボウル敗退・AFL優勝、a:AFL決勝敗退、d:ディビジョナルプレイオフ敗退、v:AFL優勝(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム設立前)
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
1969 | OAK(a) | 12 | 1 | 1 | KC(V) | 11 | 3 | 0 | SD | 8 | 6 | 0 | DEN | 5 | 8 | 1 | CIN | 4 | 9 | 1 |
1968 | OAK(a) | 12 | 2 | 0 | KC | 12 | 2 | 0 | SD | 9 | 5 | 0 | DEN | 5 | 9 | 0 | CIN | 3 | 11 | 0 |
1967 | OAK(s) | 13 | 3 | 0 | KC | 9 | 5 | 0 | SD | 8 | 5 | 1 | DEN | 3 | 11 | 0 | ||||
1966 | KC(s) | 11 | 2 | 0 | OAK | 8 | 5 | 1 | SD | 7 | 6 | 1 | DEN | 4 | 10 | 0 | ||||
スーパーボウル開始 | ||||||||||||||||||||
1965 | SD(a) | 9 | 2 | 3 | OAK | 8 | 5 | 1 | KC | 7 | 5 | 2 | DEN | 4 | 10 | 0 | ||||
1964 | SD(a) | 8 | 5 | 1 | KC | 7 | 7 | 0 | OAK | 5 | 7 | 2 | DEN | 2 | 11 | 1 | ||||
1963 | SD(v) | 11 | 3 | 0 | OAK | 10 | 4 | 0 | KC | 5 | 7 | 2 | DEN | 2 | 11 | 1 | ||||
1962 | DAL(v) | 11 | 3 | 0 | DEN | 7 | 7 | 0 | SD | 4 | 10 | 0 | OAK | 1 | 13 | 0 | ||||
1961 | SD(a) | 12 | 2 | 0 | DAL | 6 | 8 | 0 | DEN | 3 | 11 | 0 | OAK | 2 | 12 | 0 | ||||
1960 | LA(a) | 10 | 4 | 0 | DAL | 8 | 6 | 0 | OAK | 6 | 8 | 0 | DEN | 4 | 9 | 1 |
主な選手
[編集]現役選手
[編集]永久欠番
[編集]デンバー・ブロンコス 永久欠番一覧 | ||||
背番号 | 選手 | ポジション | 在籍期間 | |
---|---|---|---|---|
7 | ジョン・エルウェイ | John Elway | QB | 1983–1998 |
18 | フランク・トリプカ ペイトン・マニング* |
Frank Tripucka Peyton Manning |
QB | 1960–1963 2012–2015 |
44 | フロイド・リトル | Floyd Little | RB | 1967–1975 |
* 2012年、マニングが加入した際、チームおよびトリプカが快諾し、旧所属のインディアナポリス・コルツで長らく使用してきた18番を継続して使用することになった[48]。2015年で引退した後、敬意を表してマニングの名前が永久欠番に追加された。
プロフットボール殿堂入り
[編集]プロフットボール殿堂入りメンバー一覧 | |||||
選手 | |||||
---|---|---|---|---|---|
背番号 | 名前 | ポジション | 在籍期間 | 選出年 | |
24 | ウィリー・ブラウン | Willie Brown | CB | 1963–1966 | 1984 |
33 | トニー・ドーセット | Tony Dorsett | RB | 1988 | 1994 |
7 | ジョン・エルウェイ | John Elway | QB | 1983–1998 | 2004 |
- | GM | 2011–2020 | |||
65 | ゲイリー・ジマーマン | Gary Zimmerman | OT | 1993–1997 | 2008 |
44 | フロイド・リトル | Floyd Little | RB | 1967–1975 | 2010 |
19 | ジェリー・ライス | Jerry Rice | WR | 2005 | 2010 |
84 | シャノン・シャープ | Shannon Sharpe | TE | 1990–1999, 2002–2003 | 2011 |
30 | テレル・デービス | Terrell Davis | RB | 1995–2001 | 2017 |
20 | ブライアン・ドーキンズ | Brian Dawkins | SS | 2009–2011 | 2018 |
24 | チャンプ・ベイリー | Champ Bailey | CB | 2004–2013 | 2019 |
26 | タイ・ロー | Ty Law | CB | 2009 | 2019 |
27 | スティーブ・アトウォーター | Steve Atwater | SS | 1989–1998 | 2020 |
47 | ジョン・リンチ | John Lynch | SS | 2004–2007 | 2021 |
18 | ペイトン・マニング | Peyton Manning | QB | 2011–2015 | 2021 |
コーチ・エグゼクティブ | |||||
名前 | 役職 | 在籍期間 | 選出年 | ||
パット・ボーレン | Pat Bowlen | オーナー/CEO | 1984–2019 | 2019 |
リング・オブ・フェイム
[編集]- グース・ゴンスリン
- リッチ・ジャクソン
- フロイド・リトル
- ライオネル・テイラー
- ジェラルド・フィップス
- チャーリー・ジョンソン
- ポール・スミス
- フランク・トリプカ
- ビリー・トンプソン
- クレイグ・モートン
- ヘイブン・モーゼス
- ジム・ターナー
- ランディ・グラディシャー
- トム・ジャクソン
- ルイス・ライト
- ジョン・エルウェイ
- カール・メクレンバーグ
- デニス・スミス
- ゲイリー・ジマーマン
- スティーブ・アトウォーター
- テレル・デービス
- シャノン・シャープ
- ロッド・スミス
- トム・ネイレン
- ジーン・ミンゴ
- ダン・リーブス
- リック・アップチャーチ
- パット・ボーレン
- ジェイソン・イーラム
- サイモン・フレッチャー
- ジョン・リンチ
- レッド・ミラー
- チャンプ・ベイリー
- マイク・シャナハン
- ペイトン・マニング
スーパーボウルMVP
[編集]- 第32回スーパーボウル - テレル・デービス RB
- 第33回スーパーボウル - ジョン・エルウェイ QB
- 第50回スーパーボウル - ボン・ミラー LB
50周年記念チーム(2009)
[編集]歴代ヘッドコーチ
[編集]- フランク・フィルコック (1960-1961)
- ジャック・フォークナー (1962-1964)
- マック・スピーディー (1964-1966)
- レイ・マラヴェシ (1966)
- ルー・セイバン (1967-1971)
- ジェリー・スミス (1971)
- ジョン・ラルストン (1972-1976)
- レッド・ミラー (1977-1980)
- ダン・リーブス (1981-1992)
- ウェイド・フィリップス (1993-1994)
- マイク・シャナハン (1995-2008)
- ジョシュ・マクダニエルズ (2009-2010)
- エリック・スタデスビル (2010)
- ジョン・フォックス (2011-2014)
- ゲイリー・キュービアック (2015-2016)
- バンス・ジョセフ (2017-2018)
- ヴィック・ファンジオ (2019-2021)
- ナサニエル・ハケット (2022)
- ジェリー・ロズバーグ 暫定 (2022)
- ショーン・ペイトン (2023-)
-
ウェイド・フィリップス
-
マイク・シャナハン
-
ジョシュ・マクダニエルズ
-
ジョン・フォックス
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 第29回スーパーボウルでスティーブ・ヤングが6TDパスを投げて記録を更新している。
出典
[編集]- ^ http://www.profootballhof.com/history/team.jsp?franchise_id=10
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2008年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年3月26日閲覧。
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2007年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月1日閲覧。
- ^ http://www.profootballhof.com/history/nicknames.jsp
- ^ http://www.pro-football-reference.com/boxscores/196009090nwe.htm
- ^ Kansas City Chiefs - Dressing up the old AFL
- ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/
- ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/1965.htm
- ^ http://www.pro-football-reference.com/boxscores/196609030oti.htm
- ^ http://www.pro-football-reference.com/teams/den/1966.htm
- ^ “Team - Pro Football Hall of Fame”. Profootballhof.com. 2009年1月12日閲覧。
- ^ a b “Denver Broncos: American Football League Charter Members”. Conigliofamily.com. 2009年1月12日閲覧。
- ^ http://www.nflteamhistory.com/nfl_teams/denver_broncos/team_history.html
- ^ “Denver Broncos Team Encyclopedia”. Pro-football-reference.com. 2009年1月12日閲覧。
- ^ “Denver Broncos Team History”. Nflteamhistory.com. 2009年1月12日閲覧。
- ^ “1977 Denver Broncos Statistics”. Pro-football-reference.com. 2009年1月12日閲覧。
- ^ Dan Van Wie (2011年11月18日). “The Biggest Comeback in the History of Each NFL Franchise”. bleacherreport.com. 2013年5月22日閲覧。
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- ^ NFLJAPAN「マニングが背番号18継続へ、永久欠番もOBが快諾」
外部リンク
[編集]- デンバー・ブロンコス公式サイト
- デンバー・ブロンコス (NFL JAPAN)