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デニー・マクレイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デニー・マクレーンから転送)
デニー・マクレイン
Denny McLain
現役時代のマクレイン(1966年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州シカゴ
生年月日 (1944-03-29) 1944年3月29日(80歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1962年
初出場 1963年9月21日
最終出場 1972年9月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

デニス・デイル・マクレインDennis Dale McLain, 1944年3月29日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身。右投げ右打ち。

経歴

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デトロイト・タイガース

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1962年に地元のシカゴ・ホワイトソックスと契約。マイナーリーグの初登板でノーヒッターを達成する[1]ウェーバーにかけられ、1963年4月8日デトロイト・タイガースに移籍。A級・AA級合計で18勝6敗・防御率2.89・239奪三振を記録し、9月21日のホワイトソックス戦でメジャーデビュー、自責点1で完投勝利を挙げる。1965年6月12日から7月25日にかけて2試合連続完封を含む8連勝を記録。16勝6敗・防御率2.61・192奪三振を記録。1966年は前半戦で13勝を挙げ、オールスターゲームに初選出されて先発投手を務め、3回を無安打に抑えた[2]。後半戦で7勝10敗・防御率4.98と調子を落とし、自身初の20勝を記録したものの42被本塁打・120失点はリーグワーストだった。1967年は8月終了時で17勝を挙げるが9月は未勝利に終わり、チームも1ゲーム差でリーグ優勝を逃した。

1968年は前半戦で16勝2敗・防御率2.09を記録し、2年ぶりにオールスターゲームに選出される。後半戦も勢いは衰えず、9月14日オークランド・アスレティックス戦で1934年ディジー・ディーン以来34年ぶりとなるシーズン30勝に到達[3][4][5]。31勝6敗・防御率1.96・280奪三振、共にリーグ最多の28完投・336.0イニングを記録し、最多勝利のタイトルを獲得。チームは2位に12ゲーム差を付ける圧倒的な強さでリーグ優勝を果たす。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでは第1戦に先発。同年防御率1.12という驚異的な成績をマークしたボブ・ギブソンと投げ合い、17三振を奪われて完封負けを喫し敗戦投手となる。第4戦でも再び対戦したが3回途中4失点で敗戦投手となり、1勝3敗と王手をかけられる。第6戦では中2日で先発し、3回までに大量12点の援護もあって1失点完投勝利を挙げ、タイに戻す。チームは最終第7戦でギブソンを打ち崩して4勝3敗でカージナルスを破り、23年ぶりのワールドチャンピオンとなった[4]。オフにサイ・ヤング賞MVPを満票で受賞した[4][6]1969年も前半戦で14勝5敗を記録し、2年連続でオールスターゲームに選出され先発の予定だったが、試合途中に帰ったため批判を浴びるなど[1]素行の悪さが球団を悩ませた。24勝9敗・防御率2.80・181奪三振、共にリーグトップの9完封・325.0イニングを記録し、2年連続の最多勝利を獲得。サイ・ヤング賞の投票ではマイク・クェイヤーと同点になり、史上初の2人同時受賞となった。

栄光からの転落・そして引退

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1970年2月に賭博行為への関与と拳銃の不法所持が発覚。当時のMLBコミッショナーであったボウイ・キューンにより開幕から3カ月の出場停止処分を受けた。また1日にコーラを25本も飲みオフも毎日ボウリングやテレビ出演に明け暮れた不摂生が祟って球速が低下し、3勝5敗・防御率4.63と成績が急降下[7]10月9日に4選手との交換トレードで他3選手と共にワシントン・セネターズに移籍。

1971年は4月に2完封をマークするなどまずまずのスタートを切ったが5月から9連敗を喫するなど前半戦だけで15敗。10勝を挙げたもののリーグワーストの22敗・防御率4.28と不本意な成績に終わる。監督のテッド・ウィリアムズとも口論が絶えなかった[3][4]1972年3月4日に2選手との交換トレードでアスレティックスに移籍。しかし1勝2敗・防御率6.04と結果を残せずマイナー降格。6月29日オーランド・セペダとの交換トレードでアトランタ・ブレーブスに移籍するが3勝に留まり、シーズン通算で4勝7敗・防御率6.37。1973年3月26日に解雇され、その後ミルウォーキー・ブルワーズ、古巣ホワイトソックスと契約するが、メジャー昇格はならず現役引退。

引退後

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2012年、マイナーチームでの始球式にて

25歳の時点で114勝を記録し、将来のアメリカ野球殿堂入りを確実視されていたが、引退後はコカインの密売や業務上横領などで逮捕・服役を繰り返してしまう。1980年代半ばから1990年代初頭まで服役しており、その間に全ての歯を失ってしまう上、体重増もあって最大で150kgを数えるなど巨象のように肥え太ってしまった[7]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1963 DET 3 3 2 0 0 2 1 0 -- .667 96 21.0 20 2 16 0 0 22 1 1 12 10 4.29 1.71
1964 19 16 3 0 1 4 5 0 -- .444 416 100.0 84 16 37 0 1 70 0 0 48 45 4.05 1.21
1965 33 29 13 4 3 16 6 1 -- .727 881 220.1 174 25 62 1 2 192 3 2 73 64 2.61 1.07
1966 38 38 14 4 1 20 14 0 -- .588 1080 264.1 205 42 104 3 3 192 6 0 120 115 3.92 1.17
1967 37 37 10 3 1 17 16 0 -- .515 976 235.0 209 35 73 3 3 161 4 0 110 99 3.79 1.20
1968 41 41 28 6 5 31 6 0 -- .838 1288 336.0 241 31 63 2 6 280 3 0 86 73 1.96 0.90
1969 42 41 23 9 2 24 9 0 -- .727 1304 325.0 288 25 67 7 4 181 5 2 105 101 2.80 1.09
1970 14 14 1 0 0 3 5 0 -- .375 402 91.1 100 19 28 0 3 52 0 1 51 47 4.63 1.40
1971 WS2 33 32 9 3 0 10 22 0 -- .313 931 216.2 233 31 72 8 3 103 4 1 115 103 4.28 1.41
1972 OAK 5 5 0 0 0 1 2 0 -- .333 108 22.1 32 4 8 0 0 8 0 0 17 15 6.04 1.79
ATL 15 8 2 0 1 3 5 1 -- .375 237 54.0 60 12 18 0 1 21 1 2 41 39 6.50 1.44
'72計 20 13 2 0 1 4 7 1 -- .364 345 76.1 92 16 26 0 1 29 1 2 58 54 6.37 1.55
通算:10年 280 264 105 29 14 131 91 2 -- .590 7719 1886.0 1646 242 548 24 26 1282 27 9 778 711 3.39 1.16
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル 

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  • 最多勝利 2回:1968年, 1969年

表彰・記録

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脚注

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  1. ^ a b 出野哲也「歴史が動いた日vol.34 1968.9.14 不良右腕マクレインが34年ぶりの30勝投手に」『スラッガー』2008年8月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-8、90 - 92頁
  2. ^ July 12, 1966 All-Star Game Play-By-Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年8月17日閲覧。
  3. ^ a b Wolpin, Stewart. “The Ballplayers - Denny McLain” (英語). BaseballLibrary.com. 2009年8月17日閲覧。
  4. ^ a b c d 福島良一 (2010年7月23日). “最後の30勝投手マクレーン、今や栄光の面影なし”. ZAKZAK. 2010年11月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月24日閲覧。
  5. ^ これを最後にシーズン30勝を記録した投手はいない。
  6. ^ Baseball Awards Voting for 1968” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年8月17日閲覧。
  7. ^ a b 上田龍 (2008年5月6日). “月間最優秀投手の大活躍で思い起こす「1968年の夏」MLB名人物ファイル第10回 空前のピッチング・イヤー”. sportsnavi. 2012年11月9日閲覧。

外部リンク

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