カティーナ・パクシヌー
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カティーナ・パクシヌー Katina Paxinou | |||||||||||||
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本名 | Ekaterini Konstantopoulou | ||||||||||||
生年月日 | 1900年12月17日 | ||||||||||||
没年月日 | 1973年2月22日(72歳没) | ||||||||||||
出生地 | ギリシャ王国 ピレウス | ||||||||||||
死没地 | ギリシャ アテネ | ||||||||||||
職業 | 女優 | ||||||||||||
ジャンル | 舞台・映画・テレビ | ||||||||||||
活動期間 | 1943年 - 1970年 | ||||||||||||
配偶者 |
ロアニス・パクシノス(1917年 - 1923年)※離婚 アレクシス・ミノティス(1940年 - 1973年)※死別 | ||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||
『誰が為に鐘は鳴る』 『若者のすべて』 | |||||||||||||
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カティーナ・パクシヌー(Katina Paxinou, 1900年12月17日 - 1973年2月22日)は、ギリシャのピレウス出身の女優である。カティナ・パクシノウとも表記される。
経歴
[編集]1900年にギリシャ王国のピレウスで生まれ、オペラ歌手としての訓練を受けた[要出典]。
1928年に初舞台を踏み、1930年代初頭にギリシャ国立劇場(当時は王立劇場)の創設メンバーとなる。第二次世界大戦が始まるとイギリスに渡り[1]、その後、アメリカ合衆国でブロードウェイの舞台に立つ[2]。
1943年のサム・ウッド監督の映画『誰が為に鐘は鳴る』で映画デビュー、同作の演技で第16回アカデミー賞助演女優賞および第1回ゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞する。その後、数本のハリウッド映画に出演した後に、1950年代の初頭には活動の中心をギリシャに戻す[1]。
1973年にガンで死去。
主な出演作品
[編集]公開年 | 邦題 原題 |
役名 |
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1943 | 誰が為に鐘は鳴る For Whom the Bell Tolls |
ピラー |
1945 | 密使 Confidential Agent |
メランデス夫人 |
1949 | 狐の王子 Prince of Foxes |
モナ・コンスタンツァ・ゾッポ |
1955 | 秘められた過去 Mr. Arkadin |
ソフィー |
1959 | 奇蹟 The Miracle |
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1960 | 若者のすべて Rocco e i suoi Fratelli |
ロザリア |
1968 | 若草の萌えるころ Tante Zita |
ジタおばさん |
受賞歴
[編集]- 第16回アカデミー賞(1944年) アカデミー助演女優賞:『誰が為に鐘は鳴る』
- 第1回ゴールデングローブ賞(1944年) 助演女優賞:『誰が為に鐘は鳴る』
- 第9回ニューヨーク映画批評家協会賞(1943年、これのみノミネート) 主演女優賞:『誰が為に鐘は鳴る』
出典
[編集]- ^ a b “Katina Paxinou - Biography” (英語). IMDb. 2013年4月12日閲覧。
- ^ “Katina Paxinou” (英語). IBDB. 2013年4月12日閲覧。