エンサイン・N180
マレーシア、クアラルンプールで展示されるエンサイン・N180。2010年8月1日 | |||||||||
カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター | エンサイン | ||||||||
先代 | エンサイン・N179 | ||||||||
後継 | エンサイン・N181 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
エンジン | フォード-コスワース DFV 3.0L V8 | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー, ミシュラン, エイヴォン | ||||||||
主要成績 | |||||||||
ドライバー | クレイ・レガツォーニ, ティフ・ニーデル, ヤン・ラマース, ジェフ・リース, マルク・スレール, リカルド・ロンドノ, エリセオ・サラザール, ロベルト・ゲレーロ | ||||||||
出走時期 | 1980年, 1981年, 1982年 | ||||||||
初戦 | 1980年アルゼンチングランプリ | ||||||||
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エンサイン・N180 (Ensign N180) は、イギリスのレーシングチーム、エンサインが1980年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。1981年、1982年は改良型のN180Bが投入された。N180Bはその後売却されブリティッシュF1選手権、インターセリエ、Can-Amに参戦した。
開発
[編集]チームはユニパートの支援を受け、ラルフ・ベラミーとナイジェル・ベネットが新型マシン、N180の開発を行った。両者は2ヶ月で設計を完了し、1979年の秋にN180は完成した。N180は一体式の滑らかなボディを持ち、外見はウィリアムズ・FW07によく似ていた。エンジンはコスワースDFVを搭載した。
1980
[編集]N180はクレイ・レガツォーニの手により1980年1月、アルゼンチングランプリでデビューした。レガツォーニは70年代始めにフェラーリからF1参戦し、74年には最終戦のアメリカグランプリでエマーソン・フィッティパルディに敗れタイトルを逃している。1977年にエンサインに移籍し、78年はシャドウに移籍したが、この2年は不振を囲った。翌79年にウィリアムズに移籍、イギリスグランプリで優勝しチームにとっての初の勝利を獲得した。にもかかわらず、1980年には再びエンサインに移籍している。
開幕戦の予選でレガツォーニは1.47.18で15位となる。これはトップのウィリアムズ・FW07をドライブするアラン・ジョーンズのタイムから3秒以上の差があった。決勝でレガツォーニはメカニカルトラブルのため2度ピットインしている。結局は優勝したジョーンズから9周後れでゴールしたが、周回数不足のため完走扱いとはならなかった。第2戦ブラジルグランプリでは12番グリッドからスタートしたものの、13周目にエンジントラブルでリタイアした。両レースともN180は予選をトラブル無く中位で通過したが、決勝ではトラブルに泣かされることとなった。
第4戦アメリカ西グランプリでレガツォーニは大クラッシュし、そのキャリアを終えることとなる。同時にN180のプロジェクトも停止した。50周目で4位の位置にいたレガツォーニのN180は、ショアラインドライブから続くブレーキゾーンでチタン製のブレーキペダルが破損してしまう。減速できないままコースアウトし、先にリタイアしランオフエリアに停止していたリカルド・ズニーノのブラバム・BT49に接触、保護が不十分なコンクリートウォールに後部から激突した。救助作業は時間を要し、レガツォーニはセントメアリー病院に搬送されたが、脚を複雑骨折し、頭部や脊椎も負傷していた。レガツォーニは脊椎損傷のため下半身不随となり、その後車椅子での生活を余儀なくされた。
レガツォーニの事故でエンサインはドライバーがいなくなった。ベルギーグランプリではティフ・ニーデルが代役として出場し、続くモナコグランプリにも出場した。ベルギーでニーデルは予選を23位で通過したが、12周目にエンジントラブルでリタイアした。モナコでは予選通過することはできなかった。
フランスグランプリからはニーデルに代わってヤン・ラマースが起用された。しかし、車の開発は停滞し、ラマースには予選を通過するチャンスは無かった。フランス、イギリスと2戦連続で予選落ちし、ドイツグランプリでようやく予選を通過、決勝は24番グリッドからスタートし、優勝したジャック・ラフィットのリジェ・JS11/15からは1周後れの14位でフィニッシュした。チームはオランダとイタリアでは2台目のマシンを用意し、ジェフ・リースを起用した。ラマース、リースともに予選通過に苦戦した。シーズン後半での最高位はカナダグランプリでラマースが記録した12位であった。
1981
[編集]1981年シーズン、N180は改良が施され、N180Bとして投入された。新たなドライバーはマルク・スレールが起用された。第2戦ブラジルグランプリでスレールは4位に入賞、ファステストラップも記録した。これがシーズンベストの記録となった。第7戦スペイングランプリからはスレールに代わってエリセオ・サラザールが起用された。サラザールはチームにとって貴重なスポンサーマネーをもたらした。第12戦オランダグランプリでは6位に入賞している。
1982年シーズンはN180Bに代わってN181が投入された。
オーロラAFX F1シリーズ
[編集]1982年、ジム・クロフォードはN180でオーロラAFX F1シリーズに参戦した。
F1における全成績
[編集]N180
[編集]年 | チーム | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | ポイント | 順位 |
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1980年 | ユニパート・レーシングチーム | ARG |
BRA |
RSA |
USW |
BEL |
MON |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
CAN |
USA |
0 | 13 | |
クレイ・レガツォーニ | NC | Ret | 9 | Ret | ||||||||||||||
ティフ・ニーデル | Ret | DNQ | ||||||||||||||||
ヤン・ラマース | DNQ | DNQ | 14 | DNQ | DNQ | DNQ | 12 | Ret | ||||||||||
ジェフ・リース | Ret | DNQ |
N180B
[編集]年 | チーム | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | 順位 |
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1981年 | エンサイン・レーシング | USW |
BRA |
ARG |
SMR |
BEL |
MON |
ESP |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
CAN |
CPL |
5 | 11 | ||
マルク・スレール | Ret | 4 | Ret | 9 | 11 | 6 | ||||||||||||||
エリセオ・サラザール | 14 | Ret | DNQ | NC | Ret | 6 | Ret | Ret | NC | |||||||||||
1982年 | エンサイン・レーシング | RSA |
BRA |
USW |
SMR |
BEL |
MON |
DET |
CAN |
NED |
GBR |
FRA |
GER |
AUT |
SUI |
ITA |
CPL |
0 | 16 | |
ロベルト・ゲレーロ | DNQ |
参照
[編集]参考文献
[編集]- David Hodges: Rennwagen von A-Z nach 1945. Stuttgart 1994, ISBN 3-613-01477-7.(ドイツ語)