十両
十両(じゅうりょう)は、相撲の番付に於ける階級の一。幕内の下、幕下の上。これより上の力士は関取として扱われる。番付における正式な名称は十枚目。
概要
明治時代に給与制度の導入と共に創設された階級であり、幕下の上位10枚目以内の力士には場所毎に給与が支給された。このことから、正式な名称を十枚目という(2004年1月場所以降定員は東西14人ずつ28人以内)。しかし、例えば「十枚目二枚目」のように表現する煩わしさを避けるため、当時の年俸にちなみ「十両」の名で呼ばれることが一般的である(それでも、十両優勝の表彰式では正式名称の「十枚目」と呼ぶ)。本場所では15日間毎日取組が組まれ、上位はいわゆる「入れ替え戦」や幕内力士の休場の穴埋めで、幕内に上がって相撲を取ることもある。成績が極めて優秀であれば、たとえ下位であっても幕内に上がれる場合がある反面、成績が極端に悪い場合は、たとえ上位であっても幕下に落とされる。成績如何で翌場所の番付が激しく変わる極めてシビアな階級である。
この地位を経験することで、一人前とみなされ、退職金等の待遇でも評価されるようになる。1998年の長野オリンピックの際に、力士が各国選手団の先導役を務めたが、その時にも、十両以上の力士だけでなく、幕下以下でも十両経験者が大銀杏を結って参加したことも、そうした考え方に基づいたものである。給料があり、幕下以下とは待遇に大きな差がある。
新たに十両に昇進することが決まった力士(再十両も含む)には、番付の発表を待たずに編成会議の日に発表される。これは、「化粧廻しや明荷等を用意しなくてはならない新十両力士に配慮してのもの」であり、新横綱や新大関が「昇進伝達式」を行い、その日から横綱・大関の待遇をうけるのとは異なり、新十両力士(再十両も含む)は、新番付発表の日を以って、関取として処遇される。
筆頭力士を「貧乏神」・「瀬切り」と称すことがある。初日と千秋楽には、十両の取組残り3番で「協会御挨拶」を行う。
十両に関する基準
定員
- 28名(東西14枚)
昇進
日本相撲協会の現行内規では前相撲から十両昇進まで最低6場所(三段目迄の各階級1場所、幕下2場所)の経験が必要で、板井と土佐豊の2人が前相撲(初土俵)から6場所での十両昇進を果たしている。幕下付出の場合は、十両から陥落する力士の数との兼ね合いもあるが、10枚目格・15枚目格双方の場合に付き、7戦全勝することで1場所での十両昇進が可能である。2006年5月場所では、付出制度が現行のものになってから初めて下田が15枚目格付出で7戦全勝を果たしたが、十両からの陥落力士が少なく、1場所での昇進は成らなかった。旧制度の60枚目格付出の時代には、輪島、長岡(後の大関朝潮)、武双山、雅山の4人が2場所での十両昇進を果たしている。
2011年5月技量審査場所後の番付編成では、場所前の八百長問題で多くの力士が土俵を去ったことを受け、多くの幕下力士の十両昇進が決定した。中には垣添など、負け越しても昇進できた力士もいる。また、北勝国は技量審査場所で三段目優勝した次の7月場所で、欠員補充の影響で一気に幕下9枚目に昇進したこともあり、前相撲から幕下まで全て1場所通過の5場所での十両昇進を果たしている。ただし、北勝国の記録は一度十両に昇進した後で、故障により番付外に転落してからのものである。
年寄襲名
引退に際し、関取を通算30場所(以前の規定では25場所以上)務めた力士は年寄を襲名する資格がある。部屋を継承する場合に限り関取通算20場所以上で資格を得る。現在、最高位が十両の年寄は熊ヶ谷(元十両2・金親)と大嶽(元十両4・大竜)の2名である。
記録
通算在位
- 2011年9月場所現在
- 太字は最高位が十両の力士
順位 | 十両在位 | 四股名 |
---|---|---|
1位 | 55場所 | 大潮憲司 |
蜂矢敏行 | ||
3位 | 54場所 | 栃勇義治 |
4位 | 51場所 | 大文字研二 |
朝登俊光 | ||
6位 | 50場所 | 大竜川一男 |
7位 | 48場所 | 北桜英敏 |
8位 | 47場所 | 大旺吉伸 |
魄龍弘 | ||
10位 | 46場所 | 追風山裕邦 |
優勝回数
昭和以降、優勝回数3回以上
十両で14勝以上
平成以降では以下の力士が達成している(翌場所は全員入幕)。十両は枚数が少なく、力士の実力もそれほど差がないため優勝しても11勝か12勝であることが多く、14勝以上を挙げられる強い力士はまれにしか現れない。
- 15戦全勝
- 14勝1敗