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朝登俊光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朝登 俊光(あさのぼり としみつ、1948年6月3日 - )は、北海道夕張市出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は霜降 利昭(しもふり としあき)。現役時代の体格は身長176cm、体重156kg。最高位は東前頭2枚目(1970年1月場所)。得意手は突き、押し。

来歴

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中学3年生の時上京して、元前頭2枚目・二瀬山が率いる朝日山部屋に入門。1963年(昭和38年)7月場所で初土俵を踏んだ。

序ノ口に付いた時より「朝登」を名乗り、引退までの15年間で一度も改名する事は無かった。

以来、突き押しを武器に順調に番付を上げ、1967年(昭和42年)9月場所で十両に昇進。そして、1969年(昭和44年)3月場所で新入幕を果たした。初土俵の同期には後の横綱・三重ノ海や大関・旭國がいるが、朝登が入幕した時、彼らは新十両であった。

肩幅の広い巨体を活かしたぶちかましての押しが得意で、「ワーゲン」の異名を取り、引き落とし叩き込みなどもよく見せた。

東前頭3枚目の地位で迎えた1969年(昭和44年)7月場所では、3日目に横綱柏戸押し出しで破って生涯唯一となる金星を獲得、これを以って柏戸を引退に追い込んだ。また、この場所では、優勝した大関・清國にも勝っている。三賞受賞や三役入りは叶わなかったものの、この年は幕内上位での健闘が目立った。同年は、東京中日スポーツの年間最優秀新人に選ばれた他、日本スポーツ大賞の新人賞も獲得している。

1973年(昭和48年)以降は、出足がなくなり引き技が多くなった事もあって、十両に低迷した。幕内は13場所で終わったものの、十両は51場所も務め、この地位での優勝も4度果たしている。

西十両10枚目で2勝13敗と大敗した1978年(昭和53年)5月場所を最後に29歳で引退し、年寄東関を襲名。だが、借株であったため、断髪式(引退相撲)を終えた直後の1979年(昭和54年)6月に廃業した。

その後は民族派政治結社「忠孝塾」の理事を務めていた。

日本イエス教会の教祖でもあった。

主な成績・記録

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  • 通算成績:578勝567敗2休 勝率.505
  • 幕内成績:82勝113敗 勝率.421
  • 現役在位:89場所
  • 幕内在位:13場所
  • 金星:1個(柏戸から。1969年7月場所3日目)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:4回(1969年1月場所・1972年3月場所・1973年7月場所・1974年9月場所)
    • 幕下優勝:1回(1967年7月場所)
    • 序ノ口優勝:1回(1963年9月場所)

場所別成績

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朝登 俊光
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1963年
(昭和38年)
x x x (前相撲) 東序ノ口14枚目
優勝
7–0
東序二段23枚目
3–4 
1964年
(昭和39年)
東序二段40枚目
6–1 
西三段目81枚目
6–1 
東三段目40枚目
5–2 
東三段目10枚目
4–3 
東幕下93枚目
4–3 
西幕下87枚目
4–3 
1965年
(昭和40年)
西幕下78枚目
4–3 
東幕下69枚目
2–5 
東幕下86枚目
3–4 
西幕下92枚目
6–1 
東幕下54枚目
3–4 
西幕下60枚目
6–1 
1966年
(昭和41年)
西幕下36枚目
4–3 
西幕下32枚目
5–2 
東幕下24枚目
3–4 
東幕下30枚目
3–4 
西幕下33枚目
4–3 
東幕下29枚目
4–3 
1967年
(昭和42年)
東幕下24枚目
5–2 
東幕下15枚目
3–4 
西幕下27枚目
4–3 
東幕下19枚目
優勝
7–0
東十両12枚目
9–6 
西十両8枚目
7–8 
1968年
(昭和43年)
西十両9枚目
8–7 
東十両8枚目
8–7 
西十両5枚目
5–10 
東十両13枚目
8–7 
東十両10枚目
8–7 
東十両8枚目
10–5 
1969年
(昭和44年)
西十両2枚目
優勝
11–4
西前頭10枚目
8–7 
東前頭8枚目
8–7 
東前頭3枚目
7–8
西前頭4枚目
7–8 
西前頭4枚目
9–6 
1970年
(昭和45年)
東前頭2枚目
2–13 
東前頭11枚目
8–7 
西前頭8枚目
4–11 
西十両筆頭
5–10 
西十両7枚目
5–10 
東十両12枚目
9–6 
1971年
(昭和46年)
西十両6枚目
8–7 
東十両5枚目
8–7 
西十両4枚目
8–7 
東十両3枚目
7–8 
西十両4枚目
6–9 
西十両6枚目
5–8–2 
1972年
(昭和47年)
東十両13枚目
11–4 
西十両2枚目
優勝
12–3
西前頭9枚目
9–6 
東前頭5枚目
5–10 
西前頭10枚目
6–9 
西前頭13枚目
5–10 
1973年
(昭和48年)
西十両3枚目
7–8 
東十両6枚目
8–7 
西十両3枚目
5–10 
東十両9枚目
優勝
12–3
東十両筆頭
5–10 
西十両7枚目
8–7 
1974年
(昭和49年)
西十両3枚目
7–8 
西十両4枚目
11–4 
東前頭12枚目
4–11 
西十両7枚目
6–9 
西十両11枚目
優勝
11–4
東十両2枚目
5–10 
1975年
(昭和50年)
西十両8枚目
8–7 
東十両6枚目
8–7 
東十両4枚目
8–7 
西十両2枚目
6–9 
東十両7枚目
8–7 
東十両6枚目
7–8 
1976年
(昭和51年)
東十両8枚目
8–7 
東十両6枚目
7–8 
西十両7枚目
7–8 
西十両8枚目
8–7 
東十両8枚目
7–8 
西十両9枚目
6–9 
1977年
(昭和52年)
東十両13枚目
9–6 
西十両9枚目
8–7 
東十両7枚目
7–8 
東十両10枚目
8–7 
西十両7枚目
8–7 
東十両4枚目
5–10 
1978年
(昭和53年)
西十両10枚目
7–8 
東幕下筆頭
6–1 
西十両10枚目
引退
2–13–0
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
浅瀬川 1 1 旭國 1 2 嵐山 1 0 巌虎 0 1
大潮 1 0 大錦 0 1 大鷲 0 1 魁罡 3 1
海乃山 2 2 柏戸 1 0 和晃 1 1 北瀬海 2 2
北の湖 0 1 北の富士 0 2 清國 1 2 黒姫山 1 1
琴櫻 0 4 白田山 1 0 錦洋 4 0 麒麟児 0 3
大受 0 2 大雪 1 1 大鵬 0 2 大雄 4 2
大文字 1 1 大竜川 3 4 貴ノ花 1 1 高見山 1 4
玉乃島 0 2 天龍 1 0 時葉山 2 4 栃東 0 4
栃勇 0 2 栃王山 3 1 栃富士 2 0 羽黒岩 4 3
長谷川 0 4 花光 1 3 福の花 3 3 富士櫻 1 1
藤ノ川 1 3 二子岳 5 3 双津竜 1 3 前の山 1 3
牧本 0 1 増位山 0 2 三重ノ海 1 5 禊鳳 1 0
明武谷 3 0 陸奥嵐 2 6 吉王山 2 3 吉の谷 0 1
義ノ花 1 1 龍虎 2 3 若獅子 0 1 若浪 3 2
若鳴門 1 0 若ノ海 2 0 若三杉 0 1

改名歴

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  • 朝登 利昭(あさのぼり としあき)1963年9月場所-1967年1月場所
  • 朝登 俊光(- としみつ)1967年3月場所-1978年5月場所

年寄変遷

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  • 東関 俊光(あずまぜき としみつ)1978年5月-1979年6月

関連項目

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