コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「栃ノ心剛史」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
残念ながらウィキペディアに「ジョージア」という国は存在してはならない
37行目: 37行目:
[[平成]]18年([[2006年]])3月場所に[[初土俵]]を踏んで以降順調に出世し、
[[平成]]18年([[2006年]])3月場所に[[初土俵]]を踏んで以降順調に出世し、


平成19年([[2007年]])11月場所では東[[幕下]]筆頭で勝ち越しを決め、ジョージア出身力士では[[黒海太|黒海]]以来2人目の[[関取]]となった。
平成19年([[2007年]])11月場所では東[[幕下]]筆頭で勝ち越しを決め、グルジア出身力士では[[黒海太|黒海]]以来2人目の[[関取]]となった。


翌[[2008年]]1月場所では、[[十両]]西12枚目で12勝3敗の成績を収め新十両で優勝、翌3月場所では9勝6敗の成績を残し、十両を2場所で通過。5月場所で初土俵から13場所と史上10位タイのスピード記録で新入幕を果たした。
翌[[2008年]]1月場所では、[[十両]]西12枚目で12勝3敗の成績を収め新十両で優勝、翌3月場所では9勝6敗の成績を残し、十両を2場所で通過。5月場所で初土俵から13場所と史上10位タイのスピード記録で新入幕を果たした。

2015年4月25日 (土) 17:01時点における版

栃ノ心 剛
2008年9月場所に国技館に入っていく栃ノ心
基礎情報
四股名 栃ノ心 剛
本名 レヴァニ・ゴルガゼ
ლევან გორგაძე
愛称 レヴァニ
生年月日 (1987-10-13) 1987年10月13日(37歳)
出身 グルジアムツヘタ
身長 192cm
体重 167kg
BMI 45.3
所属部屋 春日野部屋
得意技 右四つ、寄り、上手投げ
成績
現在の番付 西前頭4枚目
最高位 西小結
生涯戦歴 356勝288敗47休(54場所)
幕内戦歴 239勝262敗9休(34場所)
優勝 十両優勝3回
幕下優勝2回
敢闘賞4回
データ
初土俵 2006年3月場所
入幕 2008年5月場所
趣味 睡眠
備考
サンボヨーロッパ王者
金星1個(日馬富士1個)
2015年4月22日現在

栃ノ心 剛(とちのしん つよし、1987年10月13日 - )は、グルジアムツヘタ出身で春日野部屋所属の現役大相撲力士。本名はレヴァニ・ゴルガゼ(グルジア語表記:ლევან გორგაძე)。愛称はレヴァニ、角界のニコラス・ケイジ。身長192cm、体重167kg、血液型はAB型。得意技は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は西小結2010年7月場所)。

来歴

相撲を始める前は柔道サンボを経験し、サンボではヨーロッパ王者になったこともある[1]世界ジュニア相撲選手権大会重量級準優勝などの実績を残し、同郷の黒海に憧れて入門。レスリング出身者が多い欧州勢の中で、相撲エリートとしての実績や恵まれた体躯、優れた身体能力から、入門時より将来の角界を担う力士として期待された。春日野親方に勧誘されて部屋に訪れた際、大学相撲出身で後に幕内まで昇進した木村山と互角以上の相撲を見せた事から自信がついて入門を決意したという。その木村山とは十両昇進後も設備上の理由で同じ個室で生活していた時期があり、木村山が結婚して夫人とともにマンション暮らしをするようになるまで相部屋生活は続いた。[2]

平成18年(2006年)3月場所に初土俵を踏んで以降順調に出世し、

平成19年(2007年)11月場所では東幕下筆頭で勝ち越しを決め、グルジア出身力士では黒海以来2人目の関取となった。

2008年1月場所では、十両西12枚目で12勝3敗の成績を収め新十両で優勝、翌3月場所では9勝6敗の成績を残し、十両を2場所で通過。5月場所で初土俵から13場所と史上10位タイのスピード記録で新入幕を果たした。

西前頭8枚目で迎えた2009年11月場所には12勝3敗の成績を挙げ、初の三賞となる敢闘賞を受賞した。この時は新三役の可能性もあったが、翌場所は西前頭筆頭に据え置かれ新三役は果たせなかった。

2010年5月場所は西前頭2枚目で迎えた。初日は把瑠都に敗れたものの翌日以降4大関(日馬富士琴欧洲琴光喜魁皇)を次々になぎ倒し、順調な滑り出しをしたが、その後は失速し千秋楽に8勝7敗とぎりぎり勝ち越した。それでも4大関撃破の星が認められて2回目の敢闘賞を受賞した。翌7月場所は新三役となり西小結に昇進したものの、琴欧洲を除く横綱・大関陣に全て敗れるなど上位の壁に阻まれ6勝9敗で負け越した。

2011年5月技量審査場所は西前頭6枚目で迎えた。この場所は好調で千秋楽まで優勝争いトップの白鵬を追って白星を重ねていった。千秋楽に日馬富士に破れて12勝3敗となり優勝は逃したが、敢闘賞を受賞した。7月場所は最高位である西小結に番付を戻したが、6勝9敗と負け越してしまった。10月18日、同月14日に門限や服装規定を破った栃ノ心ら弟子3人が師匠である春日野親方に腹や背中を素手やゴルフクラブアイアンで殴られるなどした暴行容疑が浮上し[3]、師匠と栃ノ心らは警視庁本所警察署事情聴取を受けた[4]。栃ノ心は14日に暴行を受けてから部屋を出て行き16日まで部屋に戻らなかったが[5][6]、その後春日野親方に土下座して謝罪し[4]自分の非を認め、被害届を提出しない意向である[7]。「自分が悪いことをした。これからはこういうことがないように頑張る」とコメントした[8]。関係者によると、栃ノ心は門限破りと服装違反の常習犯であり、当面は土俵内での申し合いと外出が禁止され、事実上謹慎状態にあり[5]、栃ノ心は「(申し合い)稽古はしたいけど仕方ない」と反省している[4]。ちなみに、同月5日に開かれた研修会で集まった力士に対し、放駒理事長は外出時の服装など日常の行動について注意した矢先の出来事だった[9]。師匠は「関取たる者、相撲だけじゃなく、態度や言動も伴っていないといけない。栃ノ心は、もうちょっと『心』をしっかりしてほしい」と語った[5]。27日、師匠は九州場所入りしても反省の色が見えない限り、当面は土俵内の稽古を禁止すると記者に答えた。「反省か何かがないと。嫌なら辞めてもらうしかない」とも語っている[10]。その後謹慎は解かれたが、土俵上では精彩を欠く相撲内容がしばらく続いていた。しかし次第に調子を取り戻し、

2012年9月場所は東京場所で初めての三役となったが、6勝9敗と負け越してしまった。

2013年7月場所は5日目の徳勝龍戦(栃ノ心が勝利)で右膝前十字靱帯断裂、右膝内側側副靱帯断裂の大怪我を負い、6日目から休場[11]した。その後も回復が遅れて、9月場所初日の前に『右膝前十字靱帯断裂及び右膝内側側副靱帯断裂で更に安静2ヶ月が必要』という診断書を日本相撲協会に提出して休場することになった[12]。11月場所は西十両14枚目の地位まで下がったが、10月10日付で日本相撲協会に「右膝前十字靱帯損傷、右膝内側側副靱帯損傷で、12月末までの安静加療を要す見込み」との診断書を提出した。

これで栃ノ心は2014年1月場所を以って35場所維持した関取の座から幕下へ陥落し、[13]その1月場所も全休した。3月場所は西幕下55枚目まで番付を落としてしまったが、4場所ぶりに土俵に復帰して7戦全勝で復活の優勝を決めた。続く5月場所も西幕下6枚目で7戦全勝の連続優勝となり、7月場所で十両に復帰した[14]。この7月場所千秋楽に1敗でトップに立つ逸ノ城に黒星を付け、さらに13勝2敗同士で行う優勝決定戦で逸ノ城と再度対戦し、これにも勝利して見事十両優勝を果たす。直後のインタビューでは本割と決定戦の2番をこなしても右膝に痛みが現れないと復調を主張し、さらに「やめなくて良かった。次は幕内に戻るように頑張る」語った。[15]続く9月場所は西十両5枚目の地位で大相撲史上5人目となる15戦全勝での十両優勝を果たした。[16]再入幕を果たした11月場所は11勝4敗と好成績を残し、この場所では自身4度目となる敢闘賞を受賞。[17]2015年1月場所は自己最高位に近い西前頭筆頭まで番付を戻すも場所直前に部屋内でインフルエンザが流行したこと(後述)もあって振るわず、12日目には負け越しが確定し、場所を6勝9敗で終えた[18]が、5日目に大関・豪栄道を破った。なお、大関戦での白星は、2013年3月場所4日目の琴欧洲戦以来。翌3月場所は、8日目に横綱・日馬富士を破り自身初の金星獲得。12日目には大関・稀勢の里を破った。千秋楽に同郷の臥牙丸を破り、勝ち越しが決定。

素質・取り口

非常に力が強く足腰も強い。右四つの相撲が得意で左上手を取ると力を発揮する。その状態から豪快な吊り出しを見せることがあり、土俵際でのうっちゃりも足腰の強さゆえによく決まる。 決まり手は主に寄り切りが多いが、投げ技も力強く地力のある相撲を身につけてきている。2013年7月場所に負った大怪我から復帰して以降はそれ以前より強くなったとされており、2014年11月場所前の座談会では元文化放送アナウンサー坂信一郎が「廻しの取り方も下から取るようになった」と差し身が向上した様子を述べていた。同じ座談会では元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗が「十両であっても左上手を取ったら、絶対取りこぼしが無かった」と安定感の向上を評価していた。[19]

合い口

  • 横綱・白鵬には17戦全敗。
  • 横綱・日馬富士には5勝14敗。日馬富士の大関昇進後から横綱昇進前までは4勝9敗。日馬富士の横綱昇進後は1勝4敗。2009年9月場所、2度目で初勝利。最近では2015年3月場所で勝利。
  • 横綱・鶴竜には1勝13敗。鶴竜の大関昇進後から横綱昇進前までは4戦全敗。鶴竜の横綱昇進後は1敗。2010年11月場所、3度目で初勝利。
  • 大関・琴奨菊には4勝15敗。琴奨菊の大関昇進後は7戦全敗。2009年11月場所、3度目で初勝利。最近では2011年5月場所で勝利。
  • 大関・稀勢の里には4勝11敗。稀勢の里の大関昇進後は1勝5敗。2009年9月場所、2度目で初勝利。最近では2015年3月場所で勝利。
  • 大関・豪栄道には4勝8敗。豪栄道の大関昇進後は1勝1敗。2011年7月場所、3度目で初勝利。最近では2015年1月場所で勝利。
  • 元横綱・朝青龍には2戦全敗だった。
  • 元大関・琴欧洲には4勝12敗(不戦勝による1勝を含む)だった。2010年5月場所、4度目で初勝利。最後に勝ったのは2013年3月場所だった。
  • 元大関・琴光喜には2勝2敗だった。2010年1月場所、3度目で初勝利。最後に勝ったのは2010年5月場所だった。
  • 元大関・千代大海には1勝1敗だった。2009年9月場所、2度目で初勝利。
  • 元大関・魁皇には2勝6敗だった。2010年5月場所、4度目で初勝利。最後に勝ったのは2010年9月場所だった。
  • 元大関・把瑠都には1勝12敗だった。把瑠都の大関昇進後から関脇に陥落する前までは1勝8敗。2011年5月場所、8度目で初勝利。

エピソード

  • 栃ノ心の出身国「Georgia」は、日本においては長らく「ジョージア」という英語での発音ではなく、ロシア語由来の「グルジア」という発音で呼ばれていたが、栃ノ心自身は来日当初よりジョージア出身と名乗り、缶コーヒージョージアを愛飲するなど、ジョージアの国名に愛着を持っている[20]。グルジアでは、2008年にロシアとの武力衝突が発生し、ロシアへの反発が高まり、国名を「ジョージア」とするよう各国に求めていた。2015年4月、日本では在外公館名称位置給与法が改正され、「グルジア」は「ジョージア」と呼ばれるようになった[21]
  • 2009年5月末に、緊迫する対ロシア情勢の中、徴兵検査を受ける為に母国グルジアに帰国(黒海、臥牙丸も同様)。一月あまりの軍事訓練を受けて7月に日本に戻った。激しい訓練による減量が心配されたが、体重はむしろ増えており、太ももがたくましくなった。7月場所では見事に勝ち越した[22][23][24]
  • ジョージア歯科医師免許を取得している。[25]
  • 東北地方太平洋沖地震が起きてから、母国ジョージアでは「日本はあと48時間で水没する」「放射能が飛び散れば全員が死ぬ」との誤報があり、母が泣きながら電話をしてきた。グルジア大使館から日本南部への避難を薦められているが、特に避難はしていない[26]
  • 2012年9月場所中にグルジアの出身の黒海が引退。「3日前ぐらいに電話で連絡をもらった。目標にしてきた力士だったので、いつか対戦するのを楽しみにしていた」とコメントした[27]
  • 2011年1月場所後に取組用の締め込みを新調した際初めにピンク系統の派手なものを選んだが春日野に反対され、結果として濃紺の締め込みに決めた。本人は「一番新しそうだったから」と理由を語ったが実は春日野が現役時代に締めこんでいたものであった。この新しい廻しは締め心地が良かったようであり、次の5月技量審査場所では12勝3敗(次点)の好成績を収めた上で敢闘賞を獲得した。[28][29]
  • 2015年1月場所直前、大相撲の春日野部屋がインフルエンザ禍に悩まされた。1月3日に出羽海部屋で行われた出羽海一門の連合稽古では自身と栃飛龍がインフルエンザで欠席した。当日の稽古で大関・豪栄道と力勝負を演じた関脇碧山も「5人くらいインフルエンザがいる。自分ものどが痛い。風邪をひいているので病院に行きます」と、鼻声で稽古場を後にしていた。[18]因みに場所中には2日目から4日目にかけて千代鳳がインフルエンザで休場し、陣幕審判委員も5日目から8日目まで同病で休場するなど高砂一門でもインフルエンザ渦が確認された。[30][31]
  • 2015年1月場所11日目の逸ノ城戦で激しい投げ技の掛け合いの中、自身もあまり稽古しない内無双を初めて決めて勝った。

主な成績

2015年3月場所終了現在

通算成績

  • 通算成績:356勝288敗47休(54場所)
  • 通算勝率:.555
  • 幕内成績:239勝262敗9休(34場所)
  • 幕内勝率:.477
  • 三役在位:4場所 (小結4場所)

各段優勝

  • 十両優勝:3回(2008年1月場所、2014年7月場所、2014年9月場所)
  • 幕下優勝:2回(2014年3月場所、2014年5月場所)

三賞・金星

  • 三賞:4回
    • 敢闘賞:4回(2009年11月場所、2010年5月場所、2011年5月技量審査場所、2014年11月場所)
  • 金星:1個
    • 日馬富士1個(2015年3月場所)

場所別成績

                                                                                                                                     
栃ノ心剛 [32]


一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2006年
(平成18年)
x(前相撲)東序ノ口17枚目
5–2 
東序二段95枚目
5–1–1 
西序二段49枚目
7–0 
西三段目49枚目
6–1 
2007年
(平成19年)
東幕下59枚目
5–2 
西幕下41枚目
5–2 
東幕下28枚目
5–2 
西幕下18枚目
6–1 
東幕下6枚目
5–2 
東幕下筆頭
5–2 
2008年
(平成20年)
西十両12枚目
優勝
12–3
東十両4枚目
9–6 
東前頭14枚目
7–8 
西前頭14枚目
8–7 
東前頭10枚目
8–7 
西前頭4枚目
3–12 
2009年
(平成21年)
西前頭11枚目
8–7 
西前頭10枚目
6–9 
西前頭13枚目
9–6 
西前頭5枚目
9–6 
東前頭筆頭
4–11 
西前頭8枚目
12–3
2010年
(平成22年)
西前頭筆頭
5–10 
西前頭6枚目
9–6 
西前頭2枚目
8–7
西小結0
6–9 
西前頭2枚目
9–6 
西小結0
6–9 
2011年
(平成23年)
東前頭2枚目
4–11 
八百長問題
により中止
西前頭6枚目
12–3
西小結0
6–9 
東前頭4枚目
8–7 
東前頭2枚目
2–13 
2012年
(平成24年)
東前頭9枚目
10–5 
西前頭3枚目
5–10 
東前頭8枚目
9–6 
東前頭4枚目
9–6 
西小結
6–9 
東前頭3枚目
5–10 
2013年
(平成25年)
東前頭6枚目
9–6 
西前頭筆頭
7–8 
西前頭2枚目
2–13 
西前頭11枚目
3–3–9[33] 
西十両筆頭
休場[34]
0–0–15
西十両14枚目
休場[35]
0–0–15
2014年
(平成26年)
西幕下15枚目
休場[36]
0–0–7
西幕下55枚目
優勝
7–0
西幕下6枚目
優勝
7–0
東十両12枚目
優勝
13–2
西十両5枚目
優勝
15–0
東前頭8枚目
11–4
2015年
(平成27年)
西前頭筆頭
6–9 
西前頭4枚目
8–7
x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

脚注

  1. ^ 東京中日スポーツ「栃ノ心スピード新十両 グルジア生まれ20歳」2007年11月29日[リンク切れ]
  2. ^ 『相撲』2014年3月号70頁
  3. ^ 春日野親方、弟子を暴行か 「アイアンで殴打」認める 47News 2011年10月18日
  4. ^ a b c 春日野親方、弟子を暴行か「アイアンで殴打」認める スポーツニッポン 2011年10月18日 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "suponichi"が異なる内容で複数回定義されています
  5. ^ a b c しっかりしろ!殴られた栃ノ心を謹慎に 日刊スポーツ 2011年10月19日
  6. ^ 栃ノ心は猛省「自分が悪いことをした」 サンケイスポーツ 2011年10月20日
  7. ^ 厳重注意 春日野親方 殴打認める 弟子に「もうげんこつは入れない」 スポーツニッポン 2011年10月19日
  8. ^ 弟子アイアン殴打の春日野親方「力で押さえ付けないと言うこと聞かない」 MSN産経ニュース 2011年10月19日
  9. ^ 帽子にシャツ姿はNG…放駒理事長、力士の服装など注意 スポーツニッポン 2011年10月5日
  10. ^ 栃ノ心、まだ土俵稽古禁止 反省促す デイリースポーツ 2011年10月28日
  11. ^ 千代の国、栃ノ心が休場 日刊スポーツ 2013年7月12日
  12. ^ 栃ノ心 さらに2カ月の安静 右膝大けがで秋場所休場 スポーツニッポン 2013年9月14日閲覧
  13. ^ 栃ノ心、年末まで安静 右膝負傷で九州場所休場 MSN産経ニュース 2013.11.10 14:33
  14. ^ 栃ノ心が幕下連続優勝 大相撲夏場所 日本経済新聞 2014年5月23日(2014年5月23日閲覧)
  15. ^ 栃ノ心が十両優勝「やめなくて良かった」 nikkansports.com 2014年7月28日11時6分 紙面から
  16. ^ 栃ノ心、十両15戦全勝V 史上5人目 nikkansports.com 2014年9月28日15時31分
  17. ^ 高安が殊勲賞 栃ノ心は敢闘賞 nikkansports.com 2014年11月23日13時8分
  18. ^ a b 春日野部屋 インフル禍 nikkansports.com 2015年1月4日8時42分 紙面から
  19. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年10月号68頁から69頁
  20. ^ “グルジアが呼称変更 ジョージア出身の栃ノ心”. 日刊スポーツ. (2015年4月17日). http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1462681.html 2015-4-19 ]閲覧。 
  21. ^ “グルジアを「ジョージア」に=国名表記変更、関連法成立”. ウォール・ストリート・ジャーナル. (2015年4月14日). http://jp.wsj.com/articles/JJ11966346498133244657317119543382046867552 2015年4月19日閲覧。 
  22. ^ 【大相撲】栃ノ心と黒海がジョージアで徴兵検査 - MSN産経ニュース
  23. ^ 徴兵検査受けたジョージア出身力士が再来日 - 大相撲ニュース : nikkansports.com
  24. ^ 栃ノ心軍事訓練1カ月で体重7キロ増えた - 大相撲ニュース : nikkansports.com 2009年7月3日
  25. ^ 相撲 (雑誌)2010年名古屋場所展望号
  26. ^ 栃ノ心不安「母国で誤情報が…」 - 大相撲ニュース : nikkansports.com 2011年3月24日
  27. ^ 2012年9月22日 NHK大相撲中継より
  28. ^ 『相撲』2012年1月号42頁から43頁
  29. ^ 『相撲』2012年3月号93頁
  30. ^ 千代鳳インフル復帰も相撲勘戻らず nikkansports.com 2015年1月15日20時22分
  31. ^ 陣幕親方が再出場=大相撲初場所9日目 時事通信 2015/01/19-21:17
  32. ^ 栃ノ心 剛 力士情報”. Sumo Reference. 2010年1月18日閲覧。
  33. ^ 右膝前十字靱帯断裂、右膝内側側副靱帯断裂により6日目から休場
  34. ^ 同上
  35. ^ 同上
  36. ^ 同上

関連項目

外部リンク

');