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| 主な作品 = <!-- 主演映画・主演テレビドラマなど。脇役の場合、大ヒットした作品で重要な役割であった、またはその出演功績を認められたもの。例えば、日本アカデミー賞優秀助演男優(女優)賞を受賞したような役の作品を入力 -->'''映画'''<br>『[[渚のシンドバッド (映画)|渚のシンドバッド]]』<br>『[[ぐるりのこと。]]』<br>『[[恋人たち]]』 |
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'''橋口 亮輔'''(はしぐち りょうすけ、[[1962年]][[7月13日]]<ref name=creatorscom>{{Cite web|和書|url=https://www.creatorscom.jp/cast/experience/ws02.php|title=「橋口亮輔監督インタビュー」with 映画24区俳優ワークショップ|work=Creators Community|date=2012-06-29|accessdate=2015-08-19}}</ref> - )は、日本の[[映画監督]]、[[脚本家]]。[[長崎県]]出身<ref name=creatorscom/>。[[大阪芸術大学]]映像計画学科中退。 |
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== 来歴 == |
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高校1年生の頃から自主制作で映画を撮り始める。[[大阪芸術大学]] |
高校1年生の頃から自主制作で映画を撮り始める。[[大阪芸術大学]]中退後、1985年に映画監督・脚本家として活動を始める。 |
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1986年『ヒュルル…1985』、1989年『[[夕辺の秘密]]』が[[ぴあフィルムフェスティバル]]に入選。『[[夕辺の秘密]]』は[[PFFアワード]]グランプリを受賞するなど高く評価される。その後テレビ局で[[アシスタントディレクター]]の活動を経て、1992年にPFFスカラシップを得て映画撮影を再開。1993年に、第一回監督作となる第6回PFFスカラシップ作品『[[二十才の微熱]]』を発表。この頃、自身が[[同性愛|ゲイ]]であることを公表する。 |
1986年『ヒュルル…1985』、1989年『[[夕辺の秘密]]』が[[ぴあフィルムフェスティバル]]に入選。『[[夕辺の秘密]]』は[[PFFアワード]]グランプリを受賞するなど高く評価される。その後テレビ局で[[アシスタントディレクター]]の活動を経て、1992年にPFFスカラシップを得て映画撮影を再開。1993年に、第一回監督作となる第6回PFFスカラシップ作品『[[二十才の微熱]]』を発表。この頃、自身が[[同性愛|ゲイ]]であることを公表する。 |
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*[[ぐるりのこと。]](2008年) - 監督・脚本・原作・編集 |
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*[[恋人たち (2015年の映画)|恋人たち]](2015年) - 監督・脚本 |
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=== 短編映画 === |
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=== テレビ === |
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*つげ義春ワールド(1998年、[[テレビ東京]]) - 出演 |
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*[[初情事まであと1時間]](2021年、[[テレビ東京]]) - 監督・脚本 |
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== 書籍 == |
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* 二十歳の微熱(小説、扶桑社 1994年) |
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*僕は前からここにいた(エッセイ、扶桑社 1994年) |
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*渚のシンドバッド(小説、扶桑社 1995年) |
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*小説ハッシュ!(アーティストハウス 2002年) |
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*無限の荒野で君と出会う日(エッセイ、エピデンスコーポレーション情報センター出版局 2004年) |
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== 受賞歴 == |
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** トリノ国際ゲイ&レズビアン映画祭 グランプリ |
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** [[毎日映画コンクール#第50回(1995年)|第50回毎日映画コンクール]] 脚本賞 |
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** [[キネマ旬報#第69回(1995年度)|キネマ旬報ベスト・テン]] 第10位 |
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*『'''ハッシュ!'''』 |
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*『'''ぐるりのこと。'''』 |
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** [[山路ふみ子映画賞#2008年(第32回)|第32回山路ふみこ映画賞]] |
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** 第33回 |
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** 第31回ヨコハマ映画祭 ベスト10 第2位 |
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** [[キネマ旬報#第82回(2008年度)|第82回]]キネマ旬報ベスト・テン 第2位 |
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2024年12月25日 (水) 09:03時点における最新版
はしぐち りょうすけ 橋口 亮輔 | |||
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生年月日 | 1962年7月13日(62歳) | ||
出生地 | 日本 長崎県 | ||
職業 | 映画監督、脚本家 | ||
ジャンル | 映画、テレビドラマ | ||
主な作品 | |||
映画 『渚のシンドバッド』 『ぐるりのこと。』 『恋人たち』 | |||
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橋口 亮輔(はしぐち りょうすけ、1962年7月13日[1] - )は、日本の映画監督、脚本家。長崎県出身[1]。大阪芸術大学映像計画学科中退。
来歴
[編集]高校1年生の頃から自主制作で映画を撮り始める。大阪芸術大学中退後、1985年に映画監督・脚本家として活動を始める。
1986年『ヒュルル…1985』、1989年『夕辺の秘密』がぴあフィルムフェスティバルに入選。『夕辺の秘密』はPFFアワードグランプリを受賞するなど高く評価される。その後テレビ局でアシスタントディレクターの活動を経て、1992年にPFFスカラシップを得て映画撮影を再開。1993年に、第一回監督作となる第6回PFFスカラシップ作品『二十才の微熱』を発表。この頃、自身がゲイであることを公表する。
その後、1995年には『渚のシンドバッド』がロッテルダム国際映画祭でグランプリを受賞し、国内でも毎日映画コンクール最優秀脚本賞を受賞。2001年の『ハッシュ!』では第54回カンヌ国際映画祭において監督週間部門正式招待作品となり、高く評価された。その直後にうつ病を経験したと言われているが、完治後はその体験を生かし、2008年に『ぐるりのこと。』を手がけた。
フィルモグラフィー
[編集]長編映画
[編集]- 二十才の微熱(1993年) - 監督・脚本・出演
- 渚のシンドバッド(1995年) - 監督・脚本・出演
- ハッシュ!(2001年) - 監督・脚本・原作
- ぐるりのこと。(2008年) - 監督・脚本・原作・編集
- 恋人たち(2015年) - 監督・脚本
- お母さんが一緒(2024年) - 監督・脚本
短編映画
[編集]- ヒュルル…1985(1985年) - 監督・脚本・出演
- 夕辺の秘密(1989年) - 監督・脚本・出演
- サンライズ・サンセット(2013年、『シネマ☆インパクト』の一編) - 監督・脚本・原作
- ゼンタイ 特別版(2013年、『+1 Vol. 4』の一編) - 監督
- ゼンタイ(2013年) - 監督・脚本・原案
テレビ
[編集]- つげ義春ワールド(1998年、テレビ東京) - 出演
- 初情事まであと1時間(2021年、テレビ東京) - 監督・脚本
書籍
[編集]- 二十歳の微熱(小説、扶桑社 1994年)
- 僕は前からここにいた(エッセイ、扶桑社 1994年)
- 渚のシンドバッド(小説、扶桑社 1995年)
- 小説ハッシュ!(アーティストハウス 2002年)
- 無限の荒野で君と出会う日(エッセイ、エピデンスコーポレーション情報センター出版局 2004年)
- まっすぐ(エッセイ P-VINE、 2016年2月)[2]
受賞歴
[編集]- 『夕べの秘密』
- PFFアワード グランプリ
- 『渚のシンドバッド』
- ロッテルダム国際映画祭 グランプリ
- トリノ国際ゲイ&レズビアン映画祭 グランプリ
- 第50回毎日映画コンクール 脚本賞
- キネマ旬報ベスト・テン キネマ旬報ベストテン 第10位
- 『ハッシュ!』
- 第54回カンヌ国際映画祭 監督週間部門正式招待作品
- 第75回キネマ旬報ベスト・テン 第2位
- 第24回ヨコハマ映画祭 ベスト10 第1位、監督賞
- 新藤兼人賞 金賞
- 『ぐるりのこと。』
- 第32回山路ふみこ映画賞
- 第33回報知映画賞 監督賞
- 第31回ヨコハマ映画祭 ベスト10 第2位
- 第82回キネマ旬報ベスト・テン 第2位
- 第63回毎日映画コンクール 日本映画優秀賞、脚本賞
- 『恋人たち』
- 第89回キネマ旬報ベスト・テン 第1位、監督賞、脚本賞
- 第37回ヨコハマ映画祭 ベスト10 第2位、監督賞
- 第30回高崎映画祭 最優秀監督賞
- 第70回毎日映画コンクール 日本映画大賞
- 第58回ブルーリボン賞 監督賞
脚注
[編集]- ^ a b “「橋口亮輔監督インタビュー」with 映画24区俳優ワークショップ”. Creators Community (2012年6月29日). 2015年8月19日閲覧。
- ^ “橋口亮輔エッセイ集、「恋人たち」誕生の背景やリリー・フランキーとの思い出つづる”. 映画ナタリー (2016年2月25日). 2016年2月25日閲覧。