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D・A・ペネベイカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
D・A・ペネベイカー
D. A. Pennebaker
D. A. Pennebaker
ボブ・ディランについて討論(2007年2月、ニューヨーク市
本名 Donn Alan Pennebaker
生年月日 (1925-07-15) 1925年7月15日
没年月日 (2019-08-01) 2019年8月1日(94歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州エバンストン
受賞
アカデミー賞
名誉賞
2012年
その他の賞
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ドン・アラン・ペネベイカーDonn Alan Pennebaker1925年7月15日 - 2019年8月1日[1])は、アメリカドキュメンタリー映画監督アカデミー名誉賞第85回)受賞者[2]。ダイレクト・シネマ(Direct Cinema)/シネマベリテの先駆者の一人でもある。テーマとしては、パフォーミング・アート(とくにポップ・ミュージック)や政治を中心にとりあげている。

来歴・人物

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1925年7月15日イリノイ州エバンストンに生まれる。

1960年代初期にペネベイカー(「ペニー」というあだ名で親しまれた)は、リチャード・リーコックロバート・ドリューとともに、「ドリュー・アソシエイツ」を設立した。しかし1963年、リーコックとペネベイカーは、自分たちのプロダクション設立のため、「ドリュー・アソシエイツ」を去る。のちにペネベイカーは、妻のクリス・ヘジダスと仕事をともにするようになる。妻と設立した会社「ペネベイカー・ヘジダス・フィルムズ」は、影響力のあるドキュメンタリーを多く製作している。

ときに“ペネベイカー・ドキュメンタリーズ”と呼ばれる彼の作品は、ハンディカメラで撮影され、出来事の「シンプル」な描写に徹している。原則的にインタビューとボイスオーバーナレーションを避けて製作された。

ゴダールとの共同製作

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1960年代初期、ペネベイカーはフランスパリに滞在中、シャイヨ宮シネマテーク・フランセーズヌーヴェルヴァーグの映画作家ジャン=リュック・ゴダールと出会い、映画を共同製作する話が持ちあがった。ゴダールは即座に準備することが可能で、リーコックとペネベイカーもすぐ撮影にとりかかるつもりであったが、結局頓挫してしまった。

数年後、ゴダールのオファーで再び話が持ちあがる。今回は、アメリカの公共テレビ局PBSも出資に合意した。ヴェトナム反戦運動五月革命がパリで起きたように、カリフォルニア州でも起きるというゴダールの主張で、アメリカのバークレーニューヨークで撮影が行われた。この映画は当初、ゴダールにより『One A.M.』というタイトルがつけられた。[3]。日本では、このタイトルを訳した『ワン・アメリカン・ムービー』(日本未公開)という名で知られている。ただし日本以外では、その後に改題した『One P.M.』ないしは『1PM』というタイトルで知られている。

主な作品

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出演

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参考文献

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  • イアン・アイケン(Aitken, Ian)編 『Encyclopedia of the Documentary Film』(Routledge刊、2005年
  • デイヴ・ソーンダーズ(Dave Saunders)著『Direct Cinema: Observational Documentary and the Politics of the Sixties』(London, Wallflower Press刊、2007年

脚注

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  1. ^ “D.A. Pennebaker, Master of Cinema Verite, Dies at 94” (英語). Hollywood Reporter. (2019年8月3日). https://www.hollywoodreporter.com/news/da-pennebaker-dead-documentary-legend-was-94-817392 2019年8月4日閲覧。 
  2. ^ 2012 GOVERNORS AWARDS”. oscars.org. AMPAS. 2022年6月24日閲覧。
  3. ^ ペネベイカーの公式サイトの PHF 1PM の記述を参考にした。

外部リンク

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