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1960年の南海ホークス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1960年の南海ホークス
成績
パシフィック・リーグ2位
78勝52敗6分 勝率.600[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 大阪球場
球団組織
経営母体 南海電気鉄道
監督 鶴岡一人
« 1959
1961 »

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1960年の南海ホークスでは、1960年の南海ホークスの動向をまとめる。

この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の15年目のシーズンである。

概要

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過去4度も日本シリーズで対戦しながらも敗れた巨人の壁をようやく崩したこの年、鶴岡監督は打線の大型化に着手。自身と同郷の広瀬叔功を1番打者に据え、岡本伊三美の故障で二塁に入った半田春夫を2番に据えるなど機動力も兼ね備えた野球で連覇を目指した。チームはこの年も開幕好調で、5月には大毎に3.5ゲーム差を付けて首位に立つなど順調だった。しかし、6月以降大毎が18連勝で南海に代わって首位に立つと次第にゲーム差が広がり、8月14日からBクラスの阪急近鉄戦3タテを含めて9連敗。終盤追い上げたものの時すでに遅く、連覇はならなかった。投手陣は入団から2年間大車輪の活躍を見せたエース杉浦忠の負担を軽くするため、ジョー・スタンカが開幕前に入団。スタンカは大リーグでの経験がなく、鶴岡監督や蔭山和夫ヘッドコーチはじめ、評論家から「スタンカは活躍できるのか」と心配された。しかし、鶴岡監督らの不安を吹き飛ばすように開幕からローテに入り17勝、防御率2.48でチームに貢献し杉浦の負担軽減の役目を果たす活躍を見せた。打撃陣は4番の野村克也をはじめ広瀬、半田などの活躍でリーグ1位の103本塁打を記録したが、得点がリーグ3位の519点に終わった。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 広瀬叔功
2 半田春夫
3 杉山光平
4 穴吹義雄
5 寺田陽介
6 野村克也
7 大沢啓二[注 1]
8 森下整鎮
9 杉浦忠
1960年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 大毎 -- 南海 -- 大毎 -- 大毎 -- 大毎 -- 大毎 --
2位 南海 1.0 大毎 3.5 南海 2.0 南海 2.5 南海 5.0 南海 4.0
3位 東映 2.0 東映 6.5 西鉄 13.0 阪急 7.0 阪急 11.0 西鉄 12.0
4位 阪急 2.0 西鉄 8.0 阪急 14.0 西鉄 14.5 西鉄 12.5 阪急 17.0
5位 近鉄 3.5 阪急 8.0 東映 17.0 東映 26.0 東映 30.5 東映 30.0
6位 西鉄 3.5 近鉄 10.0 近鉄 20.0 近鉄 29.0 近鉄 34.0 近鉄 39.0


1960年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 毎日大映オリオンズ 82 48 3 .631 優勝
2位 南海ホークス 78 52 6 .600 4.0
3位 西鉄ライオンズ 70 60 6 .538 12.0
4位 阪急ブレーブス 65 65 6 .500 17.0
5位 東映フライヤーズ 52 78 2 .400 30.0
6位 近鉄バファロー 43 87 1 .331 39.0

オールスターゲーム1960

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監督 鶴岡一人
ファン投票 杉浦忠 野村克也 半田春夫
監督推薦 スタンカ 森下整鎮 広瀬叔功 穴吹義雄
  • 取り消し線は出場辞退

できごと

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選手・スタッフ

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表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
杉浦忠 最多奪三振 317個 2年連続2度目
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
野村克也 捕手 5年連続5度目

脚注

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注釈

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  1. ^ 偵察メンバーのサディナと交代。

出典

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  1. ^ 年度別成績 1960年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月22日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7