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山本秀一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本 秀一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県
生年月日 (1941-06-18) 1941年6月18日
没年月日 (2016-11-16) 2016年11月16日(75歳没)
身長
体重
175 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手三塁手
プロ入り 1960年
初出場 1960年
最終出場 1968年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山本 秀一(やまもと ひでかず[1]/ひでいち[2]1941年6月18日 - 2016年11月16日[3])は、和歌山県出身の陶芸家、元プロ野球選手。プロ野球選手時代のポジションは内野手。陶芸家としては雷山陶秀の名義で活動していた。

来歴・人物

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県立和歌山商業高校では1957年、1年生の時に三塁手として夏の甲子園に出場した。1回戦で安藤統夫のいた茨城県土浦一高に敗退[4]

1960年南海ホークスへ入団。1年目から一軍で起用され、三塁手として10試合に先発出場。しかし打撃に難があったため[5]、その後は出場機会が減少する。1962年オフに西鉄ライオンズへ移籍。1965年には、トニー・ロイの控えながら、遊撃手として35試合に先発出場。しかし腰痛のため、1968年限りで引退した[1]

引退後、福岡県早良郡早良町(現在の福岡市早良区)で鳥料理屋を開くが3年で店を閉じ、佐賀県西松浦郡有田町で陶芸家としての修業を積んだ[1]1973年に福岡県糸島郡前原町(現在の糸島市)で窯を開く[1]

1985年日本美術展覧会に入選した。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1960 南海 43 57 57 3 12 3 0 1 18 6 0 1 0 0 0 0 0 14 0 .211 .211 .316 .526
1961 11 9 9 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .111 .111 .111 .222
1962 21 10 9 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .222 .300 .222 .522
1963 西鉄 41 39 35 7 4 0 0 0 4 2 3 1 1 0 1 0 2 8 1 .114 .184 .114 .298
1964 33 25 24 5 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 0 0 8 0 .083 .120 .083 .203
1965 83 149 141 8 28 6 0 1 37 5 0 0 3 0 4 0 1 19 7 .199 .226 .262 .488
1966 42 43 39 3 9 0 0 0 9 0 1 0 1 0 3 0 0 4 0 .231 .286 .231 .516
1967 87 34 34 3 5 0 0 0 5 2 0 0 0 0 0 0 0 9 1 .147 .147 .147 .294
1968 19 8 8 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .250 .250 .375 .625
通算:9年 380 374 356 30 65 10 0 2 81 15 4 2 5 0 10 0 3 69 10 .183 .211 .228 .439

背番号

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  • 13 (1960年 - 1962年)
  • 34 (1963年)
  • 19 (1964年 - 1968年)

脚注

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  1. ^ a b c d 森岡『プロ野球人名事典』2001年版、552頁
  2. ^ 『プロ野球人国記 完全版 近畿編』、索引17頁
  3. ^ 平尾誠二氏ら 今年亡くなった著名人/国内後期 - 日刊スポーツ(2016年12月30日)2021年5月26日閲覧。
  4. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  5. ^ 『プロ野球人国記 完全版 近畿編』、366頁

参考文献

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  • ベースボール・マガジン社編『プロ野球人国記 完全版 近畿編』(ベースボール・マガジン社, 2004年1月)
  • 森岡浩編著『プロ野球人名事典』2001年版(日外アソシエーツ, 2001年5月)

関連項目

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外部リンク

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