10区 (パリ)
パリの10区 (10く、仏: 10e arrondissement de Paris) は、フランスの首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである [1]。第10区、パリ10区ともいう。市中央部の北東に位置している。
概要
[編集]パリの10区は、市中央部の北東にある行政区。「アントルポ区 (Arrondissement de l'Entrepôt)」と呼ばれることもある [2]。区域は五角形に近い形をしており、東部をサン・マルタン運河が縦断している。人口は、89,612人 (1999年。人口の推移等詳細については後述)。
区の名称は、市の中央部から時計回りに螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその10番目にあたることから、「10区」と名づけられた。パリの主要なターミナル駅であるパリ北駅 (ガール・デュ・ノール) とパリ東駅 (ガール・ド・レスト) がある。
地理
[編集]10区は、パリ中央部の北東に位置している。セーヌ川の北の地域であり[3]、モンマルトルの丘の南東に位置する。区の東部は、サン・マルタン運河により南北に分断されている。面積は、2.89 平方キロメートル。
北は、同じパリの行政区である18区に接し、北東の一部から東にかけては19区に接している。南は、セバストポル大通り以西は2区に、同大通り以東からレピュブリック広場までは3区に、レピュブリック広場以東は11区に接している。西は9区に接している。
地形
[編集]- 河川・水路
- サン・マルタン運河(Canal Saint-Martin)
隣接する自治体(行政区)
[編集]地区(カルチェ)
[編集]パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。10区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。
- 37 - サン=ヴァンサン=ド=ポール地区 (Quartier Saint-Vincent-de-Paul)
- 38 - ポルト=サン=ドニ地区 (Quartier de la Porte-Saint-Denis)
- 39 - ポルト=サン=マルタン地区 (Quartier de la Porte-Saint-Martin)
- 40 - オピタル=サン=ルイ地区 (Quartier de l'Hôpital-Saint-Louis)
住民
[編集]人口
[編集]10区の人口は、1881年に159,809人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年には6割弱の89,612人となった。2005年の推計では88,800人と見積もられており、人口の更なる減少が見込まれている。
また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、ピーク時の6割弱の30,986人となっている。20区のうちでは11区に次いで2番目に人口密度が高く、パリの平均人口密度の1.3倍である。人口の推移の詳細は、次のとおりである。
年 | 区人口 | 市人口 | 区人口/市人口 | 区人口密度 | 市人口密度 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1872年 | 135,392 | 1,851,792 | 7.31% | 46,816 | 21,303 | |
1881年 | 159,809 | 2,269,023 | 7.04% | 55,259 | 26,103 | 人口がピークに達する。 |
1954年 | 129,179 | 2,850,189 | 4.53% | 44,668 | 32,788 | |
1962年 | 124,497 | 2,790,091 | 4.46% | 43,049 | 32,097 | |
1968年 | 113,372 | 2,590,771 | 4.38% | 39,202 | 29,804 | |
1975年 | 94,046 | 2,299,830 | 4.09% | 32,519 | 26,457 | |
1982年 | 86,970 | 2,176,243 | 4.00% | 30,073 | 25,035 | |
1990年 | 90,083 | 2,152,423 | 4.19% | 31,149 | 24,761 | |
1999年 | 89,612 | 2,125,246 | 4.22% | 30,986 | 24,449 | |
2005年 | 88,800 | 2,166,200 | 4.10% | 30,705 | 24,920 | 人口は推計。 |
- 注意
- 人口密度は、1平方キロメートルあたりの人口。区人口密度は、10区の面積を2.892平方キロメートルとして算出した。また、市人口密度は、森林部(ヴァンセンヌの森、ブローニュの森)を除くパリ市全体の面積(86.927平方キロメートル)をもとに算出した。
- 1962年から1999年までの区人口及び市人口は、フランス国立統計経済研究所のデータ (Île-de-France )を参考とした。
歴史
[編集]2015年11月13日パリ同時多発テロ事件が10区の飲食店で発生し発砲による死者が出た。
政治・行政・司法
[編集]主な官公庁・公共機関
[編集]経済
[編集]主な店舗・商業施設
[編集]- サン=カンタン市場(Marché Saint-Quentin)
主な商店街
[編集]- パサージュ・デュ・プラド(Passage du Prado)
- パサージュ・ブラディ(Passage Brady)
-
サン=カンタン市場
-
パッサージュ・デュ・プラド
-
パサージュ・ブラディ
健康・福祉
[編集]保健・医療
[編集]- 旧サン=ラザール病院(Hôpital Saint-Lazare)
- 19区の歴史も参照。
- サン=ルイ病院(Hôpital Saint-Louis)
- ラリボワジエール病院(Hôpital Lariboisière)
-
18世紀初頭に建てられたメゾン・サン=ラザール (Maison Saint-Lazare)。サン=ラザールの囲い地 (Enclos Saint-Lazare) の一棟。この"囲い地"一帯は、修道院や病院施設、フランス革命期には監獄とその形状が変遷してきた。フォーブール=サン=ドニ通り (Rue faubourg Saint-Denis) 沿いにある。
-
かつて監獄だった場所にあるサン=ラザール病院は1998年に閉鎖され、2005年に歴史的記念物に指定された。
-
サン=ルイ病院, メトロコロネール・ファビアン駅が最寄駅
-
ラリボワジエール病院
文化施設
[編集]美術館・博物館
[編集]- 扇子美術館 (Musée de l'Eventail)
映画館・劇場
[編集]- アントワーヌ劇場(Théâtre Antoine)
- ブッフ・デュ・ノール劇場(Théâtre des Bouffes du Nord)
- ポルト・サン=マルタン劇場(Théâtre de la Porte Saint-Martin)
- レピュブリック広場の西側、同広場から3区との境界線を東西に走るサン=マルタン大通り (boulevard Saint-Martin) の10区側の同大通り16-18番地に、名称の由来となったサン=マルタン門至近にある劇場。元々は、王立音楽アカデミーが置かれていたサル・デュ・パレ・ロワイヤルが火事で焼かれてしまった為に、新たに1781年10月27日、この地で同アカデミーを迎えて開館した。1871年にも火事に遭い元の豪華なファサード部分は見られなくなった。開館閉館の紆余曲折があったが、当初から舞台劇(コメディー)やバレエが行われ、フレデリック・ルメートルやサラ・ベルナールらが舞台に立ち、また、ジョルジュ・サンドやヴィクトル・ユーゴー等の作品の他、1897年、エドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』の初演が行なわれたのも、この劇場であった[5]。
- ルネサンス劇場(Théâtre de la Renaissance)
その他
[編集]- ニュー・モーニング(New Morning) - ジャズやロックで有名なライブハウス。パリ東駅の南側、フォブール=サン=ドニ通り (Rue du Faubourg-Saint-Denis) 周辺界隈にある[6]。また、近隣クール・デ・プティト=エキュリ (fr) 7番地には、1886年創業の老舗ブラッスリーで、1988年東京表参道店(現在は閉店)を手始めに日本でも展開しているブラッスリー・フロ (Brasserie Flo) がある[7][8]。
宗教施設
[編集]教会・寺院
[編集]- サン=ヴァンサン=ド=ポール教会(Église Saint-Vincent-de-Paul)
- 教会堂がある"フォーブール=ポワソニエール"一帯、かつての"サン=ラザールの囲い地"にゆかりあるヴァンサン・ド・ポールが名称の由来。
- サン=マルタン=デ=シャン教会(Église Saint-Martin-des-Champs)
- サン=ローラン教会(Église Saint-Laurent)
-
サン=ヴァンサン=ド=ポール教会
-
サン=マルタン=デ=シャン教会
-
サン=ローラン教会
観光・憩い
[編集]建築
[編集]- 北ホテル(オテル・デュ・ノール, Hôtel du Nord)
- サン=ドニ門(Porte Saint-Denis)
- サン=マルタン門(Porte Saint-Martin)
- 上記サン=ドニ門の東側至近にある凱旋門。3区と10区との境界線を東西に走るサン=マルタン大通り界隈にある。なお、サン=マルタン大通りとサン=ドニ大通りとは名を変えた、ひと続きの同じ通り。
公園・緑地等
[編集]- アルバン=サトラーニュ小公園(Square Alban-Satragne)
- ヴィルマン庭園(Jardin Villemin)
-
現在の北ホテル。レストランになっている。
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南側からのサン=ドニ門
-
南側からのサン=マルタン門
-
ヴィルマン庭園
交通
[編集]鉄道
[編集]- 地下鉄・メトロ (パリ交通公団(RATP)) (Métro)
- RER (フランス国鉄 (SNCF)/パリ交通公団(RATP)) (Réseau Express Régional d'Île-de-France)
道路
[編集]-
La rue des Messageries, vue depuis la rue du Faubourg-Poissonnière.
-
Rue de Maubeuge au niveau de la rue de Rochechouart.
- アリベール通り(Rue Alibert)
- オートヴィル通り(Rue d'Hauteville)
- クロード=ヴェルフォー大通り(Avenue Claude-Vellefaux)
- サン=ドニ大通り(Boulevard Saint-Denis)
- 下記サン=マルタン大通りから続く、2区・3区との境界線上を東西に走る通り。通り西側で下記ボンヌ=ヌーベル大通りに続いてゆく。
- サン=マルタン大通り(Boulevard Saint-Martin)
- シャトー=ド通り(Rue du Château-d'Eau)
- シャトー=ランドン通り(Rue du Château-Landon)
- ストラスブール大通り(Boulevard de Strasbourg)
- ストラスブール方面に向かうパリ東駅の旧名ストラスブール駅に因んだ名称。3区セバストポル大通りから上記サン=ドニ大通りとの交差点、メトロ ストラスブール=サン=ドニ駅界隈の10区内でストラスブール大通りと名を変え、南北に走る通り。同交差点界隈にはスーパーのモノプリ (Monoprix)や、パリ各所にあるチェーンのステーキレストランないしブラッスリーのイポポタミュ (Hippopotamus) ・・等がある。西から順にフォーブール=ポアソニエール通り、フォーブール=サン=ドニ通り、東にフォーブール=サン=マルタン通りとに挟まれた形で区内を南北に並走し、パリ東駅南側正面界隈まで伸びる通り。通り界隈は、パサージュ・ブラディ (Passage Brady) が東西に横切るようにインド・パキスタン系から、マグリブ系、サハラ以南のアフリカ系の店舗や歩行者ないし居住者も目立つ。
- ダンケルク通り(Rue de Dunkerque)
- パラディ通り(Rue de Paradis)
- 東西に走る通り。東をフォーブール=サン=ドニ通り、西をフォーブール=ポワソニエール通りに囲まれた一帯は、パラディ通りから北側、18区との境界線上を走るラ・シャペル大通りまで"サン=ラザールの囲い地 (Enclos Saint-Lazare)"が中世の時代からあり、らい病を患った人たちの療養収容施設だった(19区の歴史も参照)。1633年、ヴァンサン・ド・ポールの支援でルイーズ・ド・マリヤックがこの地に聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会を設けた。パラディ通りから南側には、聖ジェルヴェの修道院 (Filles-Dieu) があった。
- パルマンティエ大通り(Avenue Parmentier)
- ビシャ通り(Rue Bichat)
- 11区とは至近の、アリベール通りとマリー・エ・ルイーズ通りとの交差地点界隈は、パリ同時多発テロ事件の発生場所の一つになる。
- フォブール=サン=ドニ通り(Rue du Faubourg-Saint-Denis)
- フォブール=サン=マルタン通り(Rue du Faubourg-Saint-Martin)
- フォブール=デュ=タンプル通り(Rue du Faubourg-du-Temple)
- フォブール=ポワソニエール通り(Rue du Faubourg-Poissonnière)
- 9区との境界線上を南北に走る通り。同通り東側を並走するフォーブール=サンドニ通りとに挟まれ、東西を走るパラディ通りから北側一帯は通称"フォーブール=ポワソニエール (Faubourg Poissonnière)"と呼ばれる。かつての"サン=ラザールの囲い地"になる。18区からはアフリカ系移民が多いラ・シャペル地区を南北に走るバルベス大通りへ接続する。
- プティト=エキュリ通り(Rue des Petites-Écuries)
- 上記フォーブール=サン=ドニ通りからフォーブール=ポワソニエール通りとの間を東西に走る通り。1981年創業のジャズクラブ ニューモーニング (New Morning) があり、ニューモーニング南側界隈には、日本でも展開している1886年創業の老舗ブラッスリー・フロ (Brasserie Flo) がある。また、革製品などファッションブランドで知られるランセルは1876年、同プティト=エキュリ通りからクール・デ・プティト=エキュリ (Cour des Petites-Écuries) を繋ぐパサージュ・デ・プティト=エキュリ20番地でパイプ等喫煙具製造業から始まった。
- ボンヌ=ヌーヴェル大通り(Boulevard de Bonne-Nouvelle)
- 通り東側の上記サン=マルタン、サン=ドニ大通りから続く、2区との境界線上を東西に走る通り。通りを西側へ進むとポワソニエール、モンマルトル、イタリアン、カピュシーヌ、マドレーヌ大通り等と名を変え、ガルニエ宮(オペラ座)オペラ広場方面へ続いてゆく。
- マリー・エ・ルイーズ通り(Rue Marie-et-Louise)
- マジャンタ大通り(Boulevard de Magenta)
- ラ・ヴィレット大通り(Boulevard de la Villette)
- メトロ ベルヴィル駅があるベルヴィル交差点から北側、10区と19区との境界線上を走り、ラ・ヴィレット貯水池との接続地点近くのサン=マルタン運河界隈へ走る。同接続地点は、メトロ スターリングラード駅やジョレス駅があるバタイユ・ド・スターリングラード(スターリングラードの戦い)広場交差点になる。ジャン=ジョレス大通りと下記ラ・ファイエット通りとの接続点にもあたり、また、ベルヴィル通り方面へ伸びるシモン=ボリヴァル大通りに続くスクレタン大通り (Avenue Secrétan) が接続する。マクドナルドやスーパーのモノプリ (Monoprix)、ブラッスリーやカフェ、ブーランジュリー・・等がある。但し、ベルヴィル界隈や10区内のパリ東駅・パリ北駅周辺同様かねてより治安は決して芳しくない。同交差点界隈から西へ折れ10区と18区、さらに9区と18区との区界を東西に走る下記ラ・シャペル大通りと名を変え続いてゆく。
- ラ・シャペル大通り(Boulevard de la Chapelle)
- 10区と18区との境界線上を東西に走る通り。さらに9区と18区との境界線上、メトロ バルベス=ロシュシュアール駅交差点界隈から西側ではロシュシュアール、クリシー大通りに名を変え続き、サクレ・クール寺院やテルトル広場があるモンマルトルの丘南側、ピガール広場やブランシュ広場、ムーラン・ルージュ等を過ぎると、クリシー広場まで続いていく。
- ラ・ファイエット通り(Rue La Fayette)
- パリ郊外境界付近コンセルヴァトワール・ド・パリがあるラ・ヴィレット公園南側から19区内を南西へ直線で伸びるジャン=ジョレス大通りから、バタイユ=ド=スターリングラード広場から10区内のラ・ファイエット通りへ接続し、9区南西端ガルニエ宮(オペラ座)やギャルリー・ラファイエット界隈まで続いていく。
広場・交差点
[編集]-
コロネル=ファビアン広場
-
かつてロン=ポワン・ド・ラ・ヴィレット(ラ・ヴィレットの円形地点, Rond-Point de la Villette)と呼ばれていた時代のバタイユ=ド=スターリングラード広場(スターリングラードの戦い広場)
-
"フォーブール・ポワソニエール"界隈、サン=ヴァンサン=ド=ポール教会から見たフランツ=リスト広場。南側セーヌ川方面を見る。正面を走るのはオートヴィル通り、右の南西9区方面へ走るのはラ・ファイエット通り
パリの「広場 (プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスクや緑地等に利用されている場合もあり、エトワール凱旋門があるシャルル・ド・ゴール広場は世界的に有名である。10区の広場や交差点には、次のようなものがある。
- コロネル=ファビアン広場(Place du Colonel-Fabien)
- バタイユ=ド=スターリングラード広場(Place de la Bataille-de-Stalingrad)
- 10区と19区の境界に位置している。ラ・ヴィレット大通り、ジャン=ジョレス大通り、ラ・ファイエット通り等が交差する。
- ヴァランシエンヌ広場(Place de Valenciennes)
- フランツ=リスト広場(Place Franz-Liszt)
- サン=ヴァンサン=ド=ポール教会の南側にある。
- レピュブリック広場(Place de la République)
著名な出身者
[編集]政治
[編集]- アレクサンドル・ミルラン(政治家、弁護士、第三共和政期の大統領)
学者
[編集]文化
[編集]- ギュスターヴ・カイユボット(画家)
- ロベール・デスノス(ラジオ放送作家、詩人、シュルレアリスム)
- マリー・ローランサン(画家) - 10区63 Rue de Chabrol生まれ、若年期は10区51 Boulevard de la Chapelle居住。のちモンパルナス界隈等に居住
- ジネット・ヌヴー(ヴァイオリニスト) - マジャンタ大通り52番地に生まれ、居住
- ミス・ティック(ストリートアーティストないし落書き活動家) - 父親はチュニジア移民系、母親はノルマンディー出身。10区ないしモンマルトル界隈生まれ。2区モントルグイユ地区、マレ地区、モンマルトル界隈、20区メニルモンタン界隈、13区ビュット=オ=カイユ界隈での、"黒髪女性のストリートアートないし落書き"が知られている。
芸能
[編集]スポーツ
[編集]- ルネ・ラコステ(テニス選手、ラコステ創業者) - ルシアン=サンペ通り (Rue Lucien-Sampaix) 38番地生まれ
著名な居住者
[編集]財界
[編集]- スタニスラス・ボードリー(起業家、乗合馬車会社起業・再発明家) - レピュブリック広場近隣マシャンタ大通り界隈ランクリー通り (Rue de Lancry) 17番地にある、1777年建築の建物に居住。1827年に乗合馬車会社を起業し1830年に倒産し自死。これは現代の「バス」の名称の起源になった。
- エドモン・バンジャマン・ド・ロチルド(男爵・銀行家、パリ・ロチルド家) - ブローニュ=ビヤンクール生まれ、マジャンタ大通り115番地に居住
文化
[編集]- ジョルジュ・スーラ(画家) - マジャンタ大通り110番地に居住
- ルイジ・ロワール(画家) - マジャンタ大通り155番地に居住
- ポール・ド・コック(大衆小説家) - ルネ・ブーランジェ通り7番地に居住
- ポール・エリュアール(詩人) - ルイ=ブラン通りに青少年期に居住
- アンリ・ベック(劇作家) - 20 rue de chabrol 等に居住
芸能
[編集]- ルーシー・ゴードン(モデル・女優)
ゆかりの人物
[編集]芸能
[編集]- リュシエンヌ・ボワイエ(シャンソン歌手) - 10区内で死去
10区を舞台にした作品
[編集]映画
[編集]脚注
[編集]- ^ フランス語の 「10e 」 = 「dixième 」 は、英語の「tenth 」 に相当する序数。「第10の」 「10番目の」を意味する。したがって、原語の「10e arrondissement 」を直訳すると「第10区」となる。
- ^ レジフランス (Légifrance). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT))” R2512-1条. 2008年6月26日閲覧.
- ^ セーヌ川右岸の地域にあたる。
- ^ 福井憲彦・稲葉宏爾 『世界歴史の旅 パリ 建築と都市』、山川出版社、2003年、p.129.
- ^ パリの劇場-ル・テアトル・ドゥ・ラ・ポルト=サン=マルタン(フランス観光開発機構)
- ^ JTBパブリッシング編 『ワールドガイド ヨーロッパ2・パリ』、JTBパブリッシング、2006年、p.193.
- ^ FLOブランドヒストリー FLO JAPON
- ^ ブラッスリーフローでのお食事 エクスペディア
- ^ 2018年9月開店のカフェの他、日本語教室や日本語の雑誌・書籍の図書館等がある(荒木麻美 (2018年10月20日). “日本に関するフリー・ペーパー発行元がパリ10区にカフェを開業”. トラベル Watch. 2019年3月25日閲覧。)。
- ^ パリの名店「デュ・パン・エ・デジデ」が日本初上陸! All About、清水美穂子、2016年6月20日
参考文献
[編集]- MICHELIN, ed (2007) (フランス語). Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud –. MICHELIN. ISBN 978-2-06-710591-1(パリ市内の詳細地図。)