関谷村
表示
せきたにむら 関谷村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年8月1日 |
廃止理由 |
新設合併 関谷村、女川村 → 関川村 |
現在の自治体 | 関川村 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 |
都道府県 | 新潟県 |
郡 | 岩船郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
女川村、保内村、北蒲原郡黒川村 山形県西置賜郡小国町 |
関谷村役場 | |
所在地 | 新潟県岩船郡関谷村 |
座標 | 北緯38度05分22秒 東経139度33分54秒 / 北緯38.08942度 東経139.56497度座標: 北緯38度05分22秒 東経139度33分54秒 / 北緯38.08942度 東経139.56497度 |
ウィキプロジェクト |
沿革
[編集]- 1901年(明治34年)11月1日 - 岩船郡関村、七箇谷村、九箇谷村が合併し、関谷村が発足[1]。
- 1946年(昭和21年)7月2日 - 村内に全国唯一の新教育制度の6・3・3制実験校「関谷(せきだに)学園」が設置された。(現関川小学校敷地内)
- 1954年(昭和29年)8月1日 - 岩船郡女川村と合併し、関川村となり消滅[1]。
行政
[編集]村長
[編集]村長は以下の通りである。
- 渡辺万寿太郎[2]
この節の加筆が望まれています。 |
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、関谷村の篤農家は伊藤、市井、佐藤、渡邊、船山、高橋、伊東、富樫姓の人物がいた[3]。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]道路
[編集]出身人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “歴史|新潟県関川村役場”. www.vill.sekikawa.niigata.jp. 2022年8月26日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第24版 下』わ66頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月6日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』519頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月4日閲覧。
- ^ 『広島県紳士録 昭和8年版』広島市4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月4日閲覧。
- ^ 歴代広島市長広島市サイト。2022年4月4日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年。
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。